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第31話

数週間が経過した。天城の様子は相変わらずで、回復の兆しは見えない。ノアは晋の食堂で働きながら、治って貰いたい一心で献身的に天城の世話を続けていた。 ある日、ノアはふと兵士仲間の相模と音羽のことを思い出した。連絡を入れると言ったのに、天城の事だけで頭がいっぱいでうっかりしていた――彼らは天城にとって戦場で一緒に闘った仲間だ。会うと良い刺激になるかもしれない。 「おっちゃん――」 ノアは晋に相談してみた。 「うん、いいんじゃねえか?いい季節だし、近くの公園に弁当担いでってみんなで花見とかどうだろ?ノアは行った事あるか?花見」 「ううん、ない」 ノアは首を振った。だがなんだか楽しそうだ。 「ないけど、行ってみたい」 「そうか。じゃあ連絡してみよう」 晋は微笑んで答えた。 天気の良い週末、ノアと晋はみんなの分の弁当を用意し、公園へ向かった。たっぷり詰めた弁当箱を提げて歩くノアと晋の後ろから、安彦と天城がゆっくり歩いて付いてくる。天城は誰が話しかけても何も反応を返さないが、気がいい安彦はそれでも楽しげにいつも天城に語りかけている。安彦は身体を心配するノアと晋に、休め休めと言われて店から追い出されるのが気に入らず、隠居生活を退屈がっていた。そのせいで、聞き役がいるだけで嬉しいらしい。 公園内は同じく花見の人々で賑わっていた。ノアが辺りを見回すと、相模の姿が目に入った。背が高いのですぐにわかる。駆け寄って行って声をかけると、相模は振り返り、笑顔になった。 「よおノア――なんだ、相変わらずちっこいのな」 彼はそう言いながら、ひょいとノアを持ち上げ、肩車した。 「わ!」 驚くノアに、近くに居た銀嶺が苦笑しながら手を差し伸べた。 「相模さん――おもちゃじゃないんですから。気をつけてくださいよ。ノア、荷物落とすといけない。私が持とう」 銀嶺に弁当を渡したのを確認すると、相模は威勢よく 「よっしゃ!ノア、俺の髪掴んでていいぞ!」 と言う。 「え?でも痛いよ」 「お前の力じゃ大したことない。気にすんな。掴んだか?行くぞー」 相模はノアに声をかけると、綺麗な薄ピンク色の花が咲いた木が立ち並ぶ方へ駆け出した。 「ひゃあ!」 ノアは相模の肩の上で目を丸くしたが、やがて声を立てて笑い出した。 後ろから来てノアの明るい笑い声を聞いた晋は、思わず目頭が熱くなった。ノアは店では嘆く事もなく気丈に振る舞っている。だがあんな風に心から楽しそうに笑っている声を聞いたのは、天城が捕まって以来――始めてかもしれない。ノアの宇宙船での経験は聞いていた。過酷な状況を共有した仲間だから、きっと素直に気も許せるのだ。 走り回る相模を立ち止まって眺めている銀嶺に、晋は挨拶した。 「ええと――久しぶり。変わりない?」 「はい、おかげさまで」 銀嶺は晋を見て微笑んだ。長い銀白色の毛並みに陽の光が柔らかく反射している――綺麗なネコだなあ、と晋は思った。ノアも可愛いが銀嶺の美しさは格別だ。 銀嶺は晋と並んで歩き出しながら訊ねた。 「電話でもお聞きしましたが――天城さん、良くないのですか」 後ろから付いてくる安彦と天城を振り返りながら訊ねる。 「ええ――なかなか思うようにはね。ノアが一所懸命だから、また可哀想で……」 「そうですか……」 並木の下に辿り着くと、そこで相模がノアを肩車したまま男性二人と立ち話していた。一人は確か、一緒に収監されていた人造兵だ。 「おっちゃん――銀嶺さん」 相模の肩の上でノアが手を振る。晋も手を振り返した。 「天気が良くてよかったですねえ」 花の咲き誇る木の根元に持ってきたシートを広げながら、晋は言った。片方の目に白い眼帯をあてた男性が、晋を手伝いながら頷く。 「やーほんと、太陽が眩しいですわ。普段屋内にくすぶってるから、余計眩しく感じる」 男性は空を仰ぎ、眼帯に覆われていない方の目をしばたたいた。 「目、どうかされたんですか……?」 晋は訊ねた。彼とは収容所でちらっと会ったが、眼帯はしていなかった。 「ああ、大したこと無いんです、ものもらい。あ、私、津……いやええっと……野田と言います」 自分の名を言うのにつっかえる人も珍しい、晋は可笑しく思いながら野田に片手を差し出した。 「遠野です」 「天城くんの面倒みてらっしゃるそうですね」 握手した野田は言い、シートに腰を下ろした。 「ええ」 晋も隣に座る。 「お宅は――?」 「俺はあそこにいる――音羽を預かってます。うお、美味そう!」 晋が袋から取り出した弁当に目をやり、野田は言った。 「多めに作ってきたからね、いっぱい食って下さいよ」 そこへ、安彦と天城が追いついてきた。 「天城さん!おやじさん!見て!僕、花に手が届いちゃうよ」 相模の肩の上でノアが興奮して言う。 「おやまあ。いい眺めだろ」 安彦が笑った。 「うん!」 ノアを担いだ相模が、ゆっくり天城に近付いた。音羽も続く。 「よお班長……調子はどうだい」 相模が声をかけたが、天城はやはり――反応しなかった。ノアは相模の肩の上から天城を見下ろした。自分では駄目でも――相模さん達のことならわかるかもしれないと期待していたのだが―― 「さて皆さん、お集まりありがとうございます」 準備を済ませた晋がシートに立ち上がって言った。 「天城の奴はこんな状態で――心配ですが、そのうちきっと治ります。皆さんも今まで色々ご苦労があったでしょう。今日はまあ、その慰労の意味も込めて沢山食い物用意したので、遠慮なく召し上がってって下さい。これ作るの、ノアも頑張って手伝ったんで。なあノア」 「え!うん……はい」 相模にシートの上へ抱きおろしてもらいながら、ノアは少し顔を赤くした。 津黒は――偽造身分証明に載っているほうの名前を使い晋には野田と名乗ったが――隣で弁当を食べている音羽にふと目をやった。音羽がじっと見つめている先には、シートに座り込んでいる天城の姿がある。ノアが彼の隣で、口元に食事を運んで食べさせてやっていた。天城の視線は虚ろで、どこを見ているという風でもない。 「音羽ちゃん?なんか気になるの?」 「ああ」 音羽が頷く。 「あの班長の状態、以前……」 「え?」 「帰ったら少し調べてみたいのだが、店主のところのコンピューターを借りて構わないだろうか?」 「うん、いいよ」 津黒は頷いた。 「野田さん、こっちはいけますか?」 晋が津黒に近付いてきて、杯を空ける仕種をして見せた。 「ええ。好きです」 津黒が答えると、晋は手提げを引き寄せ、なぜかこそこそした様子でカップ酒を取り出し、一つ津黒に手渡した。 「俺の親父――あそこにいるんですけど」 晋は銀嶺となにやら楽しそうに会話している安彦を指さした。 「アレ、医者にアルコール止められててね……だからこっそり。すいません」 津黒は笑って了解し、晋と二人でさりげなく安彦に背中を向け、カップ酒を開けた。 「そちらの――ええと、音羽さんは?」 晋が訊ねた。 「そうだ。そういえば、音羽ちゃんが飲んでるの見たことないな」 津黒は気付いて言った。 「飲めるの?酒」 「さあ?」 音羽は首を傾げた。 「自分は飲んだことが無い。軍の支給品には入っていなかったので」 「へえー。じゃあ、飲んでみなよ。酔っ払うかな。あ、こっち向いてな」 音羽は素直に津黒の言うとおり安彦から背を向ける形で座りなおしたが、不思議そうに首を傾げた。 「摂取する際向く方角が決まっているのか?」 「そうなんです。はい」 手を伸ばし、津黒からカップ酒を受け取ろうとしていた音羽の動きが不意に止まった。彼はそのまま、並木の向こうを凝視している。 「音羽ちゃん?おい、どうしたよ?」 不審に思った津黒が音羽の見ている方に目をやると、そこにはゴミ入れが設置されていて、一人のホームレスらしい男がその中を漁っていた。 やがてその男は、ゴミの中から何かを見つけたようでそれを掴んで顔を上げた。と同時に、津黒の隣に居た音羽が――両の踵を鋭く打ち合わせながらその場に立ち上がり、直立して挙手敬礼の姿勢を取った。 「音羽ちゃ――」 何事かと驚く津黒の背後から、殆ど同時に銀嶺とノアの声がした。津黒と晋が振り返ると、後ろに座っていた相模と天城が――音羽と同じように立ち上がって姿勢を正し、同じ方を向いて敬礼している。三人の視線の先には――先ほどのホームレスらしい男の姿があった。男はぎょっとした様子で身を竦ませてこちらを見返していたが、やがてくるりと踵を返し、ゴミ箱の側から走り去った。 その男の姿が見えなくなると、音羽の身体から緊張が抜け、そのまま津黒の隣にすとんと腰を下ろした。天城と相模も、元通りの位置に座っている。 「ちょ、ちょっと?今の何?」 津黒は唖然と訊いた。 「え?」 音羽が聞き返す。 「だから……なんだったの?今の?」 「さあ?」 音羽は首を傾げた。 「さあって……わかんないのにあんな事したの?」 「必要があってああした筈なのだが……なぜ必要と感じたのかわからない」 「ええ……?」 「おっちゃん……」 いつの間にか、ノアが晋の後ろに来ていた。 「今、天城さんが……」 「ああ、見たよ。なんなんだろ、驚いたな」 「うん、びっくりした……」 ノアは頷いた。 「あのね、敬礼したとき、天城さん、ちゃんとどこかを見ていたよ。ずうっと何も……見えてないみたいだったのに……」 「うん」 「天城さん、空っぽなんかじゃない……天城さんの心、きっとどこか、天城さんの中にあるんだね……」 ノアは独り言のように呟いている。晋はそれを聞き、ノアもやはり自分と同じように感じていたのだ、と思った。 「それがどこにあるかわかれば……天城さん、元に戻るよね……」 「うん、そうだ。きっと……元に戻る」 晋は言い、ノアの肩を抱き寄せた。 みんなと別れ、夜――店の二階の部屋で、ノアと天城は布団を並べて横になった。 「天城さん、今日楽しかったね、花見」 ノアは天井を見ながら呟いた。 「みんな元気で良かったな……天城さん、お弁当美味しかった?」 隣の布団の天城に目をやる。天城は眠ってはおらず、ぼんやりと天井を眺めていた。 「手羽先、僕が焼いたんだよ。あとお稲荷さんも詰めた……」 ノアは小さい声で続けた。 「難しいのは全部おっちゃんとおやじさんが作ってくれたけど……僕ももっと、色々作れるように練習するよ。そしたら、天城さん食べてくれる?」 布団の中から腕を伸ばし、ノアは天城の手を握った。 「天城さんの手、大きくてあったかい――初めて会った時と同じだ」 そうだ、同じだ――ノアは思いながら目を閉じた。 話が出来なくても、僕のことがわからなくても……天城さんはここにいるんだ――

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