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第39話
天城は、今の職場である工事現場近くの食堂で、遅めの昼休憩を取っていた。
ここはなんということもない古びた小さな店なのだが、天城はなぜだか気に入っていて、今の現場で働く間、昼は必ずその店で食べると決めていた。
店のドアには真鍮のベルが取り付けられていて、誰か客が入ってくるとからんころんと軽やかな音を立てる。天城はその音や、店の息子らしい給仕係の少年が元気良く厨房と注文をやり取りする声を聞くのが好きだった。
それらを聞くと、とても暖かく懐かしい心持がする――失くした過去のどこかで……こういう場所にいた経験があったのかもしれない。しかし思い出そうとしても、その感覚はおぼろげな形だけを残し、天城の中からするりと逃げてしまうのだった。
食事し終わった天城が箸を置いたとき、男が一人、勢い良く店内に飛び込んできた。
男は辺りを素早く見回し天城を見つけると、まっしぐらに目の前まで跳んできて、息せき切って話し出した。
「あ――天城さん――現場の人が――ここだ、って言うんで――」
走ってきたらしく大きく肩で息をしている男に、天城は自分のコップの水を差し出した。
「ど――どうも」
男は一気にそれを飲み干し、必死な形相で続けた。
「お、音羽が連れて行かれちまった。あんたの助けが必要なんだ――」
天城は黙ったまま立ち上がった。
「待てよ!行っちまうのか?あんたが俺に覚えが無いってのはわかってるけど――頼むよ、話聞いてくれ!」
「聞きます。ですが、とりあえずここは出ましょう。お店に迷惑だし」
「あ、そ、そうか。そうだよね」
支払いを済ませると、天城は男を伴って外へ出た。
工事現場の方へ歩きながら、まだ息を切らしている男――津黒と名乗った――彼の話を天城は慎重に聞き取った。音羽――知った名前のような気もする――いや、津黒の話に寄れば、よく知っているはずなのだ。失った記憶の方で。
随分と走り回ったのか、相当疲れているらしい津黒は途中で天城の歩調について来られなくなった。
「ちょ、ちょっと待って、天城さ――」
「もう少しですから頑張って。あそこまで行けば、車借りられますから」
天城は道の先の建築現場を指差した。
「車?じゃあ――」
津黒がほっとしたような表情になる。
「ええ。助けに行きます」
現場で働く同僚に、友人が急病になったと言い訳して天城は車を借り出した。助手席に津黒を乗せて出発する。
「どちらですか?」
「こっち――」
津黒の案内で、天城は音羽が囚われていると言う地点へ向かって車を走らせた。
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