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第44話
古書店に帰ってきた夜、音羽は寝室のベッドに一人で横たわった。津黒は階下にあるソファに寝ている――自分なら寝る場所はどこでも構わない、と言ったのだが――津黒は、まだ体が心配だからと少々強引に音羽にベッドを譲った。
視線の先にはいつもの天井があって――休むのは、やはりここが一番落ち着く、と音羽は思った。本当は、津黒の寝息を間近で聞くと更に落ち着く――しかし身体が治るまで一緒に寝るのは危険だろう。
修復が早く済めばいいのだが――音羽は小さくため息をつき、目を閉じた。
翌朝目を覚ました時、既に日は大分高くなっていた。また結構長い間眠っていたようだ――通常ならこれほど続けて休息を必要とすることはない。破損箇所の回復にまだかなりのエネルギーを取られているらしい。
視野の修復は進まないようで、相変わらず右側が半分近く闇に覆われている。通常視力以外の探知機能もかなり落ちてしまっているために、周囲の様子が掴めず音羽は珍しく不安を覚えた。
スムーズに動かない脚を引きずるようにして、左手で壁を伝いながら慎重に階段を下りる――ここが戦場であれば、この状態では即座に戦闘継続不能と判断され、回収されて解体処分にまわされていることだろう。もしくはとっくに敵に討ち取られているか――
津黒は地下倉庫にいるようだ。
音羽が倉庫まで様子を見に下りて行くと、津黒はそこで脚立に腰掛け、コテを片手に何か熱心に作業していた。セメントで地下通路への扉を塗り込めているらしい。
「店主?」
声をかけると津黒は振り返って笑顔を見せた。
「やあ音羽ちゃん。気分どう?」
いつも通りの津黒の様子に音羽は酷くほっとした――使い物にならない自分の身体に対して彼がどう思うか気になっていたのだ。
「大分良い――手伝おう。しかし、扉を塞いでしまって構わないのか?」
本当は良いとは言えないコンディションだったが、無理して音羽はそう言った。
「あと少しで終わるから大丈夫。音羽ちゃんはゆっくり休んでて。この扉はいいんだ。もう、使わないから」
作業を続けながら津黒は答えた。
「未練たらしく何か金になる利用法はねーかなあと思って塞がずにいたんだけど……物騒な事に使われるのはもう御免だもんな。この外の、通路に繋がるもう一つの扉もセメント流し込んでがっちり固めたし、おかしな奴らがここから侵入して来ることはまずないと思うから安心してよ。まあ、天城さんみたいなのが相手だと防げるかわかんねえけどな、ハハ」
「では、店主がそこを塞いでいるのは、もしかして自分のためなのか?」
「うん」
津黒は手を止めずに頷いた。
「今回の事――俺、かなり反省してるんだ。音羽ちゃんをあんな目に遭わせちまったのは俺の責任だから」
理解できず音羽は訊ねた。
「なぜ店主の責任なのだ?」
津黒が言い難そうに答える。
「なぜって、それは――俺がいつも自分がラクしたり楽しんだりすることしか考えてない――身勝手で我侭な人間だからさ……」
「しかし本来人間は、そういうものなのでは?」
「――お前らは――違うじゃんか」
「我々は、人間ではない。人間のそういった欲求を満たすのを手助けするため造られた人造生命体だ。だから我々を何にどう使おうと、それは人間の自由だ」
津黒が動かしていた手を止め、何か言いたげに音羽を振り返った。音羽はその彼の顔を見返しながら続けた。
「――と、今まではそう思っていた」
津黒が不思議そうな表情をする。
「あの――懲罰棒を持つ者は、我々にとっては絶対的な権限を持つ。それは政府軍の基礎訓練で散々教え込まれてきた事だ。あれを見ると反射的に身体が竦む。罰せられた時の苦痛を思い出すからだ」
「それで……あの時……あんな状態に……」
「だから自分は今回、あの越野という男に従った。従ってさえいれば棒による苦痛を受けずに済む、そのはずだった。しかし、あの男は……」
音羽は床に視線を落とした。
「……自分に苦痛を与えること自体が面白いと言った……それを目的にされては……いくら命令に従おうとも、苦痛を避けるのは不可能だという事になってしまう……」
「あの……糞野郎……ッ!」
唸るように言って津黒は、手にしていたセメントをコテごと壁に投げつけた。
音羽は脚を軽く引きずって脚立に近付き、壁面を滑り落ちたコテを左手で拾い上げた。
「そういった状況に置かれて初めて――もう従いたくない、と感じた。政府軍に所属していた間だったら考えられなかったことだ」
津黒にコテを手渡す。
「しかし革命軍は、人造生命体自身にも意思があると認めている。それはつまり、従いたくなければ、従わなくていいということだ。例え懲罰棒を持つ相手にでも――違うだろうか?」
「違わない!違わないよ!」
津黒が叫んだ。音羽は脚立に身体をもたせかけ、狭い視界の中、倉庫に積み上げられている本を眺めた。
「ここに――戻ってきたかった。まだ自分の身が修復途中で店主にとって危険だということは承知している。しかし一刻も早く、戻って店主に会いたかった……だから班長に無理を言って連れて来てもらったのだ。今は――とても満足だ」
脚立の上の津黒を見上げた。
「身勝手で我侭に振舞うというのも、悪くない気分だ。二度も殴ったのは申し訳なかったが」
津黒はじっと音羽を見下ろしている。音羽は首を傾げた。
「――何か?」
「俺、今すげえ……音羽ちゃんにキスしたいんだけど、いいかな?」
「……構わない」
音羽は小さく頷いた。津黒は脚立から下りてくると、用心深く左側からそっと音羽の唇に口付けた。
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