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第84話
本来であれば本郷は、敵軍の要人として収容所へ入れられるべき立場だった、しかし特例と言うことで、ノア達の治療に携わる事を条件に、研究所内でのみ留まって活動する事を革命軍に許された。
本郷は許可を受けてすぐ治療法の研究を開始した――最初は、敵軍の元で長く働いていた彼を信頼できない様子でいた研究所の職員達だったが、本郷があまりに熱心に――それこそ自分の寝食も後回しで――ここにいる人造生命体たちを救おうと尽力するのを見て考えを変えたようだ。本郷も、前の会社で培った知識を惜しみなく提供したので、研究所のデータベースは飛躍的に有効性が上がった。
やがて、懸命な努力で、本郷と研究所の職員たちはキオとノアの症状に有効な治療法を探り当てた。動物の体質を併せ持つバイオペットだけが罹る伝染病で、動物に出る症状と、それに影響されて出る人の症状とが複雑に混ざりあっていたため、原因を特定するのに時間がかかったのだ――だがそれさえわかれば、治療はさほど難しくはなかった。
報告を聞いた革命軍は研究所に、その治療をワクチン化し、保護した全てのバイオペットに対して予防接種を行うよう依頼した。本郷はワクチン開発にも力を注ぎ、あとになって銀嶺もその予防接種を受けた。
天城の治療は予想より厄介だった。
他社の開発した技術が原因だろうという事は本郷の指摘でわかっていたので、音羽が協力してその会社の情報システムに侵入し、製造した人造兵の培養記録を手に入れることには成功した。だがデータを確認したところ、天城の体に仕掛けられている制御装置――兵の活動を停止させる働きをする部分――それは本郷のチームが開発したものとは異なり、解除方法は始めから用意されていなかったという事が判明したのだ。この装置を作った人間は、兵個人の人格などには関心がなかったのだろう。ここの研究所が、前回廃人状態になった天城を上書き処置でしか救えなかったのは仕方の無いことだったと言える――天城のタイプの制御装置を体内に持つ兵には、それしか有効な方法が無いのだ。
しかし本郷はあきらめなかった。本郷の診立てでは、天城は装置の作用によって自発的な行動が阻害されているだけで、脳組織などの肉体が損傷している様子は無いのだ。上書きせずに救う方法がきっとある。
本郷は、入手したデータを丹念に調べあげ、外科手術によって制御装置を天城の体内から丸ごと摘出する方法を思いついた。そうすれば制御が無効になって、天城は元通りになれるはずだ。
しかし、装置は末端が脳神経に深く入り込んでおり、手術は困難そうだった。成功する確率は低いかもしれない。それに、手術自体がうまく行ったとしても、肝心の天城の人格が保持できなければ意味が無い――だがその方法に賭けずにあきらめるのは、本郷はどうしてもしたくなかった。彼は必死に、遠野家の人たち――その頃には病状が回復してきていたノアも含め――三人に、危険な手術を承諾してくれるよう頼みこんだ。
話を聞いてノアは迷った――晋と安彦はノアの希望を第一にしたいと言ってくれている。これは自分が決めなければならない事なのだ。
――ノアは考え続けた。
まだ会話ができた頃、天城は、自分が再び以前のような抜け殻の状態になったら、もう生かしてくれなくて良い、身体は解体して、研究材料に使って欲しい、と望んでいた。それは――この手術を受けることでも、同じ意味になるかもしれない。前例が無く、いわば実験のような手術だからだ。
本郷は、今回の医療行為は自分の――人造生命体に対する贖罪なのだ、とノアに話した。それがどういう意味なのかノアはよくわからなかったのだが、本郷の真剣な様子はまるで――天城の回復には、自分の命までもが懸かっていると訴えているようにノアには見えた――この人になら――運命を託しても、天城は許してくれるのではないだろうか――
手術を受けて、天城がどうなるのか誰にもわからなかった――手術室の中でそのまま命を落とす可能性もあったし、自分たちを忘れられてしまうあの悲しみを、また味わう事になる可能性もあった。しかしノアは、本郷に手術を依頼した。
そして手術は、皆の期待以上の成果を上げた。天城は人格も、上書きを受ける以前の記憶も以降の記憶も――なにを失うこともなく――無事に目を覚ましたのだ。
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