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第62話

「車を買うのは……難しいだろうか?」 買い込んだ食糧の袋を両手に提げて歩きながら、音羽は隣を歩く津黒に尋ねた。 「そぉだねえ……車は中古で探せば安いのもあるだろうけど、維持費がなあ……うち駐車場なんか()えからどこか借りなきゃならないし」 「そうか――やはり面倒なものなのだな」 「なに、音羽ちゃん、車欲しいの?」 「欲しいというか、あると便利だろうと思ったまでだ。本の配達にも使えるし、こういう買い物も楽に……」 音羽は言葉を切った。その場で歩を止め、前方を見つめる。 「……班長」 「え?天城さん?」 音羽の視線の先に、真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる天城の姿があった。 近付いてきた天城の様子がどこか殺気立っている――それに気付いて二人がハッとしたのと同時、天城は音羽に掴みかかった。避ける間もなく音羽は胸倉を捕まえられ、背中を道路脇のビルの壁面に押し付けられた。同じ人造兵だが天城の方が大型でずっと力が強い。 「ちょっ――天城さん!?なにすんだ!放せよ!」 津黒が叫んで手にしていた袋を放り捨て、天城の腕を音羽から解こうと取り付いた。しかし津黒の力ではどうにもならない。 「ノアに何を言った!?」 天城は音羽に、怒りを含んだ声でそう尋ねた。壁に押し付けられたまま音羽は声を絞り出して答えた。 「自分……が、見たもの――そのままを――」 「嘘を吐け!」 天城の前腕に力がこもり、咽喉を締め上げる――呼吸ができなくなり、音羽は小さく呻き声を発した。 「お前が余計な事を言ったに決まってる!でなきゃノアが――俺に会いたくないなんて言うはずが無い!」 「この野郎ッ!」 怒声がし、次いでガラスが砕ける音がした。津黒だった。 「今すぐ――音羽を放しやがれ!」 津黒は喚きながら、割った酒の瓶を天城に向け構えている。 「そいつに手ェ出すんなら先に俺を倒してからにしろ!恩人だって容赦はしねえぞ!」 「店主――馬鹿なこと――」 音羽は切れ切れに彼に言った。 「(かな)うわけが――逃げろ」 「誰が逃げるか!」 津黒が叫ぶ。 「人造兵がなんだってんだ!やれるもんならやってみやがれ!簡単には死なねえからな俺ぁ!」 急に天城の手の力が緩んだ。音羽は壁にもたれて喘ぎ、必死に呼吸を整えながら身構えた――矛先が津黒に向かうようなら対抗しなければならない。しかし天城は、音羽を解放するとその場から数歩退きつつ二人に詫びた。 「――すまなかった」 「……班長?」 「乱暴する気はなかったんだ――すまなかった」 天城は踵を返すと、そこから離れて姿を消した。 階下で晋が、天城と話す声がする。 「本人が会いたくないと言ってるし、俺も会わせる気はない。すまないが帰ってくれ……」 「しかし」 「電話でノアが説明したはずだ……うちのことは忘れて欲しい」 「でも!遠野さん!」 「ここにはもう来ないでくれ」 ノアは部屋で、耳を押さえて机に突っ伏した。 ごめんなさい天城さん―― 店へ来ても晋に追い返されるため、天城は電話をかけてくるようになったがノアは出なかった。晋はサービス会社に頼んで、天城の番号からの電話をブロックして止めてもらうようにした……。 その数日後の朝――ノアが部屋のカーテンを少し開けると、近くの建物の間に天城が佇んでいるのが見えた。驚いて、ノアは開きかけていたカーテンをすぐさま閉じた。 朝食を済ませてから恐る恐る外を覗くと、天城の姿は消えていた。仕事へ行ったのだろう。ノアは深いため息をつき、机の前に座った。 試験が近付いているが、全く集中できない――ノアは晋達に詫びて今回の試験は受けずにおき、学校の話は無しにしてもらおう、と思うようになっていた。 今度の試験までは頑張って勉強するって言ったのに――約束、破っちゃうね、天城さん。ノアは心の中で呟いた。僕は本当に酷いよね……皆に迷惑かけてばかりな気がする。 天城さんに元気になってもらうために、天城さんを避けることしか思いつかない――ほかにどうしたらいいのか――全然わからないんだ…… 夕方になって、ノアは何気なく窓の外を見てぎくりとした。天城が朝と同じ場所に立っている――一体いつからいたのだろう?仕事を終えてすぐ来たのだろうか?ノアは急いでカーテンを閉めた。 机の前に戻ったが、なんだか頭がぐらぐらして座っていられない。寝室へ行って布団を引っ張り出すと、中へ潜り込んでぎゅっと目を閉じ、今しがた見た光景を忘れようと努めた。 初め天城の姿を見かけるのは朝と晩だけだったのだが、ある時、彼が昼間もそこにいるのに気がついて、ノアは愕然とした。雨でもないし普通なら仕事をしているはずの時間帯だ。どうしたというのだろう? 翌日も、その翌日も天城はそこに佇んでいた。 店を気遣ってなのか少し距離を置いているため、晋や客には気付かれていないようだ。ノアの部屋の窓からはその場所が見えるが、駐車場に使われているビルの裏手で、さらに表通りからは陰になっている。あそこに天城がいるのを知っているのは恐らくノアだけだろう。 「――おっちゃん」 数日後の夜、ノアは決心して晋に向かい、言った。 「僕――暫くここを離れたいと思うんだ……」 晋は何も言わず、じっとノアを見つめていたが、やがて 「天城の事でか」 とぽつりと言った。ノアは頷いた。 「そう言い出すんじゃないかと思ってたよ……この所、お前全く外へ行かなくなって――あいつと出くわさないようにしてるんだろ?こんな状態が良いはずないよな……」 晋は静かに尋ねた。 「だがここを出て――どうする?」 「前いたバイオペットの自立支援センターに相談してみようと思ってる……そうしたら、仕事や、どこか住める場所を紹介してもらえるはずだから……」 暫く考えこんだ風になっていた晋が提案した。 「それでもいいが……この星から宇宙船でそんなかからない所に、俺のいとこが住んでてな――そこへ世話になるのはどうだ?えらく田舎の星なんで、何もなくて退屈かもしれないけど……そのいとこってのはちょっと変わってて――山ん中で皿作ったり箪笥作ったりして生活してるんだ。金はあまりないし、女にももてないけど優しいヤツだよ。一人住まいだから気を遣う必要も無いし」 「おっちゃんの、いとこ?」 ノアは目を見開いた。 「でも――いいのかな?」 「もちろん。あいつとは付き合い長いんで性格をよく知ってるが、お前となら気が合うと思う」 頷いた晋に、ノアは思わずしがみついた。 「おっちゃん、ありがとう――入学試験の勉強も続かなかったし、食堂も手伝えてないし――僕、勝手な事ばかりしてるのに――」 「ちっとも勝手なんかじゃないさ、そんな風に考えるな。生活費は送るから仕事の心配なぞしないで、空気の綺麗なとこで、今まで大変だった分のんびりしてくるといい。天城の事は、もう少し時間が経てばきっと解決する。そしたらすぐに帰って来いよ?お前はうちの子なんだからな」 晋を抱き締めたまま、ノアは何度も頷いた。 それから数日後、ノアは晋と安彦に見送られ、小型船で宙港を飛び立った――

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