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第58話

天城は自室の畳の上に仰向けに寝、目を閉じ集中して――ノアに触れた時の感触を思い出そうとした。片手を軽く空中に上げ、想像の中でノアの形をなぞってみる。 柔らかい毛並み、華奢な首筋、細い肩――天城にとって、ノアはとても小さく弱々しい存在だ。常に庇い、護ってやりたくなるほどに―― ノアと一緒の時、閃くようにして目の前に現れた映像の断片を継ぎ合わせる。果てしなく広がる宇宙空間に散りばめられて輝く星々――薄暗い通路、むき出しのパイプが這う壁――それらは記憶の中に思い描くのとは少し違っていて、体感として、そこにあるように感じられる。やはり頭ではなく、身体が覚えているということなのだろうか――他にもっと何か――思い出せないか? 「!……()――」 天城は横たわったまま顔を顰めた。やはり、そうだ。頭だけで考えて思い出そうとすると、例の頭痛が襲ってくる。身体で得られる感覚をきっかけにして、頭痛が起きる前に、その身体が覚えている記憶を引き出すようにしなければ駄目なのだ―― 「ノア――」 今はひとまずあきらめることにし、天城は目を開け、呟いた。ノア、君の助けが必要だ。俺の中のどこかにいる、本物の天城を呼び戻すために―― 二人で出かけた後も、以前と同じに天城は勉強を教えに度々ノアを訪れている。 あの日をきっかけに晋が天城に気を許したためか、ノアは最近では下の居間ではなく二階にある自分の勉強部屋に天城を通すようになっていた。部屋で二人きりになるのはなんとなくくすぐったい感じもするが、遠野家の人達が自分を信頼してくれるようになったのだと思って天城は嬉しかった。 「天城さん、これ、ここどうやって解くの?Xの二乗と……」 隣で練習問題に取り組んでいたノアが尋ねた。 「どれ?ああこれは、まずここを因数分解して……」 天城はノアのノートを覗き込んで教えた。 スペースがあまり無い勉強机の前に椅子を二つ並べているので、時たまどうしても身体が触れ合ってしまう。そうやって自然に接触した際、ひらめく様にして過去の場面が目の前に蘇る事があり――天城は密かに、その瞬間を心待ちにするようになっていた。 その時にも、何かが断片的に見えた気がして天城は説明していた言葉を切った。それが消えてしまう前に、なんとか記憶にとどめようと必死に映像に集中する。しかし今回の感覚は非常に弱く、捕えようとしても逃げるように消えてしまった――天城はがっかりし、顔を顰めてつい小さく舌打ちした。 「――天城さん?」 ノアが不思議そうな様子で天城の顔を見上げる。 「あ?ああ、すいません。ちょっと……」 「やっぱこの問題、天城さんにも難しいんだねえ……どうしよ……」 ノアは可愛らしい勘違いをしてため息をついている。天城は微笑んだ。 「ええ、難しいですね……でも落ち着いて考えればきっと大丈夫だから」 そう答えながら、天城はノアの頭に手を置き、撫でた。指の間からぴょいと突き出た彼の耳を、弄ぶように軽く擦ったとき――さっきよりも強くひらめきが訪れた。これは、いったい―― 「ノア君――」 「え?」 こちらを見たノアに、天城は自分でも何をしているのか理解しないまま顔を寄せた。そうして彼の額に――唇をそっと押し付けた。 ノアはかなり驚いた様子だったが拒否はせず、じっとされるままにしていた。天城が身体を離そうとすると、今度はノアが両手で天城の顔をとらえ――再び自分の方へ引寄せて、目を閉じ唇同士を重ねた。 その柔らかな感触――初めてではない。天城ははっきりとそう感じた。 「ノア」 天城は名を呼び、ノアの身体を掻き抱いた。ああ覚えている、この身体――自分にとってこんなにもいじらしく、大切なものは他には無い――あの時も――宇宙船の中で何度もそう思ったのだ。 「天城さん。僕――天城さんの事が――」 腕の中で、ノアが何か言いかけたその時――頭がずきりと鋭く痛んで、天城はうめき声を上げた。抱いていたノアの身体から腕を解き、天城は椅子に座ったまま頭を抱えて突っ伏した。 「天城さん!?」 ノアが悲鳴に近い声を上げる。天城は声を絞り出すようにして言った。 「大丈夫――すまないが、水を――」 「待ってて」 ノアは部屋から駆け出して行き、すぐにコップを握り締めて戻ってきた。天城は震える手でポケットから薬を掴み出すと、台紙を引き裂いてカプセルを口に放り込み、ノアが差し出す水で飲み下した。 天城が薬を飲んでいる間に、再び部屋から出て行ったノアが布団を運んできた。それを床に敷いて声をかける。 「天城さん、ここに横になって」 「いや――大したことはないから――」 「お願いだから言う通りにして。薬が効くまで休んだ方がいい」 泣き出しそうな顔でそう言われ、天城は素直に布団に横たわった。 「ごめんよ――驚かせて」 ノアは何も言わずに首を横に振った。 ノアが身体に毛布をかけてくれる――天城はこめかみを押さえて目を閉じ、訊いた。 「さっき――」 「え?」 「さっき、何を――言おうとしてた?」 天城の枕元に座ったノアは、暫く黙っていたが、やがて小さな声で答えた。 「天城さんのことが――好きだ、って……」 天城は目を開け、顔を覆っていた手を外し、ノアに向かって差し出した。ノアがその手を握る。 「好き……」 天城は呟いた。 「それは――大事にしたい、一緒にいたい、って思う――そういう感覚の事でいいのかな」 ノアは頷いた。 「そうか――それなら――俺もノアの事が好きだ。それも、ものすごく」 「天城さん――」 ノアは消え入りそうな声で囁くと、布団に横たわっている天城の上にそっと被さってその身体を抱いた。

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