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男の名残 2
人の目をこんなにも気にして歩いたのは、初めてだった。
用意されていた朝食を……嫌がらせついでに目に付いたハムも片っ端から平らげて、ニールはエヴァンジェンス邸を後にした。
渡された合い鍵はどうすべきかと悩んだものの、隠せるような場所もないので軍服のポケットに放り込んだ。
どうせ、嫌でも顔を合わせるのだ。直接返せばいいだろう。
「……いてぇ」
立ち止まり、ニールは腰を押さえて呻いた。じっとしていても疼くように痛むのだから、いくら気を使って歩いても無駄だった。
往来で行き倒れるわけにもいかず、軍宿舎に戻るのはあきらめて、馴染みの娼館を目指して進む。
裸のまま朝を迎えたのが悪かったか、どうにも体が熱っぽい。ふわふわと、気を抜けば吹き飛んでしまいそうな意識にぎゅっと唇を噛む。
「……なんで、こんな目に」
つとめて意識しないようにしているが、男に抱かれた事実は物理的にもくっきりと体に残されている。
何も入っていないはずなのに、腹の奥に何かを食んでいるような違和感に、ぞっと産毛が逆立った。
いっそ、感じていたのが痛みだけなら良かった。
前を弄られて快感を覚えるのは、仕方ない。自慰と大差ないと言い訳も立つが、さすがに後ろの快感は衝撃的だった。
(酔っていたとはいえ、だ)
かっと熱をもつ頬に、ニールは俯いた。
ただでさえ目立つ容姿なのに、挙動不審ではさらに人目を引いた。
「くっそ、膝が震えてきやがった」
強がらずに、もう少し休んでいれば良かったのかもしれない。珍しく弱気になるニールは、不意に漂う甘い匂いに足を止めた。
「随分と、調子が悪そうだけど大丈夫?」
声をかけてきたのは、女だった。銀色の豊かな長い髪と、服から飛び出した豊満な乳房。
夜の世界からそのままでてきたような格好の女は、ニール以上に昼の街から浮いていた。
集まってくる視線に、ニールは冷や汗を滲ませた。
「ほ、ほうっておいてくれ」
体調は最悪だが、今はだれにも触られたくなかった。
男に抱かれてひいひい言っているとはさすがに思われないだろうが、適当な言い訳を考える余裕すらもなかった。
「軍人なのに、初めてだったの?」
「……へっ?」
目が合うと、女は「あらあら、おじさまったら」とにやにや笑った。
昨晩、なにがあったのか。わかっているぞといった視線に、ニールはじりっとあとじさる。
今すぐ体裁も忘れて逃げ出したいが、体に力をいれるとどうしようもない鈍痛にみまわれる。
「わたしは、ニコル。情報屋で、おじさま……エフレム・エヴァンジェンスのご贔屓よ」
ばちん、とウインクしてみせる情報屋ニコルに、ニールは頭を抱えた。
疑いようがない、この女は知っている。
「おじさまの手料理、おいしかったでしょう?」
なにも言えず、ニールは脱力した。戦場ですらついたことのない膝を地面につけて、がっくりとうずくまる。
「大丈夫? もしかして、初めてだったのに気持ちよかったからショックだったの?」
図星を指され、ニールは反射的にガバッと顔を上げ……赤面した。自分から肯定して、どうする。ギリギリと奥歯を噛みしめ、羞恥に耐える。
ニコルは長い髪が地面にふれないようたぐり寄せ、ニールの顔を覗き込むようにかがんだ。
「仕方ないわよ、おじさまは男のコも女のコも扱い上手だから」
ぽんぽんと肩をたたかれるが、少しも慰めにはならない。
「お、男も……女も?」
「そう。おじさまに女にしてもらったもの同士、仲良くしましょう」
ね? と微笑まれたところで、とてもじゃないが笑い返せない。
(……消えたい)
今すぐ、跡形もなく消え去ってしまいたい。
うずくまったまま、羞恥と痛みにニールは震えた。
「ニール・ティアニーは、どこに行こうとしていたのかしら?」
とにかくほうっておいて欲しいのだが、ニコルに立ち去るような気配はない。
女といえど、情報屋としてエフレムとまともに取引をしているだけに、なかなかに肝が座っている。いくら睨んでも、怯むような素振りはない。
「……馴染みの店だ」
ニコルは、ふぅんとしたり顔で笑う。
「昼間っから、娼館で抜くの? おじさまのおっきいあれを、思い出しちゃった?」
わざとらしいあおり文句だとわかっていても、気恥ずかしさにニールは顔を赤らめた。
中を蹂躙された感覚は、忘れたくとも忘れられない。だが、恋しいわけではない。
「う、うるせぇ。てか、なんで娼館って」
「私は、情報屋よ? 個人的にもあなたに興味があってね、いろいろ調べちゃった」
ぐしゃぐしゃと髪を撫でてくるニコルの手を、乱暴に振り払う。
「隠したいことなんて、たいしてありゃしない。調べたいなら勝手にすればいい。……ほうっておいてくれ」
「体を休めたいなら、娼館よりもずっといい場所を知っているけど?」
うさんくさい女に、ほいほいついて行く気はない。
エフレムと懇意にしているときいただけで、心証は最悪だった。
「いいの? 娼館にこのまま行って。彼女たちはきっと、あなたのお尻になにがあったかすぐに気づいちゃうわよ」
「……っ!」
有り得ないとは、言い切れない。
「それに、いくら昼間とはいっても、馴染みのお店がある場所は物騒よ」
「ひっ……ん!」
まともに動けないでいるニールの後ろに回ったニコルが、尻の割れ目をえぐるように指でなで上げた。
びくんと反応する体があげた嬌声に、ニールは慌て口を押さえる。
「やられたりないなら、おじさまにお願いしなさい。きっと、優しく抱いてくれるわよ」
「こ、なの……二度と、ふぁ……」
半泣きになって、ニールはニコルのいたずらな手から逃げようと身じろぐ。
女ひとり振り払えない状況で、襲われたとすれば、なすすべもないだろう。
エフレムに抱かれるなどもうごめんだが、ほかの男に陵辱を受けるなんてもっとごめんだ。
「お姉さんと、一緒に来なさい」
頭をなでられ、仕方ないと頷いたニールをニコルは子供をあやすよう胸に抱いた。
男にはない柔らかさは、挫けた心をそっと包んでくれる。
深い谷間に顔をうずめたニールは、ニコルの肌からたちのぼる匂いをすんすんと嗅いだ。
(この匂い、同じだ)
懇意にしているだけあって、エフレムと同じ香水を使っているのだろうか。甘く、しつこくなく少し苦い大人の香り。
不本意ではあるが、この匂いに包まれていると心が穏やかに落ち着いてゆくきがした。
「さあ、そろそろ行きましょう」
ニコルに促されてゆっくりと立ち上がったニールは、ぼんやりと熱を持つ頬をペタペタと叩く。
しっかりしないとならない。
今のところ、好意的に見えるニコルだが、エフレムの知り合いだ。完全には気が抜けない。
きりっと、視線だけを鋭くしてみせるニールを、ニコルはやれやれと肩をすくめた。
「よっぽど、おじさまに抱かれたのが嫌だったの?」
「い、嫌というか」
思い出したくもないのに、名前を出されたら否応にも昨晩の情事が脳内に再生される。
子供のようにはしゃいでご馳走にがっついていたことも、快感を受け入れていたことも。なにもかもが、恥ずかしかった。
ニールは、ぶんぶんと頭をふった。女々しくぐずつなんて、らしくない。
(だいたい、覚悟……してたはずだ。死ぬほど痛いよりは、いい……はず)
無理やり落とし所をつけて、ニールははやく案内しろとニコルをうながした。
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