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第79話
撮影所からの帰り道――ビルが建ち並ぶ地面の下に縦横に伸びる地下街を、銀嶺は迎えに来た相模と連れ立って歩いていた。
一人で仕事場まで行っていた時、銀嶺はこの地下街を避けていた。地上の道よりも短距離で要所要所に移動できるし地下鉄も通っていて便利なのだが、ホームレスのねぐらになっているし、物騒な雰囲気の人物や場所も多い。銀嶺一人で歩いていると、十中八九、柄の悪い人間に目をつけられて絡まれたり後をつけられたりするので、遠回りになるとわかっていても今までは地上の道を使わざるを得なかったのだ。
だが今は違う。相模が一緒にいてくれるので、何も気にせずどこでも歩ける。ネコと知れてちょっかいを出されぬよう、帽子や長いコートで耳と尾を隠す必要も無かった――とても解放された気分だ。
ボディーガードとして相模はかなり頼もしい。長身で機敏そうな身体つきと鋭い眼光には、それだけでおかしな相手を寄せ付けない効果がある。聞けば相模は、政府軍では要人警護の任務を担当することもあったそうだ。周囲の不審な動きを察知するのはお手の物なのだった。
地下通路沿いに並ぶ店の看板やショーケースなどを眺めながら歩いていると、突然隣の相模が立ち止まった。彼は続いて直立姿勢を取ったかと思うと、右手をさっと上げて敬礼した。
「相模さん?なにしてるんです?」
銀嶺は驚いて相模の横顔を見上げた。彼の視線は前方にあるバーの看板に向いているようだ――看板に敬礼?銀嶺がぽかんとしていると、その看板と壁の間に蹲っていた黒い影が、もそもそと動いた。
「やれやれ……またお前らか……」
影はそう呟いた。ホームレスらしい汚れた格好の男だ。ひょっとして、花見の時の?と銀嶺は思い当たった。
「それはもういい……とっとと行け」
男は片手で相模を追い払う仕種をした。
「……オイ、行けって言ってるだろう?」
まだ敬礼している相模に男はイラついたようだ。
「自分はお見送りが済むまで動けません。そういう規定です」
相模が頑固に答える。
「お見送りだあ?しょうがねえなまったく……」
男はブツブツ言いながら立ち上がると、看板の脇にある薄暗い路地へと入って行こうとした。だがふと足を止め、相模を振り返って
「おい、お前の仲間の人造兵……この星にあと何人くらいウロウロしてるんだ?」
と尋ねた。
「自分の小隊は三名ですが、これから収容所の兵の解放が始まるそうなので、総数は不明です」
「なんだとぉ?クソ、どこも居辛くなりやがる……あ、そうだ」
男は何か思い出したらしく、更に尋ねた。
「お前……音羽って兵は知ってるか?」
「はい。同じ所属です」
「そうか。あいつ……どうしてる?麻痺は治ったか?」
「は。治りました」
「そっか、治ったか……そりゃよかった……」
男が背を向け、路地をよろよろと歩き出したので、相模はようやく敬礼していた手を下ろした。
「ごめん、銀嶺さん。行こうか」
傍らの銀嶺に言う。
「はい……あのう、誰なんですか?あの人」
「わかんねえ」
相模は首をひねった。
「わかんねえけど多分政府軍の偉い人なんだよ。俺ら偉い人に会うと身体が勝手に反応するようにできてるんだ」
「政府軍の……」
銀嶺は何か引っかかるものを感じて考え込んだ。
「音羽さんの事を訊いてましたよね……麻痺は治ったか、って。どうしてそれ、知ってたんでしょうか……」
銀嶺たちが、音羽が患っていた事を知ったのは最近だった。研究所へ見舞いに行くようになって音羽とも度々顔を合わせるようになったので、そこではじめて聞いたのだ――音羽の話を思い出すうち、ふいに気付いて、銀嶺は顔を上げた。
「待ってください!」
叫んで路地に入った男を追う。
「銀嶺さん?」
相模が、きょとんとした様子で後に続く。
少し走ったところで銀嶺は、よろめきながら歩いている男に追いついた。
「待ってください!あなたはもしかして、音羽さんのワクチン成分を知らせてくれた方ではありませんか?」
「え!」
銀嶺の後ろで相模が驚いた声を上げる。
「だったら、なんだ?」
男は立ち止まったが、振り返らず銀嶺に背を向けたまま答えた。
「お願いがあるんです。友人を――助けていただけないでしょうか!?」
銀嶺はその背に必死に訴えた。
「バイオペットの友人と、人造兵の友人が、いま原因のわからない病気で苦しんでいるんです。あなたがもし何かご存知なら、それを――」
「バイオペットだと?」
男は吐き捨てるように呟き、再び歩き始めた。
「待ってください!このままだと、彼らは助からないかもしれなくて――」
銀嶺は男に追いつくと、腕を掴んで引き止めた。
「触るなッ!」
激しい剣幕で男は銀嶺を怒鳴りつけ、乱暴に手を振り払った。
「俺は――バイオペットは嫌いなんだ!近付くんじゃないッ!」
銀嶺は息を呑み、両手を身体の前に引き寄せてその場に立ち尽くした。連絡船で――飼い主に見捨てられたと知った時に味わったものと同じ悲しみが胸に蘇る――以前銀嶺が居た社会では、バイオペットにとって人は絶対的な存在で、彼らに受け入れてもらえなくなることは死を意味していた――しかしこの星ではそんな心配は無い。銀嶺も自分の力で充分生きていける。けれども、人からの拒絶に極端に怯えてしまうこの性質は、バイオペットの本能に付随する物で、そう簡単には拭い去れない。
「すみま……せんでした……」
銀嶺は青褪め、弱々しい声で男に詫びた。
「銀嶺さん――」
後ろに居た相模がそっと銀嶺の肩に手を置く。銀嶺は唇を噛んでその顔を見上げ、小さく頷くと、来た道を戻り始めた。相模が慰めるように隣に寄り添って歩いてくれた。
「……待て」
路地から出たところで――後ろから呼び止められた。二人が振り返るとそこに、さっきの男が立っていた。後を追ってきたのだろうか。
「友達が……死にかけてるんだろ……そんなにあっさりあきらめちまって、いいのかよ……」
男は二人の顔は見ず、俯いたままで呟いた。
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