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第83話
曇天の下、天城はスコップを持ち、地面にひたすら穴を掘っていた。工事の基礎造りにはいつも掘削機を使うのだが――何故手作業なんだろう?そんな疑問がふと頭をよぎったとき、爆音があたりに響き渡った。はっとして見上げると、編隊を組んだ戦闘機が飛び去っていく――ではここは――工事現場じゃなく、戦場なのか?気づけば、掘っているのも基礎ではなくて塹壕らしい。
いつの間に戦地へ来たんだろう?天城は不思議に思った。志願したのだから当然だが、到着した記憶がない……それに、まだ配属先も聞いていなかったのでは――?
記章を確認しようと天城は自身の戦闘服を見下ろした。すると――着ていたはずの物とは色が違っている。これは……新しく支給された革命軍のではなく、以前着ていた政府軍の物だ。
混乱して周囲を見回していると、後ろから誰かに小突かれた。
「コラッ!天城!サボってんなよ!」
相模だった。彼も一緒にスコップを持ち、穴を掘っている。
「もうすぐ上官の見回り時刻だ。予定まで進めとかないと、どやされちまうぞぉ!?」
そうだった、天城は思い出し、スコップを握りなおした。
「あ。おい相模、音羽はどこだ?」
「オトワ?」
相模がきょとんと聞き返す――その顔を見て天城は気付いた、この塹壕掘り――覚えている。政府軍に配属されて初めてやらされた仕事だ。そうだ、この時点では音羽は同じ部隊にいなかったのだ。ヤツの身体はこういう肉体労働用には作られていないから、最初は俺達とは違うところで働いていた――俺はこの後少し昇進して――それから編成された小隊で音羽と一緒になるのだ。
なんなんだ?この状況は。天城はうろたえた。俺は革命軍に移ったはずなのにどうして元通りになってるんだ?手を止めると相模が怒るので、天城は作業しながら考えた。過去に戻ってしまったというのか?それとも、今俺の記憶にあることは――実際に起きた事ではなかったのだろうか?
「ひょっとして、夢だったのか?」
天城は呟いた。現実じゃなかった?あれが全て――夢?――まさか。そんな馬鹿な。
そんなはずない。あれが全部夢だったなんて、絶対あり得ない。だってもしそうなのだったら、ノアは――
「ノアも、夢だってことになってしまうじゃないか!」
天城は叫び、スコップを放り捨てた。
「夢じゃない!絶対夢なんかじゃ――あ、あれっ?」
天城はぽかんと口を開け、目の前の、見覚えのある白い天井を見つめた。
「あれ?塹壕どこ行った?……あれ?ここって――研究所――?」
「天城さん!」
傍らで自分の名を大きく叫ぶ声がした。ノアだった。
「ノ――ノアッ!」
天城も叫んだ。夢中で起き上がる。良かった、ノアは現実だった。腕に点滴の管が繋がっていたが、それには構わず天城は驚いた様子のノアを引寄せ、思い切り抱き締めた。
「ちょっ……天城さんっ!?駄目だよ、は、放して!」
ノアがうろたえた様子で叫んでいる。
「なんで駄目なんだよ!放すもんかい!放したらお前、夢でしたって消える気だろう!」
「夢?何言って……?そうじゃなく、天城さん、まだ起きたら駄目なんだよぅ!」
「起きちゃ駄目?せっかく目が覚めたのになんでだよ……あ?いてて……ッ」
頭の表面に引き攣るような痛みを感じ、天城はそこに手をあてた――包帯が厚く巻かれているようだ。
「ああ?なんだこりゃ?」
「天城さん、手術したんだよ。大きな手術。だから、まだ安静にしてなきゃ駄目なんだ」
ノアが言う。
「手術?一体いつの間に?どうなってるんだまったく……」
ぶつぶつ言った天城の顔を、ノアはなぜか、奇妙な表情でじっと見た。
「ノア?どした?」
「あの、もしかして……天城さんは、星間連絡船で会った天城さん……?」
「え?そうだよ?なんだいそれ?まるで他にも天城がいるような言い方だなあ」
笑って聞き返した天城を見つめながら、ノアは小さな声で呟いた。
「……じゃあ……上書きを受けた後の天城さんは……」
「上書き?ああ、受けた受けた」
思い出して天城は答えた。
「データが壊れたから入れ直してもらったんだよな。それで俺、前の記憶がなくなったって研究所の人に言われ……ん?あれれ?」
なんかおかしい。別に記憶はなくなっちゃいないぞ?なんだかこんがらがってきた……。ノアは、目を白黒させている天城をじっと見つめていたが、その目にみるみる涙がたまったかと思うと――ふいに天城の胸に飛び込んできた。
「天城さん!天城さんだ!」
「お?おう!」
こんがらがったまま天城はとりあえずノアを抱き締めた。その天城にノアが涙をぽろぽろこぼしながら言う。
「天城さんが、帰ってきた……!ううん、そうじゃない。天城さんは……ずっと僕と一緒にいたんだ……!」
「わあ!何やってるんだ君たちは!?」
病室に入って来た白衣の男性が、二人の様子を見て仰天したように叫んだ。
「なっ――なに起き上がってるんだ!?大手術の後なんだぞ!?」
「す、すいません!」
天城は慌ててベッドに真直ぐ横たわった。ノアも天城にしがみついていた腕を引っ込めぴょんと飛び下がると、ベッド脇の椅子に納まってかしこまった。
「今更そんな態度取ったって遅いよ……しっかり見たから。しかし……意識が戻ったのか。いつ?」
「あ、さっきです……」
ノアが答える。
「すぐ知らせてくれなきゃ駄目じゃないか……」
「ごめんなさい……」
ノアは小さくなって謝った。
「ノアを叱らないでやってくださいよ。俺が捕まえてたのが悪いんだから」
口を出した天城の顔を、白衣の男がじっと見た――研究所の職員は大体顔なじみになっているはずだが、この男は知らない。新人かな?と天城は思った。男はベッドに近付くと、天城の瞳を覗き込んで確認した。
「……虹彩識別機能は働かないようだな……摘出部位に連動してたのか……」
男は聴診器を取り出しながら、よくわからない事を呟いている。新人にしては妙に偉そうな人だ、などと天城は彼の診察を受けながら考えた。
「大した回復力だ、驚いた。うちの製品も再生の早さには自信があったが、ここまでじゃなかった」
天城の身体をあちこち調べていた男は、やがてやや呆れたようにそう言うと聴診器を外した。
「あとは……頭の傷が塞がるのを待つだけだね」
「え、じゃあ……」
ノアが目を輝かせて言う。男は頷いた。
「手術は成功したようだ――精密検査をしなきゃ確実な結果は出せないけど、多分もう、心配はないよ」
「心配ない……ほんとに……?」
ノアは呟きながら椅子から立ち上がると、男に抱きついて叫んだ。
「本郷さん!天城さんを助けてくれて……ほんとにありがとう!」
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