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第51話

「ほんとにさあ……治るの早くてびっくりしたよ。早いなんてもんじゃない、連絡来たその日にもう起きてんだもの」 天城の気に入りの食堂で、オムライスを口に運びながら津黒がしみじみと言った。隣では音羽が完治した右手に箸を持ってトンカツを食べている――以前注文した際気に入ったらしい。 「我々は元々回復が早いですから――でもそれだけじゃなくて、動けなかった間の津黒さんのケアが良かったためだろうって研究所の人が話してましたよ」 向かいの席で、同じくオムライスを食べていた天城はスプーンを止めて答えた。 「そ、そうかい?俺は特別な事は何もしてなかったけどね……」 「そんな事は無い。随分と愛情をかけてもらった」 音羽が言うと津黒は顔を赤くした。 「すっ――澄ましてそういう台詞吐くんじゃないよお前は!」 「違ったか?では、義務感だけだったという事か――」 これ見よがしにため息を吐く。 「ちち、ちが……!そうじゃないけど……!」 「あんまり津黒さんからかうなよ音羽、可哀想だよ……」 天城は苦笑しながら口を出した。 「え!?からかう?お、俺からかわれたの?今?」 津黒は酷く驚いて兵士二人の顔を交互に見ている。 「音羽ちゃんてば!人をからかうなんて高度な技術、いつの間に会得したのよ!?」 「そんな大層なものか?」 「大層ですよ!だってあんた、前はまったく冗談通じないタイプだったじゃない!」 音羽は視線を上にやって少し考え、頷いた。 「確かにそうだ。以前の自分は、冗談というものを用いる意味がわからなかった。なぜわざわざ事実でないことを会話に含ませたりする必要があるのか理解できなかったのだ。伝達効率が落ちるし聞く方も時間の無駄だ」 「身もフタも無い言い方するよこの人は……ねえ」 天城に向かって肩を竦めた津黒を穏やかに見やってから、音羽は続けた。 「しかし今は、そうは思っていない。時には効率より大切なこともある」 「そりゃ随分……意見変わったね」 「動けなかった間は思考する以外に出来る事がなかったから、あれこれと考えるうち意見が変化した部分も多いのだ」 津黒が気の毒そうな表情をする。 「店主がそんな顔をすることはない。自分は、良い体験だったと思っている」 「良いわけないでしょ……」 「受け止め方次第だ。おかげで店主をからかう技術も会得できたし」 「そんなもん会得しないでいいっつぅの……」 津黒は笑って頭を掻いた。 「今日、もう音羽はうちに帰れるんですよね?」 天城が訊ねると、今ではすっかり顔色の良くなった津黒が嬉しげに頷いた――それを見て天城も嬉しかった。 「治って本当に……良かったです……」 「班長」 音羽が言った。 「班長は、ノアを覚えているか?」 「えっ?」 いきなり聞かれて天城は戸惑った。ノア――聞き覚えのある名だ。少し考えて思い出した。以前自分の身元引受人だったという遠野親子と一緒にいたネコだ。 「うん、覚えてる……それが?」 「その覚えているというのは、上書きを受ける前の事か?それとも後か?」 「後だけど?」 「だろうな」 納得したように音羽は頷いた。 「班長は上書きされる以前、そのノアに非常に世話になっていたのだ」 「ああ、遠野さんたちに身元引き受け人やってもらってたらしいね」 「そんな事務的な話をしているのではない!」 天城の返答になぜか音羽は苛立った様子を見せた。津黒が驚いて訊ねる。 「音羽ちゃん?どうしたんだよ?」 「良い機会だから言っておく。班長はノアにきちんと礼をするべきだ。今回自分が店主の世話になってわかったが、壊れた人造兵のケアをするのは並ではない大変さなのだ。そんな恩を受けておいて、ノアをほったらかしにしているのはどういう訳だ?」 「ちょっと!落ち着きなよ音羽ちゃん。天城さん責めたってしょうがないだろ、記憶がないんだから……」 「それはわかっている。しかし自分は、班長になされた記憶の上書きが完全では無いという事も確信している。その証拠に班長は、衛生兵として働くはずだった頃の機能を未だにしっかりと有しているではないか。それが残っていて、なぜノアの事を忘れている?あまりにも不自然だ」 「不自然て……」 困った顔の津黒を見て音羽は冷静になったのか、呼吸を整え、天城に詫びた。 「……興奮して申し訳ない。今頃になって……色々と理解できた事があるもので。実は以前、ノアが一人で公園にいたのを見たのだ。花を見にきたと言っていたから、自分は彼の言葉をその通りに受け止めた。しかし本当は……ノアは班長に会いたかったのだと思う。あそこに行ったところで会えないのは彼もわかっていたろうが、きっと、そうせずにはいられなかったのだ……」 天城は黙って聞いていた。 「班長が上書き処置を受ける前、皆で公園へ行った事がある。そこで自分はノアが班長の世話をしているところを見た。自力で食物を摂取できない状態だった班長の介添えをする際、ノアは――それが何でどういう物か、誰がどうやって作ったか、事細かに話し聞かせながら食べさせてやっていた。ちょうど店主が……視力を失い、手足が動かなくなった自分にしてくれていたのと同じように」 音羽は、隣に座る津黒に愛おしげに目をやった。 「――あの時の自分には――ノアがなぜわざわざそんな風にしているのか理解できなかった。だが今はわかる。そしてノアが、どんな気持ちだったかも。それを思うと自分は――ノアが痛ましくてならないのだ――」 「正直……こたえたな……」 食堂を出た帰り道、天城は歩きながらぽつりと呟いた。音羽がこちらを見る。 「すまなかった。あんな言い方をするつもりではなかったのだが、つい。班長の責任ではないという事は自分も充分承知している」 「いや……」 天城は空を仰いだ。辺りはすっかり暗くなって星が出ている。 「言ってもらえて良かったよ。お陰で、自分が逃げてたって事がハッキリしたから」 「逃げてた?」 訊ねた津黒に向かって天城は頷いた。 「自分が知らない過去の自分の事で――あの人たちに何か言われるのが恐ろしかったんです。お前はこういう奴じゃなかった、がっかりした――そんな風に思われて今の自分を否定されたらどうしよう――と」 「その心配は無い」 音羽が請合う。 「彼らは、過去の班長と今の班長を比べるような事はしないはずだ」 「うん」 天城はもう一度頷いた。 「うん――俺も、そう思う。今度は逃げずにちゃんと会いに行って……ちゃんと世話になった礼を言って。それからできればもう一度――ノアと知り合おうと思う……」 津黒が音羽にしたように――自分の世話をしてくれたというネコ。彼の事を、もっと知ってみたい。 「それがいい」 音羽は、天城に向かっていたわるような表情を見せた。

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