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第28話
ワンシーンの立ち位置に戻ると監督の一声で先程の続きが始まる。休憩中の千晶の態度に苛立ちを感じながらもスイッチを入れ替えて春臣は顔つきを変えた。
といってもここでのシーンはあとはセリフをいくつか言って廊下に出るだけだが。
「そいえばこの後、資料室寄ってもいいか?ちょっと文献に使いたい資料があって...」
千晶に背を向けて扉の前まで歩いてきた春臣だが後ろから聞こえてくるはずの千晶のセリフが中々聞こえてこなかった。
-あいつ、セリフが飛んだか。これはNGだな...ったく、手間取らせやがって。
そろそろ監督からのカットの知らせが来るかと振り返ろうとした春臣であったが---
「...っ!?」
「僕だって、ちゃんと“男”ですから。こう見えても」
耳元で聞こえる囁き声。
ドン、と後ろから伸びてきた手は春臣を扉に押しつける。
その力は演技のはずだが思いの外強く、身動きが取れなかった。
「え、ちょっ...!」
「これでおあいこね」
耳元で囁いた口はそのまま春臣の耳を舐め甘噛みすると離れていった。
次に素の反応を見せたのは春臣の方であった。赤くなった頬はすぐには元に戻らない。
「さぁ、資料室に行こうか」
妖艶に笑う千晶は春臣の横を通るとそのまま扉を開けて廊下へと出て行った。
「はい、カーット!」
後をついて出て行く春臣に合わせてワンシーンは終わる。
この時、無表情で歯噛みしているのは春臣だった。
千晶への監督の賛辞も何もかも頭に入ってこなかった。千晶が、舐めてかかっていた自分を嘲笑っていたのがわかった。
それが悔しくて悔しくて、そして下に見ていた千晶に圧倒されてしまった自分が憎かった。
その後はしばらく出演シーンはないため春臣は1人、控え室に戻った。
「っ、ざけんな...あんなアドリブしやがって」
椅子に座る春臣だが何度も耳を擦って拭きたい衝動に駆られた。しかしその度に、赤く跡が残ったら困ると我慢していた。
口では罵るが実際、千晶のあのアドリブは話を盛り上げるものとしては最高のものであった、そう認めざる終えなかった。
それはもちろん、千晶が主役であったからだ。
改めて自分は主役なんかではないのだ、と痛感させられた春臣は強く強く拳を握った。
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