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第32話
公園から古書店に戻った音羽は、帰るなりずっと津黒の旧式のコンピューターに貼り付いていた。
「音羽ちゃん……こっちきて一緒に食おうよ……一人で食ってもつまんない。美味いよ、この手羽」
晋が分けてくれた弁当の残りをつまみにしてビールを飲んでいた津黒は、店のショーケースの上に置かれたキーボードを叩いている音羽に声をかけた。
「ああ――もう少しだけ」
音羽は答え、やがて小さく
「通った」
と呟いた。
「通った?なにが?」
「パスワード」
「ええっ?」
津黒は慌てて店に下りた。
「あんたまさか……ヤバい事やってくれてんじゃないでしょうね?」
「ヤバくない――今までばれたことはないし」
「ちょっと!その言い方!要するに、ばれたらまずい事やってるって意味なんだな!?」
音羽の隣に立って津黒は画面を覗き込んだが、びっしりアルファベットや数字が並んでいるだけで、何がなにやらわからない。
「何これ?なに見てんの?」
「暗号化されている政府軍のデータだ」
「えーっ!!」
津黒は叫び声をあげた。
「やばいよ、やばいって!ここからそんなの覗いた事がばれたら、俺の両手が後ろに回るじゃんかよ!」
「大丈夫だ。ええと……」
音羽は腕を組み、画面を睨んで何事か考えている。
「班長の症状に関してだが……政府軍が新規に開発した培養技術が関係している可能性がある」
「新技術?」
「ああ」
音羽は頷いた。
「あの様子……最新型の人造兵が戦場で起こした状態と良く似ていた。彼は一旦回収になったが暫くして復帰したから、治す方法はあるはずだ。しかし班長は自分と同時期の製造だから、最新型ではない。同じことは起こらないはずなのに……なぜなのだろう」
「ふむ」
津黒は首を傾げた。
「これ以上やると気付かれる可能性があるので、また今度調べる事にする」
そう言ってコンピューターからやっと離れた音羽は、部屋に上がってきてテーブルの上を見、尋ねた。
「……手羽は?」
「え?」
「今美味いと言っていた手羽は?」
「えー……」
津黒はごまかそうと他所を見た。
「……食っちゃった」
「食った?」
「だって音羽ちゃん来るの遅いんだもん……」
表情は殆ど変わらないが、音羽の機嫌が悪くなったのがわかり、津黒は慌てた。
「ご、ごめん!唐揚げならまだあるから!ほらチューリップになってるやつ!美味しいんですよコレも!」
タッパーに入れてもらった唐揚げを差し出しながら、津黒は内心可笑しくてたまらなかった――こいつがこんな事で怒るとは。なんか今のやり取り――えらく普通じゃなかったか?
音羽は、受け取ったから揚げを歯でむしって食べ始めた。
「……美味い?」
「ああ」
「機嫌直った?」
「ああ」
「まさか音羽ちゃんと食いモンの事で揉める日が来るとは思ってなかったよ……」
「店主が、期待するような事を言うからだ」
「手羽美味いよって言った事?」
「ああ」
音羽はから揚げを食べ終わり、指先を舐めている。なんかこいつ――前よりずいぶん人間ぽくなったなあ……。津黒がなんとなく感慨深く思っていると、音羽がふいに声を上げた。
「あ!そうだ」
「何?」
音羽は津黒には答えず、またコンピューターの方へ戻っていく。
「どしたの?」
から揚げの容器を持ったまま津黒は音羽を追いかけた。
音羽は再び、キーボードを叩いた。画面がダウンロードされるのを待つ間、音羽は津黒の持つ容器に手を伸ばし、唐揚げを一つ掴み取った。それを齧りながら呟く。
「今日公園に――」
「公園に?」
「上官が居られたのだ。そのため我々は敬礼を行った」
「ああ、あの時……」
津黒は頷いた。
「でも軍人なんか見当たらなかったよ――それに音羽ちゃんが言う上官て政府軍の方のだろ?ここに居たら捕まるはずだぜ」
「そうなのだ。だからおかしい……」
音羽は表示された画面に目をやった。顔写真つきの軍人名簿らしい物が写し出されている。
「あそこにいたのはごみ漁ってたホームレスだけだったけど……まさかアレが軍人なの?」
「おそらく」
「あんなカッコだったのに、なんでわかるの?」
「我々には全ての軍幹部のデータがインプットされていて、虹彩認識で感知するから、服装は関係ない」
「へえ……虹彩で……」
「しかし、ここに彼のデータは無いようだ……上官ではなかったのだろうか……」
最後一本残っていた唐揚げを津黒が摘もうとすると、音羽がさっとそれを横から攫った。
「あ!こら!まだそっち持ってるくせに!欲張り!」
音羽は津黒の顔を見ながら、両手の唐揚げを交互に齧っている。
「手羽の仕返しだ」
あまりにも意外な音羽の行動に、津黒は耐え切れなくなり、とうとう吹き出した。
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