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第43話
重苦しい気分で津黒は店に戻った。なぜ音羽を――もっと早く助けてやらなかったのだろう。弱りきった彼の姿を思い出し、津黒はたまらない気持ちになった。
あんな状態になるなんて、一体何をされたのか――そう考えた時、津黒は我知らず唸り声を発して拳を傍らの壁に叩き付けた。見つけた時音羽は服を脱がされてたんだ。想像はつくじゃないか。
晋から貰った住所を頼りに天城を見つけるのに思いのほか時間を喰った――天城に助けを乞おうなどと考えず、すぐ警察に連絡すれば良かったのだ。そうしていれば、音羽があそこまで酷い目に遭わされる前に助け出せただろう。
どうして警察に行くのを躊躇したか――保身の為だ。警察へ駆け込めば、自分が身分を偽って音羽を引き取った事がばれるだろう。さらに越野達が捕まれば、自分が地下活動中に革命政府軍と敵である政府軍、どちらとも通じていた事が奴の口から発覚し、革命政府から月々振り込まれている謝礼金がパァになる――そういうせこい計算が働いたのだ。
だけどそんなの――音羽の身を犠牲にしてまで守る事だっただろうか?
後悔先に立たず、という奴だ――そう思いながら津黒は心底後悔した。音羽はもう……ここには戻って来ちゃくれないだろう……本気ではなかったにしろ俺は音羽を奴らに売ると言ってしまったのだ。銃を突きつけられた上での咄嗟の判断だったが、音羽がなんでも額面通りに受け取ってしまうことを津黒はよく知っている。きっと――見捨てられたと感じたに違いない。だからあの時彼は津黒に、来てくれると思ってなかった、と言ったのだ。
拉致されていた間、音羽がどれほど絶望的な気持ちでいたかと思うと可哀想で泣けてくる。それもこれも――俺が情けない野郎だからだ。
越野なんか殺しちまえば良かった。津黒は思った。あんな奴、殺してやれば――
「ああしかし、これも八つ当たりに過ぎないか……」
津黒は店のいつもの椅子に寝そべりながら呟いた。額に手をあてる。
「――それに殺すって言ったって、あいつらをああやって動けなくしたのは天城さんだし……俺なんて、自分だけじゃ何にもできやしないんだ……」
もう音羽には――合わせる顔がない。
「俺のせいだ……やっぱり、俺の――音羽、ごめんよ――」
顔を覆った指の隙間から、涙が滴り落ちた。
それから数日――何もする気が起きず、津黒は店の椅子にぐったりと横たわって過ごした。食事もまともに取る気がしなかったので、腹が空いた時はそこらにあったつまみやら菓子やらを酒で胃に流し込んでいた。そんな事ばかり続けていたら気分が悪くなってきたのだが、起き上がるのが億劫で寝たままでいた。
そのうちやっとウトウトしてきてなんとか眠れそうな状態になったのに、いきなり鳴り出した電話に起こされ、気持ち悪いのが蘇ってしまった――酒のせいか頭もガンガンする。
「うるさいよ……具合悪いよ……ああもう……このまま死んでしまいたい……」
電話は無視して痛む頭を抱えこみ、津黒は感傷的に呟いた。
それから再び寝かかった時、店のドアに取り付けられたベルが小さくちりん、と音を立てた。なんだ、今度は客か?鍵かけてなかったんだっけ?面倒な……しかし今起き上がったら確実に吐く――そんな風に思いながら薄目を開けて入り口の方を見やった瞬間、頭痛も吐き気も忘れて津黒は飛び起きた。
「おっ――音羽ちゃん!?」
入って来たのは音羽だった。脇に天城が付き添っている。
「あっ……あんたら……なんでここに……」
「帰ってきたのだが……まずかっただろうか?」
首を傾げながら音羽が訊いた。
「電話したんですがお出にならなかったので……しかし彼が早く帰りたいと言うもので、連絡せず直接送ってきてしまったんです。すみません」
天城が言う。
「なっ、なに謝ってるんだよ!電話はわざとほっとい……いや、ええと、は、入って!」
津黒は店から居間へ続く引き戸を開け放つと、畳の上に散らばっているゴミやガラクタを足で蹴飛ばして隅に寄せ、二人が座る場所を作った。
「どっどうぞ!散らかってるけどっ!」
振り返ると、天城が音羽を庇うようにしてゆっくりと歩いてくる所だった。まだ調子が悪いのだろうか?心配になりながら津黒はあらためて音羽の姿に目をやり、ぎょっとした。さっきはびっくりしていて気がつかなかったのだが、音羽は右腕をホルダーで肩から吊っている。
「音羽!?その腕……!まさか、折られたのか!?」
津黒は裸足で店に跳び下り、音羽に駆け寄った。
「あ!そっちは……」
天城が声を発したのと同時、津黒は鼻に衝撃を感じて目がくらんだ。
「店主!」
音羽が叫んだ――床にひっくり返った津黒を、天城が助け起こす。
「な、なに?今なんか、星が見えたんだけど……?」
目をチカチカさせながら立ち上がった津黒に音羽が詫びた。
「申し訳ない……この腕は折れたのではなくて、まだ上手く制御が効かないために固定してあるのだ」
「制御が効かない?」
じゃあ今、自分は音羽に殴られたのだろうか?ぽかんとした津黒に天城が答えた。
「音羽は今、右視野に欠けてる部分があって……その範囲内に一定の速度以上で接近する物体が入り込むと、自動的に右腕の反射神経が働いて防御行動を起こしてしまうんです……あ。鼻血……」
居間で津黒は、天城に鼻血の処置をしてもらった。
「視野が……欠けてるって……まさか、目が見えなく……?」
「いえ、眼球に問題は無いです。神経に直接強い刺激を何度も受けたため、負担がかかり過ぎて回路が破損し、それが完全に修復するのに少し時間がかかってるのだと思います」
慣れた手つきで津黒の手当てをしながら、天城が説明する。
「よくわかんないけど……治るんだよね?」
「はい。修復がすめば」
津黒はほっとしてため息をついた。
「良かった……」
「やはり……帰るのはまだ早すぎたようだ……」
音羽が沈んだ調子で言った。吊ってある自分の右腕を見下ろす。
「班長にも、危険だからもう少し待った方がいいと言われたのに……ホルダーで固定しておけば大丈夫だろうと考えたのだが判断が甘かった……これでは強度が足りなくて動きを抑制しきれないし」
「ちょ、ちょっと待って!?」
混乱してきて津黒は叫んだ。
「危険って……天城さん!あんたが危険だから音羽を預かるって言ったの、もしかして……俺に怪我させたら危険だからっていう意味だったの!?」
「そうですが……伝わっていなかったですか?」
天城が不思議そうに訊ねる。
「伝わってませんよ!だって、あんなに弱ってた音羽のどこ見て危険だなんていう判断が出てくるのよ!?」
「彼が神経系に破損を受けてるというのは、あの時見てすぐわかりました。破損したままの状態であれば身体も動かせないので危険は無いです。ですが修復が進んできた頃が危ないんです。さっきのような不随意運動が思わぬ状況で出てしまう場合が多いので」
津黒は絶句して兵士二人の顔を見た。悲しいのと嬉しいのが混ざり合った複雑な気分だ――どういう奴らなんだこいつらは。人間にあんな目に遭わされて――なのにまだ、人間の安全を第一に考えてる。恨むということを知らないのだろうか?それって――なんて哀れで……愛おしい……
「畜生!大好きだお前ら!」
津黒は思わず目の前の二人に飛びついてまとめて抱き締めようとした。しかし音羽の右腕が津黒の動きにいち早く反応し、肘が鳩尾に決まってしまった。
「てっ、店主!」
音羽が珍しく慌てた声を出す。畳に転がった津黒は、引き攣った顔で音羽に向かって微笑んだ。
「い、いいんだいいんだ!好きなだけ殴ってくれて構わないんだ!音羽ちゃん、お帰り!帰って来てくれて嬉しいよ……!」
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