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第12話

それから何日間かの間、津黒は音羽に童話の続きを読んで聞かせる羽目になった。 途中で面倒くさくなったのだが、音羽にせがまれ止められなかった――しかし考えてみると、音羽が口に出して津黒に本を読んでくれと頼んだわけではない。何故せがまれたなどと思ったのだろう、と津黒は奇妙に感じた。 期待してるような目で見るんだもんなあ――無視できないよ、と津黒は考えた。音羽は表情の変化は極端に少ないが――ほぼ毎日、数時間だが一緒に過ごすうち、津黒はなんとなく音羽の気持ちが読み取れるようになってしまったのかもしれない。 こちらの行為は既に惰性になっている気がしないでもなかったが――その日も津黒は音羽を店の奥に引っ張り込み、彼の肌に舌を這わせていた。音羽は相変わらず反応もなく大人しく、されるままになっている――津黒は、ふと悪戯心を起こして音羽の裸のわき腹をくすぐってみた。 「――音羽ちゃん、これ、どう感じる?」 「人差し指と中指によって左体側に連続した軽い刺激を受けているように感じる」 「そうだよねえ……その通りですよ……」 津黒はため息をついて起き上がった。 「人造兵って、笑わないの?というか、もしかして――笑えないように出来てる、とか?」 訊ねると、横たわったまま津黒の顔を見上げていた音羽がふいに――微笑んだ。 「うわあ!?」 あまりにも意外だったため、津黒は思わず叫び声を上げて仰け反ってしまった。 「表情筋の使い方が間違っていただろうか?申し訳ない」 顔に手をあてて擦りながら音羽が詫びる。 「い、いや!あってるよ!ゴメンゴメン、叫んだりして!急だったんで驚いただけ!」 「自分はやり慣れないもので――仲間に元衛生兵がいるが、頻繁にこの表情を使うから彼なら上手い」 「元衛生兵?」 音羽は頷いた。 「損傷を受けた兵は気が立っている事が多い。そういう相手に近付く際、緊張感を解きスムーズに回収作業を行うのにこの表情が効果があるのだそうだ。しかし彼は、職務以外の場合にも好んでこれを多用しているようだが」 「人造兵にも色々あるんだねえ――よくわからんけど。でも音羽ちゃんが笑えるって事がわかって俺は安心したな」 「安心?」 不思議そうに訊ねた音羽の顔に、津黒は被さって唇を寄せた。 「うん。笑顔、可愛かったよ――気が向いたらまたやって。できれば――頻繁に」 その後も暫く津黒は音羽に何冊かの本を読み聞かせてやった。そうしているうち、だんだん音羽も物語の展開を楽しむ、というのがどういう事なのかわかってきたようだ。津黒にしてくる質問も、始めはストーリーに関係のないトンチンカンなものが多かったが、徐々に登場人物の心情や行動に関しての物へと変化して来ていた。 そうして――話を理解する事に慣れた音羽は、いつの間にか自分でも本を――分析ではなく、読めるようになっていた。 音羽が棚から選んだ本をいつもの場所で読んでいる――が、いきなり立ち上がると、ガラスケースの後ろの椅子で半分寝かかっていた津黒に向かい、つかつかと歩み寄ってきた。 「店主」 「あー?なに……」 ぼうっとしたままの津黒が目をやると、音羽が珍しく憤慨したような顔をしている。 「え、な、なんだよ?どした?」 「この本だが――」 音羽が読みかけの本を差し出す。 「暗号が文章の中に組み込まれているせいで解読に気が行ってしまい、話に集中できない。どういう事だろうか?」 「え……?」 津黒はその本を受け取って確認した。 「ああ、なんだ。こいつはちゃんとした本じゃないよ。レジスタンス活動してた時に、情報の受け渡し用に作った奴だ。こういう時代遅れの方法の方が却ってバレにくくて安全だったもんでね。処分したつもりだったけど、まだあったのか……」 「作った?」 「そ。俺のお手製。なかなか上手くできてるだろ。でも暗号入りだってよくわかったなあ……あ、そうか、専門家だっけね」 呑気に言う津黒の顔を、音羽は不満げな表情で見下ろしている。 「な、なんだよ?怖い顔して」 「そんな使い方をされては困る。せっかく興味深い内容の物語なのに」 「え?」 「同じ本で暗号抜きの物はないだろうか?もしあるのなら、そちらが読みたい」 津黒はまじまじと音羽を見つめた。 「――それ、本気で言ってる?」 音羽が不審そうな顔をする。 「ああそうか……音羽ちゃんは冗談言うタイプじゃなかったな……いやそれ……その本、俺が書いたのよ」 「書いた?店主が?この本を?」 「そ。いやあ、音羽ちゃんに興味持ってもらえるとはねえ。俺昔さ、作家になろうと思った事があったんだよね……才能無くって諦めたけど。それ、その時書いた文を使ってあんの」 説明した津黒の顔を、音羽は目を見開いて凝視した。 「では、店主は――この本の人物に会った事があるのか?」 「人物って……この話の主人公の事?やだなあ、そんな訳無いでしょ」 「ではどうやって彼の行動を知ったのだ?」 「え……」 ちょっと待てよ?まさか……津黒は考えた。 「音羽ちゃん……アンタもしかして、本に書いてあることって全部本当のことと思ってたり……する?」 音羽は当然のように頷いた。 「ぶは!」 耐え切れず、津黒は吹き出した。音羽はきょとんと津黒の顔を見ている。 「ゴメンゴメン!いや、なんか……純粋だなと思ってさ……かっわいいなあ……ええと、ちょっと待ってて」 笑いながら地下倉庫へ下り、隅で埃を被っていた書類入れをひっぱり出す。津黒はそれを小脇に抱え、店へと戻った。 「これさ、製本はしてないけど……その本の元になったやつ。こっちには暗号は仕込んでないから、安心して読んでよ……」 そう言って、音羽に原稿用紙の綴りを手渡した。

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