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第70話

その翌日――再びノアは施設にキオの様子を見に行った。昨日一日ゆっくり休ませてもらったネコたちは、徐々に落ち着き始めたようで、施設のロビーや自分の部屋で思い思いに過ごしている。 キオの部屋へ行ってそっと中へ入る。物音はしない――ノアがベッドの陰を覗き込むと、キオはそこで身体を丸めて眠っていた。寒かったのだろうか……ベッドから毛布を引っ張り下ろし、それを抱えこむようにしている。その腕があまりにも細く、まるで骨と皮になってしまっているのに気付いてノアは泣きたくなった。長い事まともに食べていないのだろう。頬もげっそりとやつれている。 寝ているキオを見つめているうち、ノアは彼が抱えている毛布が汚れているのに気がついた。そういえばこの部屋にはトイレが無いのだった。あっても使える状態ではないだろうが……しかしこのままにしておいたら、キオの身体に良くないに違いない。心配になってノアは、毛布を替えてやろうと部屋のクロゼットを探し、予備の分を取り出してきた。 キオが抱え込んでいる毛布の端を握り、腕の中からそっと抜こうと試みる――半分ほどたぐりよせた所で、キオの耳がぴくっと動いた。 しまった、とノアが思った時、キオは完全に目を覚まし、身体を起こして昨日の様に警戒の唸り声を上げ始めた。 「キオ……起こしちゃってごめん。怖がらないで、大丈夫だから。これ、替えてあげる。綺麗なのがこっちにあるよ……」 ノアは言ってキオの側にしゃがみ、替えの毛布を差し出した。 その時――気配で察したのだろう、キオはさっと顔を上げると毛布を持つノアの左手首に噛み付いた。歯は皮膚に深く喰い込み、鋭い痛みが走ったが、ノアは腕を引かなかった。 「キオ……キオも……僕の事……忘れちゃったんだね……」 ノアは囁き、唸り声を漏らしながら自分の手首に歯を立てているキオの頭を空いている方の手でそっと触った。 「そうだよね……キオがこんな風になってしまうまでずっと放っておいたんだから……忘れられて当たり前だ……」 僕が天城さんと一緒にいられて喜んでいたときや――おっちゃんとおやじさんに優しくしてもらっていた間も――キオはずっと酷いところで―― 変わり果てたキオが可哀想で、悲しくて、堪えきれなくなってノアは嗚咽を漏らした。 「キオ、ごめん。これから僕、キオのためになんでもする。ずっとキオを助けていく――」 ノアは啜り泣きながら、キオを噛まれていない方の腕で抱いた。その時――キオがふいに、唸り声をあげるのを止めた。 キオはノアの手首から口を離すと、鼻を小さくひくつかせ、ノアの髪の匂いを嗅ぎはじめた。そうして――唇を震わせるようにして、かすれた声で、の、あ、と呟いた。 「キオ!?」 ノアは夢中で叫んだ。 「キオ!そうだよ、ノアだよ!キオ、僕がわかるの!?」 やせ細った指先で、キオがノアの顔に触れる。ノアは必死に頷いてみせた。 「ノア」 キオは今度は、そうはっきり発音した。ノアは声を上げて泣き出し、キオの身体を引寄せて強く抱き締めた。

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