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男の名残 3
ニコルの案内でやってきたのは、孤児院だった。
ニールが目指していた娼館よりもずっと、エヴァンジェンス邸に近い場所にあって、正直なところずいぶんとお助かった。
「ゆっくりしていって、わたしの実家だから」
遅い昼食をとっているのか、建物からはスープの匂いが漂ってきている。
「食べていく?」と、先を歩くニコルに、ニールはすこし迷いながらも頷いた。
たらふく食べたつもりでいたのだが、体をかばって歩いていたせいか、小腹が減っていた。
「いいのか? その、ご馳走になって」
建物は小さいが、つくりはしっかりしている。遠征した地で見かけた孤児院よりはずっと裕福そうではあるが、子供はよく食べる。経営は厳しいはずだ。
「気になるんなら、気が向いたときにでも寄付をしてあげて。どうせ、お金は有り余っているんでしょう?」
否定は、しない。
報奨はそれなりにもらってはいるが、軍にいればほとんどが配給だ。遠征にでていれば、なおさら使う機会は減る。
ドーナツを毎日袋いっぱいに買ったとして、英雄からすれば微々たる出費でしかなかった。
「みんな、いい子にしているかしら?」
ノックもなくドアをあけたニコルと、やや緊張気味に身構えるニールを待ち受けていたのは、子供たちの歓声だった。
「ニコねえちゃん、おかえり!」
使い込んだエプロンドレスを着た少女が、椅子を蹴飛ばして立ち上がり、ニコルに飛びついた。
「ひさしぶりね、ネーナ。背が伸びて、ますますかわいくなったわ」
撫でられて、嬉しそうに微笑むネーナの顔を見ていると、ニールもつられて頬が緩んでくる。
子供と触れ合うのは、いつぶりだろうか。
「今日はねぇ、エフレムおじさまのお友達をつれてきたの」
「お、お友達? オレが?」
不本意だ。
ムッとするニールに、ニコルは「あら?」と首を傾げた。
「恋人って言ったほうが、良かったかしら?」
「エフレムおじさまの、こいびと?」
目ざとく反応したネーナに、ニールは違うとぶんぶん首をふった。
「お、お友達だ!」
「とっても、仲の良いお友達よね」
「そ……そう、だ」
にっこり微笑むニコルの大きい尻を蹴飛ばしてやりたいところだが、子供の目があるし、何より痛みで足をあげられない。
こめかみに脂汗を流すニールに、老齢の女性が近づいてきた。
「はじめまして、院長のフォンです。あなた、ニール・ティアニーでしょう? ユーリの最後の息子。すっかり大きくなったわね」
差し伸べられた右を取って、握手を交わす。
「オレを、知ってるのか?」
「この子と同じくらいのときに、ちょっとだけ。随分とはずかしがりやさんでね、物陰にずっと隠れていたわ」
ニールには面識した記憶はないが、嘘を言う場面でもない。
気恥ずかしさを笑みでごまかし、ニールは孤児院をぐるりとみまわした。子ども達が、質素ではあるが暖かいスープの前で、キラキラと顔を輝かせていた。
「ご一緒にいかが?」
「……ぜひ、いただきます」
頷くと、ネーナがぴょんと飛び跳ねた。
「こっちよ、ニールくん。先に座っていてね、すぐにお皿とお匙をもってくるわ」
小さい手に引っ張られ、子供たちの間に入る。
すぐにネーナが戻ってきて、暖かいスープが目の前に置かれた。具材は少ないが、野菜の旨味を感じさせるいい匂いが漂ってきた。
「ニコねえちゃんも、早く座って。みんなで、もう一度、いただきますするんだよ」
ネーナとニコルに挟まれ、柔らかく暖かい感触に居づらさを覚えつつ、賑やかな食卓に、ニールは手を合わせた。
ぐったりと、ニールはうずくまった。
戦場に立ち、飲まず食わずで闘い続けても、今日ほどに疲れはしないだろう。
「ちっさいのに、元気すぎるだろう」
若くきれいな男は、子供たちにとってていのいいおもちゃだった。
休むまもなくつきまとわれ、心底楽しそうな笑顔に帰るとも言い出せず、気づけば夕食をともにして、寝床まで用意される始末だ。
「生きるってだけで、子供たちは必死なのよ。大人になると、余計なしがらみが増えていって、生きているのを忘れちゃうから。できるだけ、ここに戻ってくるようにしているわ」
子供たちと一緒では寝れないだろうと、用意された客間は静かだ。ほっとするが、すこし寂しい気にもなる。
一人で寝るのは、随分とひさしぶりのような気がした。
「添い寝が必要?」胸中を見透かしてくるニコルに、必要ないと手を振る。
「そう、じゃあお休みなさい」
ランプを持ったニコルが去ると、部屋は一気に暗くなった。
カーテンの無い窓から見える夜空はとても澄んでいて、瞬く星が綺麗だった。
母が暮らす後宮は、太陽の中で白壁の建物が輝き、いつも草花の甘く若いにおいに満ちていた。
暖かく、清潔で管理された場所は楽園のようであったが、ニールにとって後宮での暮らしは、寂しさと恐怖に満ちた場所だった。
ニールは後宮で生まれ、後宮で幼少を過ごした。
付きっきりで世話をしてくれていた乳母を母と勘違いしていたくらいには、母を知らずに過ごしていた。
理由は今もわからずじまいだが、母アマリエはニールを遠ざけていた。
会いに来てくれた肉親は兄のアルファルドくらいで、父は祭のときに拝謁するくらいで他人に等しかった。
寂しい幼少期ではあるが、不幸ではなかった。
押し込められるようにして後宮の奥で暮らす日々を哀れんで、乳母や侍女たちは快く接してくれていた。
穏やかな日々をかえたのは、不幸で許し難い事件だった。
(夢を、見ているのか)
夢というよりは、記憶のぶり返しだ。
戦場に立ち始めた頃に、よくみていた忌まわしい記憶だ。
後宮に暴漢が侵入し、鉢合わせたニールは左目をえぐり出された。
右目を失う前に、駆けつけてきた男によって暴漢は取り押さえられたものの、ニールは一生ものの傷を負った。
暴漢の侵入には王位継承権が絡んでいて、皇帝のお気に入りであるアマリエを妬んでのものだったと、養父となったユーリに聞かされた。
左目を失った恐怖もさることながら、ニールの心に深い陰を落としたのは、やはり母だった。
見舞いの言葉を人づたいにもらっても、癒されるどころか悲しみが深くなるばかりだった。
生死の境をさまようほどの怪我を負い、高熱にうなされるニールは孤独だった。
一人、放置されたわけではない。手厚い看病があったからこそ、今を生きている。一番、会いたかった人が居なかった寂しさが、ずっと心に残っていた。
重いまぶたを、引っ張りはがすように覚醒する。
まだ、夜は開けていない。
静かな夜空を睨むよう見つめたニールは、めずらしくため息をついた。
(そういや……あの、におい)
傷の痛みにうなされていると、必ず、ぎゅっと握りしめてくれた手があった。
かすかに甘い匂いを伴ったあの手は、誰だっただろう。
ぼんやりとまどろみながら、ニールはゆっくりと瞼を閉じた。
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