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第63話

仕事を終えた銀嶺は、駅から自宅への道を足早に歩いていた。数時間前に日が落ちて、辺りはすっかり暗くなり外灯がともっている。 宿舎の部屋には同居中の相模が銀嶺の帰りを待ってくれている。誰もいない真っ暗な部屋へ帰らねばならなかった時とはなんて気分が違う事だろう――邪気の無い相模の笑顔を思い出すと、銀嶺はいつも心が温かくなるのだった――早く彼に会いたい。 収容所から解放されて以来、相模は単発的に臨時雇いの肉体労働をしているだけで、未だ正式な職には就いていなかった。そのため収入が安定せず、銀嶺の部屋を出ることができない。役所から就職口の斡旋はあるのだが、以前の職場で相模が体よくこき使われていたのを知っている銀嶺が、条件についてあれこれ口を出してしまうせいでなかなか決まらないのだった。 余計な世話を焼くのは、相模のことが心配だから――ずっとそう言い訳しているが、本当は――銀嶺は街灯が投げかける明かりの下を歩きながら考えた。本当は、こうやって相模に出迎えてもらえる日々がずっと続けば良いと思っているからだ。ちゃんとした勤め先が決まれば、たぶん住む場所も用意される。そうなれば彼は出て行ってしまう――しかし自分は――今さら相模のいない生活に耐えられるだろうか? そんなことを考えながら歩いていると、ふと、背後から誰かの足音が響いてくるのに気がついた。それは段々と距離を縮め、銀嶺に近付いてくるようだ。思わず足を速めると、その足音も速度が上がった。恐ろしくなって銀嶺は、角を曲がったところで小走りになった。尾けられているのだろうか?だがここまで来れば自宅はもうすぐだし、なんとか振り切れるだろう。 宿舎へ辿り着き、銀嶺は薄暗い外階段を駆け上がった。部屋は三階にある。急いで廊下を進み、自室のドアの前に立った所でようやくほっとした――まさか建物の中まで追って来たりはしないだろう。 銀嶺は以前、ファンだという男にこんな風に尾け回された経験があった。モデル事務所の人間が間に入って話し合い、解決したと思ったのだが、やはりまだあきらめていなかったのかもしれない。その時事務所に、念のためボディガードをつけたらどうかと提案されたが、大げさに感じたので断ってしまった。でもやはり、頼んでおいた方が良かったのかも……こんなことを繰り返されては神経が参ってしまう。考え込みながら部屋の鍵を取り出したその時、階段を上がってくる足音が聞こえた。 はっとしてそちらを見ると、暗い外廊下の先に、かなり大柄な男の黒い姿が立っている。男は銀嶺を認めると真っ直ぐこちらに向かってきた。ここまで尾いてくるなんて……恐怖を覚えて銀嶺は夢中で鍵を回し、飛び込むようにして玄関へ入ってすぐに扉を閉めようとした。だが追いついてきた男の片腕が隙間に差し入れられ、閉じる事ができない。 「うわっ……!」 空を掻く様に動いたその腕に捕えられそうになり、扉を必死に押さえながら銀嶺は声を上げた。その時、奥の部屋にいた相模が銀嶺の所へ一足飛びに駆け付けて来た。彼は身体ごとぶつかる様にして男の腕に掴み掛かると、その勢いのまま扉の外へ転がり出、相手を外廊下に押し倒した。 「相模さん!」 叫んで銀嶺が廊下へ飛び出した時、相模が意外そうに言うのが聞こえた。 「班長じゃねえか!何してんだよ!?」 「え!?班長って……天城さん?」 外廊下で相模ともつれあっていたのは確かに天城だった。彼は険しい目つきをして、相模に向かって怒声を上げている。 「ノアを――どこへやった!?今すぐここに出せッ!」 「ノアを出せだと?どういうことだよ。いるわけないだろ」 「嘘を吐くな!ネコの痕跡があったから後を追ってここまで来たんだ!確かにこの部屋に入った!頼む、会わせてくれ!」 「ネコの痕跡?それ、もしかして――私のことではありませんか?」 尋ねた銀嶺を、相模に取り押さえられたまま天城は呆然とした表情で見上げた。力無く呟く。 「あんた……?だったのか……」 「あの、どうしました?大丈夫ですか?」 銀嶺の隣の部屋の住人が、ドアを細く開けて顔を覗かせ、声をかけてきた。銀嶺は慌てて彼に詫びた。 「あ、大丈夫です!ちょっと人違いで……お騒がせしてすみません。相模さん、とにかく中へ入りましょう。天城さんも」 「え?うん」 相模は頷いて天城に手を貸し、起き上がらせて部屋へ入れた。 「尾けたりして……悪かった」 銀嶺が差し出したティーカップを受け取りながら、天城はぽつりと呟いた。 「いいんです。でも……ノアを探してるんですか?」 銀嶺は尋ねた。天城は頷くと、銀嶺の顔を見た。 「あんたたち……ノアを知ってるのか?」 銀嶺は相模と一瞬顔を見合わせ、答えた。 「はい。それと、あなたのことも。ここにいる相模さんは、元は政府軍所属の人造兵で、以前はずっとあなたと一緒に行動していました。私は星間連絡船であなたたちやノアと偶然乗り合わせ、色々あってこの星へ来たんです」 「そうだったのか……」 天城は銀嶺が渡した紅茶を一口啜り、深いため息をついた。 「何もわからないのは……俺だけなんだな……」 うちしおれた様子で帰っていく天城を外まで見送ってから、相模と銀嶺は部屋へ戻った。 玄関を入った所で、相模が言う。 「あのさ、銀嶺さん……俺今度からあんたのこと……送り迎えしたいんだけど、駄目かなあ……?」 「えっ?送り迎え……?」 銀嶺が思わず相模の顔を見つめると、彼は困ったような顔をして頷いた。言い難そうに続ける。 「うん……俺さ、どうも……あんた一人っきりにしとくの、嫌なんだよね……ホラ、先輩のこととかもあったし……目の届かないとこに行かれちゃうとさ、落ち着かなくて……」 それは――どういう意味だろう? 「前から思ってたんだ……けどさ、俺なんかが付いて歩いたら迷惑だろうなと思ったから……今まで言い出せなかったんだけど」 「迷惑だなんて!全然そんなことありません!」 つい勢い込んで言ってしまい、恥ずかしくなって銀嶺は呼吸を整えた。私を一人にしたくない……?それでは、例え職が決まっても、相模は――ずっとここに居てくれると、そう考えても構わないのだろうか――? 「あの、もし……もし相模さんがそうしてくれるなら……私は嬉しいし、心強いです。実は時々……怖い思いをすることがありましたし」 「怖い思い?そりゃ可哀想に……それじゃ、明日っからさっそくやるから!」 相模はほっとしたように言うと笑顔を見せた。

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