研究所を出てから、音羽は津黒の様子がおかしいのに気が付いていた。夜、自分が寝室へ入ったあと、津黒がどこかへ電話しているようなので、まずいとは知りながら音羽は聞き耳を立てた――聴力も弱っていて以前であれば簡単に聞き取れる範囲内だった階下からの音声が、かなり意識しないと集音できない。 津黒は低い声で話しているのであまりはっきりしなかったが――内容はやはり自分のことらしかった。いずれ症状は全身に広がるようだ。そうなると？どうなるのだろう。音羽は考えた。 現在右目は視野が更に狭まっている。左側にも欠損部分が現れた。これも症状の一環だとすると、やがて両目とも視力はなくなるのだろう……こうして……身体の機能が順繰りに使えなくなっていくのだろうか。 音羽は左腕を支えに身体を起こし、階下の津黒を呼んだ。津黒はすぐ階段を駆け上がってきた。 「なに？音羽ちゃん、トイレ？」 「いや……」 津黒の顔をじっと見つめた。視力がある今のうちにきちんと見ておかなければ。 「――店主。今夜からは以前のようにここで一緒に寝て欲しい……心配するかと思い話していなかったのだが、実はこの右腕は暫く前から完全に動かない。もう殴ることはないと思う」 それを聞くと、津黒はかなりショックを受けたようだった。 「そんな顔をしないで欲しい……どうだろう、叶えてもらえるだろうか？」 音羽は頼んだ。 「当たり前だよ……」 津黒はベッドの上の音羽に近付いて、身体を包み込むように抱いてくれた。 「俺だって、音羽ちゃんと一緒に寝たいんだからさ」 久しぶりに、二人並んでベッドに横たわった。その窮屈さを懐かしく感じながら、天井を見上げて音羽は呟いた。 「済まなかったが、さっきの電話の会話を聞かせてもらった」 「え――」 「気遣いはいらない。自分の身体の事だ。大体予測はついていた」 「――まだ治らないと決まったわけじゃない」 津黒は怒った風に呟く。 「そうだな」 音羽は静かに同意した。