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第33話
天城の世話を続けていたノアのところに、研究所の職員が定期健診のため訊ねて来た。ノアが働いている間、天城は二階の部屋でじっと動かずに居る。職員はそこに上がって、天城の様子を確かめていた。
食堂の仕事が一段落したので、二階にお茶を持っていったノアに、職員は言った。
「ちょっと――話していいかな?天城くんの身元引受人になってるここのご主人も、呼んでくれるかい?」
「はい……」
ノアは頷き、晋を呼びに行った。
いったん店を閉め、晋が部屋へやって来た。職員は天城の診察を終え、座った二人に向き直った。
「天城くんをここへ置いて大分時間が経ちました――お世話されてるあなた方が一番よく分かっていらっしゃると思いますが……残念ながら、今の所、回復する様子は見られません――」
ノアは俯き、膝に置いた両手を握り締めた。
「それで――提案があります……」
「提案?」
晋が訊ねた。職員は頷き、続けた。
「人造兵は、培養で身体が完成して後、活動するために必要な様々なデータを与えられます。今の彼は、何らかの理由でそれらのデータが破損してしまった状態なのだろう、というのが我々の立てた推測です。そうだとすれば、体の機能に異常がないのに外部刺激に対して反応がおこらないことの説明が付きます」
「どういう……意味ですか?」
晋が聞き返した。
「中身が――空っぽだということです」
ノアと晋は同時にぎくりとした。空っぽ――最初に天城が目を覚ました時、二人が感じた印象そのままだったからだ。
「その推測が正しいとすれば――人造兵の製造過程と同じに、新しいデータを上書きという形で彼に再び入れてやれば、今のような廃人状態からは抜け出す事ができるはずです」
「え!じゃあ、治るんですか?」
訊ねた晋に、職員は複雑な表情をした。
「ある意味では。人造生命体として、今後普通に生きていくための能力は全て得られます。しかしその方法だと、過去の記憶が残らないのです……」
「それじゃあ……」
ノアが口を開いた。
「それじゃあ……新しいデータを入れたら……もう前の天城さんではなくなってしまうっていう事ですか……?」
職員が頷く。
「ですので、強制はしません。その方法を受け入れるかどうかはお二人の判断次第、ということになります……」
その後職員は帰って行った。ノアと晋は――重苦しい気持ちで彼を見送った。食堂をやっている間――二人とも口には出さなかったが、そのことについてずっと考えていた。
閉店後、売り上げを計算し終わったノアが、晋に言った。
「おっちゃん――天城さんのことだけど」
「うん」
「僕――あの人が言ってた治療、受けさせてあげた方がいいんじゃないかと思うんだ……」
「だが――」
晋は言いかけた言葉を飲み込んだ。その結果がどうなるかはノアもよく知っている。
「このまま、いつか治るんじゃないかって、希望を持っていたいけど……」
ノアはテーブルの上に置いた手提げ金庫に売り上げを納めながら続けた。
「でも天城さんを……あの状態でこれ以上置いておくのは――残酷なことなのかも……」
晋は黙って聞いていた。ノアと――同じように思っているからだった。
「本当は僕、どっちがいいのかわからない。新しいデータを入れるのは、今の天城さんを殺してしまうことと同じなんじゃないかって気もしてる……どっちを選んでも、それは僕の我侭になっちゃうのかもしれない……でも少なくとも、新しいデータを入れてもらえば、またしゃべったり、食べたり……笑ったり泣いたりはできるようになるはずだから……」
ノアが晋を見る。
「その方が、天城さんがこれから生きていくのには……いいかもしれないなって……おっちゃんはどう思う?」
「うん」
晋は頷いた。
「俺もまったく――ノアと同じように思ってたよ。だからノアがそう決めたなら、それが一番いいんだと思う……」
後片付けを終え、二階の自分達の部屋へ上がったノアは、昼間と同じ場所に座り込んでいる天城の姿に目をやった。
「天城さん……」
側へ行き、俯いたままの天城の前髪をノアは指先でそっとかき上げ、彼の顔を見つめた。
「天城さん、今まで――僕と一緒にいてくれてありがとう」
天城の身体をぎゅっと抱き締める。
「天城さんごめんね。勝手に決めてごめんなさい――」
こらえきれず、ノアの両目から涙が溢れ出てきた。
「天城さん――さよなら――ずっと――愛してる」
ノアは天城を抱き締めたまま、涙を流し続けた。
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