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第49話
天城は時々古書店へ音羽たちを訪れていた。だが日に日に悪くなっていく音羽の様子を見るのは辛い。口には出さないが津黒も大分消耗している。たまには自分が音羽を預かるから身体を休めてみてはどうかと提案したのだが、津黒は笑顔で天城の申し出を断った。
「音羽の事は自分が看るって決めてるんで――ちゃらんぽらんが身上の俺だけど、これだけはね」
あるうららかな日――天城が店を訪れると津黒達はそこにはいなかった。店に閉じ込めるのは可哀想だからと言って津黒は音羽を車椅子に乗せ、よく散歩に出かけている。きっと今日もそうだろうと思い、天城は二人の散歩コースである公園に足を向けた。
予想通り公園で二人を見つけた――津黒は音羽に日光浴をさせているらしく、柔らかな日差しの下に佇んでいる。天城はそこへ近付き、声をかけた。
「津黒さん、音羽。やっぱここでしたか」
「おお、天城さん。うん、今日天気いいから」
音羽は病み衰えるという様子はなくて、栄養補給のためのチューブが入れられているのを覗けば外見は前と変わっていない。しかし今では左手の意思伝達も無理になってしまい、意識があるのかすら判然としない――まるで人形のような状態だった。
「あの、天城さん。ちょっと……」
津黒が言った。
「ええと……コーヒーでもどう?」
「え?ええ」
「音羽ちゃん、ここでちょっと待っててな。すぐ戻るから」
津黒は音羽の耳元に囁くと車椅子を木陰に移し、石段を数段下りたところにある自動販売機に天城を誘った。
「あいつにゃもう聞こえてないのはわかってるんだけど、なんとなくね」
津黒は天城に言い訳しながら缶コーヒーを二つ買った。一つを天城に渡す。
「どうか……されましたか?」
「うん……」
缶で掌を温めるようにしながら津黒は言った。
「音羽、さ……研究所の人に、いつ呼吸が止まるかわからないって言われてるんだ」
青白い顔でため息をつく。
「俺、毎日恐ろしくてさ。呼吸が止まったら――どうしたらいいんだろう?」
天城は暫く考えて答えた。
「ご自宅に人工呼吸器を用意しておくと良いかもしれませんね」
「人工呼吸器……そうか」
津黒はまだ何か言いたげだった。
「津黒さん……大丈夫ですか?」
「え?あ、うん、大丈夫。ええと……前に音羽が言ってたんだけど……あいつ、研究所に献体希望してたんだよね」
「献体?そうなんですか……」
「そう……自分の身体が完全に動かなくなったら、研究所で政府軍人造兵の分析調査のために使って欲しい、って。でもそんな実験材料になるみたいなこと……俺が決心つかなくて、絶対いやだとか言っちまったんだ。で、それ以降音羽はその事については何も言わなかったんだけど……」
天城は黙って聞いていた。
「……天城さんはどう思う?」
「え?」
「献体のこと。人工呼吸器をつければ自発呼吸が止まっても生きてはいられるだろうけど、音羽は……そうするのを喜ばないんじゃないかと思ってね……」
津黒は泣き笑いのような顔になった。
「意思が伝えられる間に、ちゃんと決めておいてやれば良かった……今じゃあいつの気持ちも確認できないもんなあ……」
言いながら音羽の方に目をやった津黒の表情が、突然険しくなった。
「おい!?何やってんだ!?」
恐ろしい勢いで津黒は石段を飛び越して行った。車椅子の音羽の前に、薄汚い身なりの男が屈み込んでいたのだ。
男は津黒が声を上げたと同時に、素早く身を翻して駆け去っていた。
「なんなんだ全く……のんびり立ち話もできやしないよ……」
まだ怒った風に津黒が言う。
「そうですね……」
同意しながら天城がふと音羽に目をやると、膝に置かれた彼の手元に何か紙片が挟み込まれていた――走り書きされたらしい細かい文字が見える。
紙片を取り上げた天城に津黒が尋ねた。
「なに?それ。今の奴が置いてったの?」
「多分……」
そこに書かれた文字に目を走らせた天城は
「これ……まさか……」
と呟いた。
津黒が不審げに訊ねる。
「え?まさか?って?」
「自分の勘が正しければ……これは化学式です。恐らくワクチンの」
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