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第85話

並木の続く歩道を、ノアは重い鞄を身体の前で何度も揺すりあげながら一生懸命に運んでいた。鞄の中には入院中いつの間にか増えてしまった天城の身の回り品が詰まっている――今日は待ちかねた天城の退院の日なのだ。 「ノア~……俺が運ぶって……」 隣を歩く天城は困った顔で声をかけた。ノアが頑固に首を横に振る。 「いい。僕が運ぶ。天城さん、傷が塞がったばかりなんだから無理したらよくない」 「無理してるのはノアの方なんじゃ……お前、ちっこいんだからさあ……」 「ちっこくないよっ!」 ノアは憤慨したように言い返した。 「天城さん大きいから上から見てると気がつかないんだろうけど、僕これでも背が伸び――わあっ!」 叫び声を上げたのは、天城の腕に、荷物ごと身体をすくい上げられたからだった。 「天城さん!?なにするんだよ!?」 「いいからいいから」 天城は笑いながらノアを抱えて歩き出した。 「下ろしてよぅ!僕が運ぶって言ったじゃないか!」 「運んでるじゃないか。鞄、落とさないようしっかり持っててくれよ」 「こういうのは――運んでるとは言わないよ……」 ノアは呆れた様子で言ったが、やがてあきらめたのか、天城の首に片腕を回し、身を預けるようにして呟いた。 「僕も……天城さんみたいに強かったらいいのにな……そしたら天城さんの事、助けてあげられるのに……」 「お前は強いよ」 天城はノアを抱え込み、額に自分の頬を擦り付けた。 「ノアは――すごく強いじゃないか。俺はもう何度も、お前に助けてもらったよ――」 僅かの間、二人は間近で見つめ合った。そしてどちらからともなくそっと唇を重ねた―― 「ひゃあぁ、懐かしい~……」 バスを降りて、天城とノアは食堂の入り口前に並んで立った。 「うおお……このドアも、変わってねえ……」 真鍮のドアノブを嬉しげに撫でている天城を見て、ノアはくすっと笑みを漏らした。 「天城さん、入院してたの3ヶ月くらいだもん。そんなすぐ変わらないよ」 「だよなあ……でもなんか、ものすごく長かったような気がするんだよ」 ノブに手をかけた時、天城はドアに下げられている本日休業と書かれたプレートに気が付いた。そういえば、営業中はいつも道に出してある電気看板も見えない。 「……あれ?今日、定休日だっけ?」 「ううん、違うはずだよ。どうしたのかな?」 首を傾げながら、ドアを開けて二人が店の中に入った途端 「天城くん、退院おめでとう!」 と大きな声がして、賑やかにパンパンという音が響き渡った。 「おめでとうー!」 「元気になって良かったなあ!」 店の中にいた人々が口々に言う。食堂の常連客たちだった――相模や音羽、銀嶺と津黒の姿もある。正面の壁には『天城くんお帰り』と書かれた横断幕がかけられていて、中央に寄せてあるテーブルの上には食べ物を盛った皿がいくつも並べられていた。 「なんだこれ……俺に?すげー……」 天城は店内の様子に目を丸くしながら、肩にひっかかった色とりどりの紙吹雪やらテープやらを取り去った。ついでに隣のノアの頭に乗った分も払い落としてやる。 「こらーっ!散らかるからクラッカーは止せって言ったはずだぞー!」 厨房の窓口から顔を出して晋が怒鳴った。 「せっかく買ってきたんだから、使ったっていいじゃないか」 「そうだよ、こういうのは景気良くやんないと」 客たちが言い返す。 「勝手な事言いやがってー!誰が掃除すると思ってんだ!」 「わかったわかった、手伝うってばよ!」 「みんなどうしたの!?お祝いは、キオが退院したとき春さんたちも呼んで、一緒にやるんじゃなかったの?」 ノアがきょとんと尋ねている――キオも元気になってきているが、バイオペットと人造兵とでは体力も回復力も違うし、治療開始前の症状がノアよりずっと重かったせいもあって、三人の中では一番完治に時間がかかっているのだった。今まだキオは研究所に入院していて、本郷が付ききりで世話している。 晋がノアに答えた。 「俺はそうするつもりだったんだけど……その時はその時でまた祝うんだとさ。まあやらせとけ、爺さん連中は宴会がしたいだけなんだから。おおっぴらに飲み食いする口実さえありゃいいんだよ」 「お祝い事は多いにこしたことないだろ!相変わらず口が悪いね晋ちゃんは」 「まったくだ……親の顔が見たいよ」 安彦が頭を振って言う。 「何言ってんだい親父は!俺ぁ正真正銘あんたの子だっつうの!口が悪いのだって、店であんたらみてぇな常連の会話聞いて育ったせいじゃないかよ!」 文句を言いながらも、晋は楽しそうに笑っていた。 「ほら二人とも、突っ立ってないで座れ。もう昼過ぎだ、腹減ったろー?食おうぜ!」 晋が店に出てきて椅子を二つ引く。ノアと天城は顔を見合わせて笑い、そこに並んで腰掛けた。

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