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過去編
『えらいわねぇ、歩は頭が良くてママの言うこともちゃんと聞くものね』
『すごーい!さすが歩君、何でもできてかっこいい!』
『今回も歩君が一番よ。この調子で頑張りなさい。歩君だもの大丈夫よね』
小学生という、小さな身でありながら歩には大きな重圧がすでにかかっていた。
“なんでもできて当然” “一番であって当たり前”そんなプレッシャーが心身を苦しめる。
「兄ちゃんみて!きょうね、兄ちゃんの絵、がっこうでかいてきたんだ!」
そんな重圧に押し潰されそうになっていた時、いつも助けてくれていたのは弟である渉だった。
「せんせいに、1番だいすきな人をかいてっていわれたから、おれ、兄ちゃんのことかいたんだ!」
そう言って渉が見せてきたのは、宇宙人のような物体が描いてある1枚の絵だった。
目からは何やら気持ちの悪い線が伸びている。それでも“1番大好きな人”で自分を描いてくれる弟を愛しく思った。
「すごく上手だね。ありがとう、嬉しいよ」
「ふふ!あのね、絵のなまえは“泣きむし兄ちゃ”だよ!」
「...っ、」
無邪気に笑いながらそう言った渉に、歩は驚いた。
何故なら、歩は渉の前では一度も泣いたことがなかったからだ。両親の前では出来のいい息子。友達や先生の前では優しく、何でもできる姿を。
そして、弟の前では、強く、頼りがいのある兄の姿でいた。重圧で弱っている姿など、一度も見せたことがない。否、見せないように過ごしてきていた。
「おれ、知ってるよ!兄ちゃん、おかあさんとおとうさんにほめられた後、いつも泣きそうになってるんだ。兄ちゃん、ほんとうは泣き虫なんだ!おれよりも泣き虫!」
その瞬間、歩は本当の意味で自分を理解してくれる弟に救われた気がした。
自分の、弱い姿にこの小さな弟は気が付いていたのだ。
「でも兄ちゃんが泣きそうなときは、おれがぎゅってしてあげる!いまも、泣きそうだから...ぎゅっ!」
明るい太陽のような渉。
「ありがとう...ありがとう、渉」
自分を理解してくれるのは、渉だけ。無邪気な笑顔で癒してくれる大切な存在。
「おれ兄ちゃんだいすき!どんな兄ちゃんでもだいすき」
小さな体から温かい幸せが伝わる。
― 俺の味方はお前だけだ。
きっと、今は無邪気な渉も大きくなっていけば、あの両親に価値をつけられる。そうして同じ重圧をかけられてしまう。
「お前のことは俺が守ってやる。だから兄ちゃんとずっと一緒にいるんだぞ?」
そう言えば、渉は嬉しそうに笑い、強くしがみついてきた。
― 可愛い渉。俺をわかってくれてるお前を...――――― 誰にも渡したりなんかしない。
この日を境に深まった兄弟の絆。
しかし、同時に幼い歩の心に姿を現したのは歪んだ花の芽だった。
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