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第56話

昼休み――買ってきたサンドイッチを齧りながら、天城は眉間に片手の指先をあてて小さく呻いた。作業着の胸ポケットから薬のカプセルを取り出して口に含み、傍らに置いていたボトル入りのソーダを開けて胃へ流し込む。 ノアといた時突然頭痛の発作を起こしてから、天城は度々同じ痛みに苦しめられるようになっていた。 外傷の痛みには耐性のある天城だが、この頭痛は不快感が酷く、たまりかねて研究所に相談しに行ってみた。診察はしてもらったのだが原因が掴めず、とりあえずということで鎮痛剤が処方され、今はそれで痛みを抑えている。 薬を飲んでから、天城はため息をついて残りのサンドイッチを袋へ入れた――頭痛のせいで食欲は失せていた。隣で一緒に昼食を取っていた年配の作業員が心配そうに訊ねる。 「(アマ)ちゃん、どしたい?もう食わないの?また――頭痛かい?」 「あ、ええ、少し……」 「最近多いね。あんた頑丈なのにねえ。ちゃんと病院行ったかい?」 「はい、病院は――行ったんですが……」 話しながらふと作業場のトラック出入り口に目をやると、張られたトタン塀の脇からノアが顔を覗かせている。 「ちょ、ちょっとすいません。知り合いがあそこに来てるようなので――」 天城は慌てて腰掛けていた資材から立ち上がった。 駆け寄って行った天城に気付くと、ノアはぺこりと頭を下げた。 「ノア君。どうしたんですか?こんな所にいて」 「お仕事中にごめんなさい……ちょっと……心配だったから……」 申し訳なさそうに言ったノアに、天城は微笑んだ。 「今は休憩時間だから大丈夫。でもここはトラックが来て危ないので、そこまで出ましょうか」 歩き出しながら天城は訊ねた。 「心配って、自分をですか?」 「はい……」 ノアが頷く。 「頭痛……良くなりましたか……?」 あれから、天城はノアといる時に二度ほど頭痛の発作を起こしている。薬を飲んでいるところも見ていたし、気がかりなのだろう。 「ええ、大丈夫です。ちゃんと研究所で診て貰ってますから」 天城は答えながら、歩道の先にある小さな神社を指差した。 「あそこ行きましょうか。確かベンチがあったはずだから……」 境内には誰もいなかった。二人で隅のベンチに腰掛ける。 「そうだ」 天城は提げていた袋を開け、サンドイッチのパックを取り出した。 「ノア君、これ食べませんか?こっちは手をつけていないので」 「え?でも、天城さんのお昼じゃないんですか?」 「いいんです。買いすぎちゃった分ですから」 「そうですか?じゃあ――いただきます」 受け取ったパックをあけて食べ始めたノアの隣で、天城は境内を見回した。 「何か飲むもの――と思ったけど、ここ、なにもないですね。これは……口つけちゃったしな……」 「いいです。少し分けてください」 ノアが言い、一つのソーダを二人は交互に飲んだ。 「こんど――」 サンドイッチを頬張っているノアを眺めながら、天城は言った。 「――一緒に――どこかへ行きませんか?そうしたら、ご飯ご馳走します。こんな食べ残しじゃなくて……ちゃんとしたものを」 「え……いいんですか?」 天城が頷いて見せると、ノアは嬉しそうな顔をした。 「いつがいいですか?勉強が忙しくない日――なんて無いか……試験前は無理かもしれないですね」 「無理じゃないです!いつでもいいです!勉強――忙しい日でも」 ノアが勢い込んで言う。 「え?」 不思議に思って天城が顔を見ると、ノアは恥ずかしそうな様子をして俯いた。 「天城さんには言っちゃいますけど――本当は――あんまり行きたくないんです、学校……」 「えっ、そうなの?」 ノアは下を向いたまま頷いた。 「学校って、どんなところかよく知らなかったのに――つい行きたいって言っちゃったんです。勉強がこんなに大変だと思わなくって。でもおっちゃんたちに今更そんな事言えないし……本当は僕、学校には行かずに――店の手伝いがしたいんです……」 「そうなんだ。それは……困ったね」 「はい……」 ノアの元気がなくなると、彼の耳と尻尾までが一緒になんとなくくったりとして情けない様子になる。それが可哀想で、愛らしくて――天城は思わず腕を伸ばしてノアの頭を撫でた。 「じゃあ、今度の試験までは出来るだけ頑張って勉強して、それでもしも受からなかったら、正直にその話を遠野さんたちにしてみたらどうですか?」 天城の掌を頭に載せたまま、ノアは緑の瞳でこちらを見つめた。 「そう……ですね、今回頑張って、それで無理だったら……勉強、むいてないってことだと思う……でも試験も受けずに投げ出したらおっちゃんたちに申し訳ないから……はい、そうですね、そうしてみます!」 ノアは明るい表情になった。 「そう思ったら、今度の試験までは、できるだけ勉強頑張る気になってきました。天城さんありがとう!」 言いながらノアはごく自然に天城の脇に抱きついてきた。天城は笑ってそのノアを抱き返したのだが――その時、再び――鋭い頭痛が天城を襲った。 ノアに気付かれないよう、天城はどうにかその苦痛に耐えた。一体これは――なんなのだろうか―― 昼休みが終わってしまったので、ノアは仕事場へ戻る天城と別れ、食堂に帰る道を歩き出した。なぜかとても気分が軽い。今まで遠野家の人には悪くて言えなかったこと――本当は学校へはそれほど行きたくないという本心を、天城に打ち明けられたせいかもしれない。 こんど、っていつだろう。ノアは考えた。天城さんの休みの日だろうか……まさか二人でどこかへ行けるなんて思ってもみなかった――楽しみで、自然に顔が綻んでしまう。 うちへ帰ってくると、晋が店の前の道を掃いて掃除していた。 「あ!僕やるよ!」 「いや、もう終わるから……あ、じゃあ、ちりとり持ってきてくれるか?」 「うん!」 ちりとりを取って来て手伝うノアを眺めながら、晋が呟いた。 「なんかお前……今日元気だなあ。良い事でもあったか?」 「えっ?べつに……何も無いけど?」 ノアは少し赤くなって答えた。見透かされたようで照れ臭い――慌ててごみを片付ける。 「じゃ、じゃあ、上で勉強してるから!」 「お?おう」 「ああノアちゃん、お帰り。カステラあるよ。食べるかい?」 うちへ入ると、居間の卓袱台で新聞を読んでいた安彦が声をかけてきた。 「え、カステラ?食べる!」 「お皿と湯呑み持っておいで」 「はあい!」 安彦が切り分けてくれたカステラを、ノアは口に運んだ。 「おやじさん、お茶は?」 「まだ入ってるから大丈夫」 老眼鏡を押し上げながら新聞を見ている安彦に、ノアは言ってみた。 「あのね、おやじさん……天城さんが、こんど一緒にどこかへ行こうって……ご飯ご馳走してくれるんだって……」 「おや、そりゃ良かったじゃないか。天城くん、このところちょいちょい来るようだけど、また仲良くなったのかい?」 ノアは手を止めて考えた。 「仲良く……どうだろう……まだ……よくわからないけど……」 安彦の顔を見ながらノアは訊ねた。 「……仲良く……なれるかなあ、僕たち……」 「なれるともさ」 優しく微笑んで安彦が請け負ってくれたので、ノアも微笑んで小さく頷き、カステラを頬張った。

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