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第42話

車の中で、津黒はハンドルを握る天城に訊ねた。 「そうだ、天城さん――懲罰棒って知ってる?」 「名前だけは……教育担当官から聞いたことがあります。政府軍が兵に対して使う道具だとか」 「名前だけ……そっか」 人道主義を貫く革命軍の統治下では、人造生命体を調教するなどという事はあり得ないのだろう。 「見たとこホントにただの白っぽい棒切れなんだけど、そいつに気をつけて欲しいんだ。音羽は、あれで触れられただけで悲鳴を上げてた。あいつ、我慢強い方だと思うんだよね、なのにあの反応ってことは……」 「心しておきます」 やがて車は越野達が居るはずの廃墟になったビル跡地へと入った。先に外へ出た天城が油断無く周囲を見回す。 「津黒さん」 「えっ!?」 「万が一の事態になったら、この道からではなくあの林の中に逃げてください。林を抜ければじきに民家がある場所に着くので、そこで助けが呼べると思います」 「う、うん」 自分の退路を確認してくれていたのか、そう思いながら津黒は頷いた。 「あの、天城さん、あんた――手ぶらで平気?」 「自分は大丈夫です」 「実は――相手何人いるかわかんねえんだ。うちへ来たのは三人だったけど」 「現在も三人です。探知して確認しました」 天城はさっきと変わらず表情も穏やかで落ち着いている。重火器でドンパチやってる戦場に比べたら、こんなのは屁でもないのかもしれない、と津黒は思った。 二人は崩れかけたビルの中へ入った。窓が塞がれているため内部は暗く、津黒は辺りを手探りしないと進めなかったが天城には問題が無いらしい――と、奥から人声がした。 話し声に混ざって音羽が上げたらしい悲痛な叫びが聞こえた――奥の突き当たりに扉があるようで、その隙間から明かりが漏れている。思わずそちらへ走り出しそうになった津黒を遮るようにして、天城が先に立った。 「危険ですから津黒さんはここで待っていてください。自分が行きます」 言い終わると同時に天城はほとんど音も立てず、あっという間に扉の前に到達した。どうするのかと息を呑んだ津黒の見ている前で、天城はまるで本のページでも破り取るかのような簡単さで壁から扉を剥がしてしまい、それを盾に部屋の中へと突き進んで行った。男達の怒号に混ざって発砲音が響いたので、津黒は思わず廊下の隅で首を縮めたが、すぐに静かになった。 恐る恐る扉の無くなった部屋へと近付いて中を覗き込み――津黒は感嘆して声を上げた。 「つ、強ぇ……」 音羽を攫って行った三人は、天城がどこかから引き抜いたらしい金属製のパイプで昆虫採集の標本のように壁に手足を留めつけられ、動けなくされていた。三人とも昏倒しているようだ。天城はあっさりと連中を戦闘不能にしてしまったらしい。 その天城は?と津黒が部屋を見回すと、彼は床に倒れている音羽の脇に屈み込んでいた。 「音羽……!」 津黒は叫んでそこへ駆け寄った。傍らに天城が外してやったらしい千切れた手錠が落ちている――音羽は裸にされ、ぐったりと手足を床に投げ出していた。 天城が、脱いだ自分の作業着で音羽の身体をくるんで抱き起こした。音羽は視線が虚ろだったが意識はあるらしく、唇をわずかに動かして津黒に向かって何か言った。 「な――何?」 床に両手を突き津黒が音羽の口元に耳を近付けると、彼はかすれた声で 「来てくれると……思ってなかった」 と囁いた。 「来ないわけがないだろ!」 情けなくなりながら津黒は叫んだ。見ると、音羽の脚の傍らにあの懲罰棒が転がっている。津黒はその棒を掴むとジーンズの腰に挟み、立ち上がった。 「オイ。越野」 壁に磔にされている越野の頬を軽く叩く。越野は呻きながら目を開けた。 「津黒……裏切りやがったのか……」 「アホか!こっちにゃ最初っから協力した覚えはねえ!」 「その……デカいの……」 「お前が狩るつもりだった音羽の仲間だよ。相手にしてどうだった?歯が立たなかったろ。俺たしか――人造兵には手を出すなって言ったよな?」 言いながら津黒は、床に転がっている短銃を見つけて拾い上げた。弾丸がこめられているのを確認してから、それを越野の額に押し付ける。 「この場で誓え――もう二度と、兵を狩るなんて思いあがった事はしないって」 黙っている越野を促すように津黒は引き金にかけた指に力を入れた。 「俺は今――ものすごく腹が立ってる――自分が情けなくてだ。ぶっちゃけ何もかもどうだっていい、そういう投げやりな気分なんだよ――こんな気分の今なら、人殺しも簡単にできそうだぜ」 越野が目を見開いた。津黒は本気だった――それが越野にも伝わったらしい。 「わっ――わかったよ!」 青褪めた顔で越野はわめいた。 「わかった!もうそいつらに手は出さないから――撃たないでくれ!」 気絶している男のうちの一人の、右腕を留めつけている鉄パイプを引き抜いて津黒たちは廃墟を後にした。片腕だけ使えるようにしておけば、あとはあの男の意識が戻ったときに自分達でなんとかするだろう。 音羽と、彼を介抱している天城を後部に乗せ、今度は津黒がハンドルを握った。 車を走らせながら考える。あれで良かったのだろうか?越野は本当に懲りただろうか?自分はどうも――中途半端でいけない。三人とも始末しておくべきだったかもしれない。音羽の為にも……。 考え込みながらバックミラー越しに音羽の様子を見る。音羽は歩けない状態だったので天城が抱えて車まで運んだ――彼はシートに身体を預け、ぼんやりした表情で窓の外を見ていた。こんなに疲れきって、弱々しい音羽の顔は見たことがない。一体どんな酷い目に遭わされたのか―― 「津黒さん」 天城が呼んだ。 「な、なに!?」 音羽に気を取られていた津黒は驚いて叫んだ。 「彼を暫く、自分の所で預かっても構いませんか?」 「え……っ」 天城は音羽の瞳を覗き込んで様子を見ている。 「自分は今、革命軍の人造生命体研究所に住んでいるので……何かあった時対処しやすいと思うんです。津黒さんの所では、危険があるかもしれませんし」 「えっ!危険!?え……そっか……」 津黒はなんともやり切れない気持ちになりながら呟いた。そうだ、あれで越野達が本当にあきらめるかなんて知れたもんじゃない。自分の所では、また連中が現れるかもしれないのだ――やっぱり対応が甘かったか―― なんだか後ろの二人に、人間は――お前は信用できない、そう責められているような気がしてきて、津黒は落ち込みながら返事した。 「うん……そうだね……じゃあ……そうしてくれる……?」 「はい」 ミラーの中で天城は頷いた。 「先に津黒さんの所へ寄ってください。そこからは自分が運転しますから」 「いや、俺はいいよ……場所わかったから歩いて帰るし。早いとこ音羽を休ませてやってくれるかな……」 「そうですか?では、そうさせてもらいます」 天城が住んでいるという建物の前で二人を下ろし、津黒は車を返しにさっきの工事現場へ向かった。 礼を言って天城の同僚の作業員に車を返す時、ふと作業場の片隅で、メキメキという音を響かせている装置に気がついた。いましがたキーを渡した作業員に尋ねる。 「すいません、あれって、破砕機ですか?」 「うん、そうだよ」 「あの……これ、放り込んでも構わないですかね?」 津黒は持っていた例の――懲罰棒を作業員に見せた。 「ゴミ?」 「ええ、ゴミです」 「そ。いいよ。気をつけてな」 「ありがとうございます」 津黒は仕事に戻っていく作業員に向かって頭を下げた。 装置に近付くと、津黒はそこに懲罰棒を叩き込んだ。棒はたちまち――頑丈そうな金属の回転軸の間に挟み込まれて粉々に砕け、姿を消した。

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