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第80話
男は本郷と名乗った。
本郷は大学を出てすぐ、人造生命体を培養する会社で研究員として働き出した。仕事熱心だった彼は順調に成果を出して出世し、やがて、30代の前半という若さにもかかわらず、技術開発チームの主任を務めるようになった。
政府の統治下にある星では、人造生命体の製造は重要な産業の一つで、研究予算が豊富に計上されている。他社との競合だけでなく、本郷の会社内部にもいくつもの開発チームがあり、それぞれが常に成績を争っていた。有効な新技術を開発すればその分チームに回される予算が増え、予算が増えれば更に高度な研究が行える。本郷たちは実績を上げるのに夢中だった。
人造生命体の培養技術の中でも、兵の開発は最も重要だった――質の良い兵は政府に高値で大量に買い上げられるのだ。
「お前にも組み込まれてる虹彩識別機能だが――それ、俺のチームが開発したんだぜ」
本郷は相模にそう語った。
「自分に行き会うと、屈強な兵士が何をおいても直立不動で敬礼してくる、っていうアイディアは、俺たちの目論み通り多いにうけて、すぐ採用になった。政府や軍の高官には自己顕示欲の強い連中が多いから、その手のものが大好きなんだ。そんな技術、戦闘には全く役立たないんだけどな」
本郷は自嘲気味に笑った。
「それの特許が会社になかなかの利益をもたらした時、上司におだてられて薦められ、俺は自分の開発チームメンバーの虹彩データも、高官達の物と一緒にインプットしたんだ――最初は気持ちが良かったよ。兵に敬礼されると周りも注目するし、自分がひとかどの人物になった気になれる――しかしそれがアダになった。避難民に紛れてここに逃げてくる時、顔と指紋は変えたが虹彩までは……お陰でお前らに見つかるし……馬鹿なことをしたもんだよ」
本郷はさらに言った。
「音羽の身体に出た症状だが――あれも俺達が作った物だ」
銀嶺は驚いて尋ねた。
「兵士を病気にする技術を開発したとおっしゃるんですか?いったいなぜ?」
「クーデターを抑えるためだよ。人造生命体は、いまや果てしなく人間に近付いている。やがては自分達の不当な立場に気付いて異を唱えはじめるだろう。昔から、政府はそれをもっとも恐れてるんだ」
――特に人造兵は、身体能力において既に人間を凌駕している。もし彼らが政府軍の命令に従わなくなり、敵対するような事態になったら――政府にとって取り返しの付かない状況になる。
「人造兵を完全にコントロールするため色々な方法がとられてきた。初期の兵には判断能力を持たせず、常に人間の命令が無ければ行動を起こせないようにしてあった。しかしそれでは、状況が秒刻みに変化する実戦中には到底対応が間に合わない。だが完全に自分の考えだけで動けるようにさせてしまえば、言う事をきかなくなる恐れがある。主体性と従順さ、その境目を設定するのが非常に厄介だった」
――やがて研究チームは、別の面からのアプローチを探り始めた。兵士には意思を与えて自発的に活動するようにしておくが、培養後、調教によって、上官の恐ろしさを身体に叩き込んでおく。それで反抗心を抑えるが、万が一抑えきれなかった場合には、体内に仕掛けられた制御装置が働き出す。
「その仕掛けのスイッチが入ると――神経を麻痺させる成分が体内に放出されて、動くことができなくなる。音羽の症状はそのせいだ――きっかけは、容認できる範囲を超えた自由意志が働いた場合――兵が人に従うのを完全に止めようとした時だ」
相模が訊いた。
「じゃあ、班長――病気の人造兵だけど、そいつの頭痛もその仕掛けのせいなのかな?」
「頭痛か……どんな様子なんだ?」
相模の説明を聞いて本郷は答えた。
「おそらくそうだと思う……その兵が、何か人間に対して反感を覚えるような出来事があったんじゃないか?それがきっかけになって、制御装置が稼働しはじめたんだろう」
「班長が、人に反感を……?」
相模は天井を仰いで考えた。
「そういうのは思い当たんないけど……でもやっぱり、ノアの事が関係してるんじゃないかな……連絡船の中でも体調おかしくした事があったから。ネコが人の非常食になるって話したらえらく動揺して、その後からだったしな」
それを聞き、銀嶺は呟いた。
「だとしたら……天城さんは、ネコであるノアに深い同情を寄せたために、人のやり方に対して無自覚に強い反発心を抱いたのかもしれませんね――状態が悪くなったのは、収容所へ入れられてノアと引き離されていた間のことですし。ノアと一緒に本当に安心できる暮らしをするためには、人の支配から解放されなければならない――その事に心の奥底で気が付いているから、制御装置の作用が強くなっているのではないでしょうか……」
聞いていた本郷が言う。
「なるほどな……。音羽はうちの製品で、制御装置も俺のチームが開発したタイプの物だったから、状態を見ただけですぐ原因がわかったし、使われてる神経毒を分解するワクチンも効いた。だが、そっちの兵はうちのではなさそうだ……研究所は既にあのワクチンを試してるはずだが、その効果が今の所無い訳だし。兵の制御方法を研究している会社はいくつかあるから、違うところの技術なんだろう。制御装置はまだ最適なものが確立されていない段階だから、個体ごとに状況が違ってるんだ。兵のデータを見れば確認できるが――」
「そうなんですか――他社の……」
銀嶺は言った。
「では多分……バイオペットの方の症状も、原因はまた別なのですね?」
「ああ……」
本郷は俯いて答えた。
「言っとくが……俺はバイオペットには詳しくないんだ……そっちに関してはあまり期待しないでくれ……」
「はい……」
頷き、銀嶺も俯いた。
「あのう……あのねえ、これ、余計なことなんだけど……」
相模が思い切った風に言った。
「本郷さん、ずっと銀嶺さんから目を逸らしてるみたいだけど……さっきバイオペットが嫌いだって言ってたから……それでなんだろうけど……銀嶺さんやキオがバイオペットなのは、この人たちのせいじゃないんだよ?だからその……ええっと……」
「わかってる」
本郷は顔を上げた。
「お前達の友人の治療に手を抜くつもりは無いから、心配するな」
それを聞いて、相模はほっとした表情をした。
「さっきは……悪かった」
本郷が銀嶺に詫びる。
「ひどい言い方をしてすまなかった。バイオペットは……何も悪くない。ただ、俺は――以前飼ってたネコに死なれ……いや……殺してしまったことがあって――それ以来――君の仲間を見ると辛くてどうしようもなくなる――それだけなんだ――」
「殺して――?」
銀嶺の問いに本郷は苦しげな表情で頷いた。
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