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第4話

 柔らかな風が、大きく縁どられた窓の隙間からそっと吹いてくる。机上で開かれた小説のページを風が攫って、薫は誘われた様に窓の外を眺めた。授業開始10分前の時刻にもなると、学生達も流石に講義室内に集まってくる。  薫は、ストールの位置を何気なく気遣いながら、手元の文庫本を閉じて学生達の様子をぼんやりと見ていた。色とりどりの洋服に身を包む彼ら彼女らは、一見何事もなくまるで平和そのものといった雰囲気だ。その光景にどこか落ち着くような、自分とは無縁な映画のワンシーンでも見ているような、どちらとも付かない曖昧さを覚えながら、昨日の出来事を思い起こす。  あれから、風間は新宿三丁目の安居酒屋へ入り、騒がしい店内の個室へと薫を誘った。暫く様子を窺っていた薫だったが、彼は何事も無かったかのように雑談し、いつもより多目にビールを煽った。あそこまで人を巻き込んだ割には、まるでお前は無関係だと言わんばかりの態度に思えた。それに業を煮やし質問しようとした矢先、珍しいことに「薫といるのが一番落ち着く」と、出逢った時と変わらないからりとした笑顔で言ったのだ。  普段の彼は、他者に気さくな接し方をする割には心情をオープンにする事があまりない。あの行動は一体なんだったのか、どのような経緯で怪我をしたのか、最近スマホをよく見ているがそれと関係があるのか――問い掛けようとした言葉は出口を失い、薫は何も言えなくなってしまった。  自分と居て落ち着くのは、余計な干渉をしないから。要求しようと思うのなら、いくらでも欲はある。それを言葉にせず半分は抑圧して、半分は許容する振りをして、時折綻びの生じるバランスが崩れそうになる事を恐れてきた。しかし何よりも、自分に気を許してくれているのなら、その関係性を失うことが薫は怖かったのだ。  薫は、ふと小さな溜め息を吐いて、既に崩れかけてきている自身の気持ちと行動とに苦笑した。 「かーおる!」 「…長谷川」  ぼんやりとし過ぎてまるで視界に入っていなかった。勢いよく顔を覗かせた長谷川とばっちり目が合って、薫は口許にゆっくり微笑を作ると、机上に肘を付いて顎を微かに乗せた。無神経とも言えるほどの長谷川の明るさが、窓の隙間から顔を覗かせている。

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