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第75話
入院した当初、キオの様子はさほど変わることが無かったのだが――やがて頻繁に高い熱を出すようになり、朦朧とした状態でいることが多くなった。
見舞いに行ってもキオはベッドに力無く横たわったままでいて、嬉しそうにノアにしがみついてくることもなくなってしまった……。投薬治療もうまく行かず、研究所の職員たちも焦りだしている。それが伝わってくるのをノアは辛く思った。
考えたくない――考えたくないけど、キオはもう――駄目なのかもしれない――
「一体――あんた方なにやってんですか!?ほんとにちゃんと、治療してくれてるんですか!?」
晋の怒りを含んだ声に、ノアははっと現実に引き戻された。キオの見舞いに訪れた際、点滴の交換に現れた職員に、晋が詰め寄っていたのだった。
「現時点で……出来得る限りのことはしています――しかし何しろ症例が――」
「それはもう何度も聞きました!だけど見てると、研究なんて殆ど進んでないみたいじゃありませんか!なんのための研究所なんです!?」
「敵側の技術に後れを取っているのは我々も痛いほど承知してます――革命軍は、人道的な理由で生体実験も生体培養も一切禁止しています。人造生命体の命を犠牲にするのを全く躊躇せず、残忍な実験を次々と行っているあちらに比べたら、我々ができる事には限りがあって……どうにもしようがないんです」
「おっちゃん――」
晋の側に行き、ノアは彼の顔を見上げた。晋は自分の脇にノアを挟むようにして抱え込んだ。
「ああ、わかってる――ごめん。すみませんでした――下町育ちで気が短いもんで――」
職員に頭を下げる。
「いいんです。我々も――自分達の不甲斐なさに腹が立っていますから」
その晋に向かい、職員は悲しげに答えた。
「以前ここで治った患者というのも、実は外部からの情報提供によってワクチンを作ることができたため、やっとのことで救えたんです。キオ君にもそのワクチンを応用した治療を試みているんですが、敵側の作る人造生命体は種類が多様化していて複雑で――効果のある方法を見つけるのに非常に時間がかかる。でもほんとに、懸命に調べていますから……どうかお許し下さい……」
傍らに付き添っていても、キオはベッドでうとうととしているだけで、今では、ノアが来ている事がわかっているのかどうかすらはっきりしなかった。だがそれでもノアは、毎日食堂の客が引ける頃合を見てキオの見舞いに通った。
キオの病室の窓からは、天城が以前住んでいた建物が見える。ある日ノアは、その建物の周囲に白い幕が張られているのに気がついた。
どうしたんだろう?病室に現れた職員に、ノアは尋ねてみた。
「ああ、あの建物は古くなったので、近々取り壊す予定なんだよ。その準備じゃないかな?」
「そうなんですか――あのう……」
「ん?」
キオの血圧を測っていた職員が顔を上げた。
「あそこに――以前住んでいた人造兵の方をご存知ですか……?」
「ああ、天城君でしょう。知ってるよ」
職員が答える。
「彼の事は――残念な面もあったけど、誇らしく思ってるよ、我々としては」
「え?それって……?」
意味がわからずノアが聞き返すと、職員は言った。
「天城君の元データが破損してしまった原因は結局掴めなかったけど、上書き処置で新しい人生を与えてやれたからね――革命軍の適性検査に受かった位だから、彼はもう、敵軍にインプットされた行動規範には全く支配されていない。ちゃんと自分自身で必要な判断ができるってことだ。戦場で良い働きをしてくれれば、向こうの政府への忠誠心が強い捕虜人造兵の解放も、今後は可能だってことの証明になるかもしれない」
「……適性検査?……戦場?」
ノアは繰り返した。
「戦場、って……天城さん、戦地へ行くんですか?」
「うん、そうだよ。ええと――たしか今日訓練場を出て……宙港から軍用船で発つんじゃなかったかな……あれ?志願入隊したの知らなかった?」
「知らなかった……です……新しい仕事、だとしか……」
両脚から力が抜けていくような気がして、ノアはベッド脇の椅子へよろよろと近付き、へたりこむようにして腰掛けた。そのノアの様子には気付かなかったらしく、職員は道具を片付け「じゃ、次のチェックは夕方ね」と言って病室から出て行った。
ノアはキオのベッドに突っ伏した。部屋はしんと静まり返り、キオの呼吸音だけがかすかに響いている――
天城が戦場へ行く。それが何を意味するのかノアにはすぐにわかった。天城は――きっと死ぬまで戦うつもりなのだ。一度戦地へ入ってしまえば――もう二度と、生きてそこを離れる気は無いに違いない。
連絡船で会った時、天城はノアに、人造兵である自分にとっては戦死する事が一番の名誉だ、と語った。しかしその名誉を――彼は一度、ノアのために捨てたのだ。
「帰って来るって、約束した……」
ノアは呟いた。天城さんは、例え中古の手足を付ける事になっても、戦争が終わるまで生き残り、帰ってきて――貴重な報奨金で、僕を買う、って約束してくれた――
今ノアは、その約束が天城にとってどんなに重いものだったのかを理解した。それだから――上書き処置を受けた後、恐らく天城自身にも理由は分からないまま、失った記憶を取り戻そうと必死に試みたのだ――頭痛で身も心も駄目にする事も厭わずに。彼のあの行動は全て――生きることすらも――ノアのためだった――
なのに。その約束を交わした相手、自分は――冷たい言葉で天城を突き放した。
僕は――天城さんを見捨ててしまったんだ――
自分が天城にしてしまった事の大きさに気付き、ノアは愕然とした。僕は逃げた。彼が弱っていくのを見るのが恐ろしくて、自分が辛い思いをするのが嫌で、逃げたんだ。
逃げるべきじゃなかった。どんなに辛くても――僕は、僕のためなら生きる、と言ってくれた人と――最後まで――離れたりしちゃいけなかったんだ。
その時なぜか、殆ど意識がないはずのキオの指先が、探るように動いてノアの手に触れた。あきらめないで、キオがそう言ったような気がし、ノアははじかれたように顔を上げた。聞こえてはいないはずなのに何故――ノアの想いを――感じ取っているのだろうか。
「キオ――」
ノアは呟いた。
「キオ。いいのかな。僕――間違っているかもしれない」
弱った指で、キオはノアの手をきゅっと握り、次いで放した。行って、と促されたような気がして、ノアはぱっと椅子から立ち上がった。
「うん――僕――行く。行ってくる。キオ、ありがとう――」
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