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第46話
暫くして、休みが取れた天城は津黒の古書店へ音羽の様子を見に行ってみた。
古めかしいドアを押し開けて中に入ると、音羽が書棚の整理をしていた。見れば彼は相変わらず右腕を吊っている。
「班長ではないか。どうかしたのか?」
「え?天城さん?」
奥にあるガラスケースの向こう側で津黒が起き上がって姿を見せた。
「音羽の様子を見に寄ったんです。修復がどの位進んだかなと――音羽、右視野はまだ戻らないのか?」
「まだだ」
「ちょっと……いいか?」
天城は音羽に近づいて、彼の瞳を覗き込んだ。
「脚は?」
「あんまり……調子が良さそうではないんですよね……」
立ち上がった津黒が側に来て答える。
「相変わらず引きずってるし。本人痛みは無いって言うんですけど」
天城の予測では、今頃はもっと良くなっていていいはずだった。神経の修復が上手く進んでいないのだろうか……どういうことだろう?気になったので天城は二人に提案した。
「自分が世話になってる研究所で診てもらったらどうかと思うんですが……あそこは治療設備もありますし」
津黒が即座に頷いた。
「あ、うん!それはぜひ!俺、心配だったんだよ。なかなか治らないみたいだからさ……痛々しくて」
「痛々しいというのはどちらかというと自分の台詞だ」
音羽が言い添える。
「なんでよ?」
「店主は自分に殴られ続けているではないか」
「それは……俺がつい不用意にあんたに近付くからで……自業自得だからいいんですよ……」
なぜか津黒は赤くなって答えた。
「それでしたら、次の休業日にでも。研究所には自分の方から話しておきますので」
天城は二人に伝えて店を出ようとした。そこに津黒が声をかけ引きとめる。
「あ、天城さん、待って!それって、今からじゃ無理かな?」
「今からですか?大丈夫だと思いますが……お店は?」
「いい、いい。臨時休業!できるだけ早く診てもらいたいんだよ」
天城は二人を連れて店を出た。音羽は右足が殆ど持ち上がらないようで、かなり引きずっている。その様子を見て天城はやはりおかしい、と感じた。自分が音羽を看た時、彼の状態はあそこまで酷くはなかったはずだ。
まさか――悪くなっている?天城はかすかに不安を覚えた。津黒が出来るだけ早く診て欲しい、と希望したのは正しい判断だったかもしれない。研究所に連れて行けば修復が遅れている理由がわかるだろう。
顔なじみの職員に事情を話し、音羽を預けた。天城は津黒と二人で廊下の隅にある長椅子に腰掛け、診断が終わるのを待つことにした。
津黒が窓の外を眺めながら言う。
「天城さんが来てくれて良かった……俺じゃどうしたらいいかわからなかったんですよ。音羽は、そのうち治るから大丈夫、としか言わないし」
「彼自身も自分の状態がよくわかっていないのかもしれません。我々は痛みには鈍いですから」
「そうなの?」
津黒は天城の顔を見た。
「やっぱりそうか……それ知ってりゃ良かったな。脚だってあんなに引きずって、おかしいと思ってたんだ……」
ため息をつく。
「あいつなんだか、力が弱ってきてる気もするんだよ。パンチくらったとき受けるダメージが段々下がってきたし……今じゃ最初の時ほど効かないんだよなあ」
「そ、そんなに何度も殴られてるんですか?だったらあんまり側に近付かない方が……」
津黒は苦笑した。
「それができりゃ苦労しないの」
「なぜ?」
「なぜってそれは――聞かないでよ……」
廊下の中ほどにある扉が開いて、職員が顔を覗かせた。津黒が立ち上がって行き、彼に訊ねた。
「済んだんですか?」
「ええ、一通りの検査は。結果が出るまで少しかかりますから、待っていていただけますか?」
「はい」
津黒は頷いた。
天城が津黒と部屋の中へ入っていくと、音羽はシャツを羽織っているところだった。上手く動かない右腕には、津黒が袖を通させてやった。
「なんか、腹減ったねえ。結果待つ間に昼メシ食いに行って来ようか」
ボタンをはめてやりながら津黒が呟く。
「あ、でしたら……近くに美味い食堂がありますよ」
天城は言って、二人を誘った。
気に入りの食堂に天城は二人を連れて入った。給仕の少年が天城に声をかける。
「天城さんいらっしゃい、いつもの?」
「うん」
天城は頷いた。
「ここのオムライス、美味いですよ」
「へえオムライスね。食ったのガキんとき以来だな、懐かしい。じゃあ俺もそれにしようっと」
津黒は言いながら席に腰を下ろし、音羽にメニューを見せた。
「音羽ちゃんどれがいい?」
「これはなんだ?」
音羽が左手でメニューを指さす。
「どれ?トンカツ……?え!?あんたトンカツ知らないの!?」
津黒が驚いて仰け反った。
「知らないと何か差し障りが?」
「いや差し障りはないですけど……音羽ちゃんはどうも知識に偏りがありすぎるんだよなあ……じゃあ食ってみたら?トンカツはスタミナつくし、いいと思うよ」
音羽は頷いた。
「ふむ。では後学のためにそうしよう」
「後学ねえ……」
苦笑いしながら津黒は注文を出した。
食事が運ばれて食べ始めると、津黒が妙な表情で音羽を見ている。
「……音羽ちゃん?」
「なにか?」
「ちょっと聞くけど……あんた、左利きだった?」
右腕を吊っている音羽は、左手で箸を使いカツを口に運んでいる。天城は津黒に説明してやった。
「人造兵は、特に右利きでも左利きでもないんです。人間の道具には右利き用の物が多いので、普段はそれに合わせていますが」
「なんじゃそりゃー!」
それを聞いてなぜか津黒が叫んだ。
「利き手が使えないと思ったから俺が食べさせてやってたんでしょうが!左で問題なく食えるならなぜそう言わない!?」
「ラクだったもので」
悪びれもせず答えた音羽の顔を見たまま、津黒は絶句している。その様子を可笑しく思いながら天城はふと、羨ましさを覚えた。
そう感じる理由――自分のような衛生兵は、その職務の都合上、通常の人造兵には無い保護欲や同情心が与えられ、そのレベルも高めに設定されたと研究所の職員から聞いた。弱っている個体を見ると世話がしたくなるように作られているらしい。現在の音羽の身体からは、天城のその反応を引き出すシグナルが強く発せられている。しかし彼が甘えの感情を示して頼っている相手は津黒なので、天城の出る幕はなく、それが残念に感じるのだろう――そう考えればこの不可思議な感覚に合理的な説明は付く。だが――それだけだろうか?
音羽がぽつりと言った。
「最近店主は自分が人間である事をやけに卑下するが、その必要は無い。我々人造兵にも人間のような欲はあって、時にはこうして必要な事をあえて伝えなかったりもする。人造生命体が必ずしも純粋とは限らないのだから、店主ばかりが罪悪感を持たずとも良いのだ」
「そ、そぉなの?そりゃどうも……」
津黒は慌てたようにコップを掴み、残っていた水を口に流し込んだ。
「トンカツは美味だった。勉強になった」
口元を拭いた紙ナプキンをテーブルに置きながら、音羽は穏やかに言った。
二人の会話を聞いて天城は思った――彼らが普段どんな生活をしているのかは知らないし、今の話の意味も細かいところまではわからない。しかし音羽が、自分が行動に示す事で津黒が感じているらしい罪悪感を軽減させようとしているのは察しがつく。それは音羽の津黒に対する思いやり――愛情だ。
愛情を持つ対象――音羽のようにその相手を得たら、いったいどんな感じがするのだろう。それが先ほどの彼らを見て羨ましく思った原因だ――過去の自分は、それを持った事があったのだろうか――
研究所へ戻ると、音羽を診た職員が治療を継続したいので暫くここに通ってくれ、と言う。もう少し具体的な説明を聞きたがる津黒に職員はなぜかあいまいに言葉を濁し、とにかく通うように、とだけ念を押した。
数日後――天城が仕事から帰ってくると、丁度音羽が研究所の建物から出て来るところに出くわした。診察があったらしい。
「音羽。調子どうだ?――津黒さんは?」
「あまり変化は無い。店主は職員の人から説明を受けている」
「説明?」
なぜ津黒にだけ?と天城が疑問に感じたとき、音羽が足元の段差を踏みそこなってよろけた。天城は慌てて腕を伸ばし、彼の身体を支えてやった。
「申し訳ない――目がよく見えなくて」
「音羽!」
後ろから来ていた津黒が叫んだ。
「音羽――大丈夫か?――ああ、天城さん、ありがとう」
なんだか津黒は顔色が悪い。
「いえ。あのう、津黒さん――?大丈夫ですか?」
「え?俺?うん、大丈夫大丈夫……」
タクシーを呼んだというので、天城は音羽がそこまで歩くのを手助けしたのだが――その様子を見て驚いた。以前より更に悪くなっている。どうしたことだろう――
後部座席に音羽を座らせてから、津黒は自分がタクシーに乗り込む間際、小さな声で天城に
「あとで――電話させてください」
と囁いた。
深夜近く、津黒は電話をかけてきた。
「すみません、遅くに」
「かまいません。どうしたんですか?音羽のことですか?」
「うん、そう……」
津黒は疲れた声で言った。
「職員の人に言われたんだけど……現状では、治す術がないそうなんだ」
「え――?」
「検査によると……神経回路の修復自体は済んでるのに、なにか伝達を阻害する物質が体内から発生してて……正体も原因もわからないからそれを取り除くことができないらしい。だから麻痺が消えなくて、しかも……」
津黒は一旦そこで言葉を切った。
「このままだと、その物質の量が増えて全身に広がるって……」
「まさか……」
天城は愕然とした。神経の伝達を阻害する物質?一体なんなのだろう。
「研究所には通ってくれって言われてるけど、治す方法がないんじゃあ……ねえ……」
津黒は力なく続けた。
「でも頼れる機関はあそこしかないから……あの、天城さん」
「はい」
「忙しいだろうけど、時々うちの店に顔出してやってくれるかな。音羽ちゃんはアンタが懐かしいみたいだからさ……」
「はい、寄らせてもらいます……」
天城は約束して電話を切った。
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