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第50話
二人はすぐその足で研究所へ向かったが、医学の知識など何もない津黒には天城の言う事は半信半疑だった。それに紙片の走り書きがワクチンの成分だったとしても、あんなホームレスがなぜそれを――?
一つだけ思い当たるのは――あの男が、以前音羽が気にしていた相手かもしれない、という事だ。接触があったようだから男が音羽の事を覚えている可能性はある。音羽は男が政府軍の関係者だろうと予測していた。だとしたら――あの男が人造兵について何か知識を持っていてもおかしくはない。
ともかく――研究所へ急ぎながら津黒は思った。ともかく、今は天城の勘に縋るしかない。それしか道は残されていないのだ――
研究所の職員に紙片を見せ天城は何事か打ち合わせている。津黒は車椅子の脇にしゃがみ、音羽の手を取った――握り返してくる事もなくなったその手を、ゆっくりとさする。
話し込んでいた天城がこちらに戻ってきた。
「このまま音羽を預かりたいそうなんですが――いいですか?」
「うん」
津黒は音羽の腕を離さないまま頷いた。
ワクチンはすぐに合成され、音羽への投与が始まった。治療が開始されてから4日目――音羽は微かに外からの刺激に対して反応を示した。研究所の職員からそれを聞き、津黒は生まれて初めて心の底から神に祈った。神様――ほんとにいるのかわからないけど――どうか――どうかこのまま、治療がうまく行きますように――
そして1週間後――音羽は研究室のベッドの上で目を開けた。
音羽の意識が戻ったと津黒の元に研究所から連絡が来たのは、朝方の4時を少し回った所だった。時間に関わらず何かあったら知らせてくれと頼み込んであったのでその通りにしてくれたのだ。津黒は即座に本屋を飛び出し、研究所へと走った。
途中で夜が明け、朝焼けが空に広がった――走りながらそれを目にして津黒は思わず鼻を啜り上げた――綺麗じゃねえか畜生!しかし自然を美しいなどと感じたのは、一体いつ以来だろう。
今ではすっかり顔なじみになった研究所の職員が、津黒が来たのを見てすぐに鍵を開けてくれた。建物の中に駆け込み音羽の病室へ向かう――しかしドアの前で津黒はぴたりと動きを止めた。なぜかいきなり不安に襲われてドアを開ける勇気を失ってしまったのだ。天城が前に具合を悪くした時は――記憶を無くす羽目になった。もし音羽がそうなってたら――どうしよう?
「店主?」
閉まっているドアの内から声をかけられて、津黒は飛び上がった。なっ――なんで?なんで俺がここにいるのがわかったんだ?まさかもう――熱探知や何かの能力が戻っているのか?
「どうして入ってこないのだ?何か問題が?」
「おっ――音羽!」
叫びながら津黒はドアを開けた。腕にはまだ点滴が繋がれているが、音羽はベッドの上に起き上がっている。
「音羽!もう――大丈夫なのか!?良かった!」
部屋へ飛び込んで思い切り彼を抱き締めた。音羽は顔色も良くて、思ったよりずっと元気そうで――信じられない。俺は夢を見てるんじゃないだろうか――
「店主、一体どうしたのだ、その姿は……」
「へ!?」
「病気か?」
「病気はあんたでしょ……」
言いながら津黒は室内の壁に取り付けられていた鏡に目をやり、ギョッとした。そこに映った自分の姿ときたら――頬は痩せこけ、眼帯が無い方の目は血走って、その上クマが貼り付いている。髪もボサボサで無精髭が伸び放題――音羽が心配でロクに寝ていないし、自分の身づくろいどころではなかったのだ。
「ああ~、あはは……こりゃなんとも見苦しい……いや、病気じゃない。病気じゃないよ……」
情けなく言った津黒に向かって、驚いたことに音羽が微笑んだ。津黒は一瞬ぽかんとその顔を見つめ――次いで泣き出した。
「店主……」
「ああ……ああごめん……嬉しくて……神様ありがとう……」
津黒は泣きながら――あらためて音羽を抱き締めた。
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