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第3話
トトメスのスラムで生き抜くためにはハングリー・フライデーは欠かせない店だ。
まず店主のジジは気の良い男で、味覚以外の感覚が落ちている。視力も張力も嗅覚さえも常人の二分の一以下であるジジがスラムで生き残ることができたのは、彼の女房であるフライのおかげだ。
元娼婦であるフライの料理センスと接客は抜群で、ジジの天才的な味覚と良心的な価格によって繁盛している。そして夫妻は金曜の夜になるといつも、ジジのかつての姿と重なるストリートで暮らしている子供たちに食事を提供する。残飯処理とも言われるが、彼らの施しがストリートの子供達や娼婦を支えていた。
「お前は約束を破ったんだ。もう、次の約束はしない」
辺りのストリートをまとめるスバルに強く言われて、ノアはホルスに襲われたことを伝えた。彼は頑固として受け入れなかった。
わざわざスバルが根白にしているマンホール下の通称マンホール王国(見捨てられた軍備施設の残骸をマンホール下から繋ぎ、そこでストリートチルドレンたちの自助施設が存在する。)に来た意味がないとノアは前のめりになる。ゴミ溜めの中からスバルが拾ってきたソファに寝転びながら、この地下の王様は薄目を開けた。
「お前らみたいな遺跡育ちに貴重な食料を分けてやってるだけでもありがたいと思え」
食い下がるノアにスバルはそう言って背中を向けた。またノアが辺りのはぐれものから食料を盗むことになる前に、どうにかルートを確保しなければならない。
「取引は、そっちの売り上げが上がるまで、卸値を下げるから」
ノアの商品である遺跡の花は美しい。だがマスクや薬無しで一日と生き延びられない環境に咲くので、ほとんど市場にまわらない。だから危険を承知で花を取りに行けるストリートのこどもを娼舘などは買い上げる。
ノアとミュシャは大気への耐性があり、危険を犯さなくても大気の中で生きていくことができる。そして、金になる鼻を簡単に摘むことができた。
目先のパン欲しさに毒の濃度が高い遺跡の層まで降りては命を落とすストリートの子供をスバルは減らしたいはずだ。彼はそういう責任感は人一倍強い。
「売り上げが上がるのは、三ヶ月先だ」
絶対に嘘だとわかっていたが、ノアは仕方なく承知した。将来的に貯蓄して、ミュシャを女にしてやるために惑星の外に出なければならない。それには莫大な資金が必要なのだ。三ヶ月の辛抱だと肯く。
「次は、絶対に遅れるなよ」
差し出されたノアとミュシャの配給分のパンと干し肉は黴びていた。だが文句を飲み込んで、受け取る。
「おいノア」
スバルの声に振り返ると、彼は「ホルスが活発化してる」と一応おしえてくれた。彼はストリートの少女をこのむ軍人たち相手にも商売している。彼の情報は確かだ。
「そう」
肩を掴まれて「ハルモニアの女たちも使えなくなった女たちから処分されてる」と言う。
「うん」
「人ごとで居られるのも今のうちだぞ。お前のところの片腕、この星の原住民なんだろ?」
「誰から聞いたの?」
「知らない奴がいるのか? マフィアからお前が逃したんだろ? 遺跡なんて行く奴はいない。お前ら以外な。だからマフィアは近づかない。けどな、軍には興味を持った奴が居るって話だ」
「軍?」
伝聞ではなく、スバルが直接取り引きしたのだと直感的に感じた。
「誰に情報を売ったんだ?」
「誰? なぜそんなことをお前に報告しなきゃならないんだ?」
スバルは容赦がない。ストリートの現状は表面上は平穏を保っているが大半は麻薬中毒で、売春をしているものが病気にかかると見捨てるしかない。死と隣り合わせなのは昔も今も変わらない。情報を金にすることに躊躇わないスバルは強い。
「俺はストリートのキングだ。売れるものはなんでも売る、お前はただの隣人。守るべき対象じゃない」
宣言して立ち去る彼の背中を見る前に、ノアは走り出した。嫌な予感がしたからだ。
──この前のホルス、なんか変だった。僕に喋りかけた。
ドラッグをやっていないノアには恐怖だった。大気に耐えられる体質だからこそ生きていられた遺跡の居場所を奪われる予感がした。
この世界で生き抜くのは容易ではない。何度も殺されそうになった。その状況からノアを救ったのは、第六感だった。
──何かが、僕を呼んでる。
ノアを呼ぶものの正体は分からない。確かなのは、この予感は必ず当たると言うこと。
「ノア!」
マンホール王国から抜け出して急いで遺跡に向かう。今朝、ミュシャに言われたことがある。
朝目が覚めて、今日も世界は常人にとっては猛毒のはずなのに、平穏だった。
「ノア」
頬にキスをされて目が覚める。
「おはよう」
「おはよう、ミュシャ」
ミュシャもノアも裸だった。二人だけの寝床ではいつも、衣類は身に付けない。起き上がってミュシャにキスをしてから、押し倒した。
「ミュシャ、おはよう」
「うん、なあに。ちんちん押し付けないでよ」
「ちょっとおっきくなってるから、射精しないかなって」
腰を押し付けると、ミュシャは笑いながらいなしてくる。朝食の準備をするのだと言う。
「ほら、ちゃんと起きて」
古屋を出て、常人にとっては猛毒の水場で顔を洗って小屋に戻る。皿の上に盛られていたのはカビ部分を削り取られたパンだった。
「今度はバターも手に入るといいね」
遺跡の中で、火を起こすコンロはごくたまにしか使わない。燃料を買うにはひどくお金がかかるし、いざとなれば遺跡内の植物を食べて喰い凌ぐこともできるからだ。ただし、そうすると流石に特異体質のノアたちも栄養状態までは管理できず、体調を崩す。遺跡の中でタンパク質を手に入れるのは容易ではない。
「また盗んでくるよ」
「うん、待ってる」
ミュシャは遺跡の外に出るのはあまりにも危険だ。その点見た目は比較的外の人間と違いが少ないノアが出ていくことなる。
いつ手に入れにいくか考えながら、ミュシャにキスをして押し倒していると「ちゃんとご飯食べなきゃダメだよ」と言われる。仕方なく体を離すと今度はミュシャに押し倒される。キスが深くなって、舌で口の中をかき混ぜられる。最近お気に入りのキスだ。腰のあたりがうずうずする。ミュシャな悪戯な手で性器を突かれる。結局そのまま、二人で体を触り合って過ごした。
そのうち疲れて「スバルに話したほうがいいよ」と言う。
「もうあいつとは取引できないと思う」
「でも、タンパク質もパンもって、すごくノアが負担だろ?」
「僕は別に」
危険なことも慣れている。たまに捕まりそうになって、マフィアの男娼にさせられそうにもなった。臓器を売られそうになることもよくあるし、実際に気付いたらつかまって臓器を抜かれて余命幾ばくもなくなったストリートの顔見知りも居る。
それでも、ミュシャが無事でいればそれでよかった。
「このままじゃダメだよ。だから、スバルに取引を持ちかけよう」
「あいつは、約束を守らない奴には容赦しないよ」
「だから、暫くお金はいいから花は贈るって言えばいいんだよ」
損をすると分かっているので頷き切れない。それでも、ミュシャの言う通りだったのでうなずいた。
嫌でも、この世界で生き抜いていくためには少しでも恩を売り、時間や人を売り買いできる立場にならなければならないのだ。
「大丈夫だよ」
ミュシャの声は魔法に似ている。しぼんだノアの気持ちを蘇らせるのだ。
「ねえ、ノア」
ノアが少し悩みながらも考えているとミュシャはキスを暮れながらいった。
「好きだよ」
「どうしたの? 僕もミュシャが好きだ」
「いつか、ぼくが女の子になったらさ」
「うん」
「家族になってね」
ノアは頭を傾げた。
「どうして。今だって家族じゃない」
「そうだけど。でも、繋がりがぼくらにはなくて。それが寂しい」
「ミュシャ」
まだ完全に繋がっていないから不安だと言う。ノアが言葉を振り絞って「それでも。僕たちは心が繋がっているじゃないか」と伝えると、ミュシャは少し微笑んで「そうだね」と答えた。
繋がりを、ミュシャに感じている。初めて見た時から、その美しさと匂いに郷愁のようなものを感じていた。だから、必死に走って遺跡に向かう。
「ミュシャー!」
叫んでたどり着いた先に、荒野が広がっていた。遺跡一帯が焼き払われていたのだ。
「ミュシャ!」
そんなはずはないと燃えかすになった小屋の周辺を探す。そしてようやく見つけた先に、ミュシャがいつも身に付けていた緑色のペンダントが転がっていた。宝石の原石なのか、くすんだ緑に灰がこびりついている。
「何で」
周辺を見渡して、息を飲んだ。先ほどまでうつくしかった遺跡周辺が焼け野原になってかつての姿を僅かに取り戻している。神話の女神がこちらに手を伸ばしていた。
「ミュシャ」
名前を呼んで項垂れると後ろに気配がした。
「誰だ!」
名前を問う前に、世界が白くなる。何かの強い力が、遠くでノアに話しかけた。
『我らと行こう、愛児よ』
「誰?」
問うても、誰かは答えない。ただ、視界の端でミュシャの気配を遠ざけるだけだった。
「ミュシャを返して!」
『この子は我らのもの。お前も共に行くだろう?』
「行くから! だから、僕からミュシャを奪わないで! お願い、お願いだから!」
願った先に、ノアは光を見た。
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