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男の名残 1

なにもない静かな日々は、案外嫌いではない。と、言えば大抵の人間は怪訝な顔をする。  戦場から呼び戻され、帝都守備の要として置かれているが、坦々とした日常だけが過ぎ去る世界は、ヴァレリー・フェレにとってもつかの間の休日ではあった。  大量の書類仕事を放置して、うるさい双子の秘書の目を盗んで街に繰り出す。  ひさしぶりに目にする街並みは、歴史を感じさせる古さと、芸術性が色濃い。長く、他の文化の侵略を許さなかったせいだ。  街頭が煌々と輝く路地を外れ、十代の頃に住処としていたスラム街をめざす。  移民出の、使い捨ての駒にしかならないだろう存在から帝国軍の大佐にまで出世を果たしたヴァレリーではあったが、高級なワインよりも安酒の味が忘れられないでいた。  錆びた蝶番からもげそうな古い扉をそっと押し開き、濃厚な酒の臭いが渦巻く店内に入る。  昼夜の区別がない、どうしようもない飲んだくれたちがヴァレリーを見、そのうちいくつかの常連が挨拶代わりにジョッキを持ち上げる。 「いつ来ても、ここはかわらねぇな」  ぐるっと、狭い店内を見回し軽く手を上げ挨拶かえす。 「何人かは、くたばっちまったみたいだがな」  笑えば、「お前も相変わらずだ」と相づちが返ってくる。 「やあ、ヴァレリー。ひさしぶりに見ても、くそなまいきな顔をしているな」 「うるせえよ。生まれつきのもんは、どうしようもねえ」  カウンターでグラスを磨いていた若い店主が、後ろの棚から酒瓶をとりだしながら笑う。  腐れ縁でつながっている、幼なじみだ。  いつものカウンター席に座ろうとしたヴァレリーに、幼なじみは瓶を差し出した。  今にも壊れそうな店には似つかわしくない、高級なウィスキーだった。 「お前に、客人がきてる。二回の個室だ」  手渡されたウィスキーは、見覚えのあるラベルが貼られていた。  二階で待っているという客人の顔を容易に連想させる薔薇の絵に、ヴァレリーはふっと、口元を緩めた。 「……サムイール、来たのか。いつからだ?」 「部屋をとって、七日ほどになるかな。良い仲だからって、あんまり待たせるなよ」 「しかたねぇだろ、特に約束しているわけでもないし、向こうは根無し草だ」  詮索したそうな幼なじみに手を振って、ヴァレリーは足早に階段を上った。  二階の個室はいくつか有るが、人の気配を感じられるのは、一番奥にある部屋だけだ。  のしのしと、足音を隠しもせずに廊下を進み、ドアを開ける。 「サム!」  狭い部屋には一人、旅装束の男が椅子に腰掛けていた。  サム。ただの、サムイール。  美しい金の髪と、白い肌。大きな青い瞳には、皇族の証である金糸が混じっている。  第一王妃の息子であり、王位継承権第一位であった男は、生まれの良さを感じさせる仕草でたちあがった。 「会いたかったよ、レリー。君はいつ見ても、変わらないねぇ」  両手を広げたサムイールの胸に飛び込むよう、ヴァレリーは抱きついた。  首筋に顔をうずめ、ひさしぶりの匂いを堪能する。  諸国を歌いながら放浪する吟遊詩人となったサムイールは、ヴァレリーの元上官だ。  スラム街でいきがっていたヴァレリーを拾い、知識と技術を分け与えてくれた恩人でもある。 「帝都に戻ったと聞いたんでね、ここにいればそのうちあえるだろうと思ったんだ」 「ずいぶんと、大胆だな」  排斥されているとはいえ、元皇子であるサムイールが帝都を彷徨くには危険牙多いはずだ。  ヴァレリーの心配をよそに、サムイールは「問題ない」と笑い、ヴァレリーの背中を撫でる。 「こちらから会いに行かないと、レリーにあえないからね」 「ふらついてる、あんたが悪い」  だだをこねる子供をあやすよう背中をたたき、サムイールはそのままするすると引き締まった腰を撫で、さらに下へと指先を潜り込ませた。 「おいおい、さっそくかよ?」  堅い窄まりを撫でるサムイールを茶化すが、店主から酒瓶を渡されたときから、体はもうその気だった。 「こっちは、使ってないのかい?」 「あんた以外に、その気になれなくてな」  にいっと笑い、ヴァレリーはサムイールのふっくらとした唇を貪った。 「積もる話は、後だ」  息を継ぐ間も惜しいほど口づけをかわしながら、二人の男は年代物のベッドに潜り込んだ。    ◇◆◇◆  ウィスキーの栓を開け、グラスに注ぐ。貴重な氷がカラン、と涼やかな音を立てる。 「憧れの人には、会えたかい?」  椅子に座り、サムイールはベッドに寝そべるヴァレリーにグラスを差し出した。  何もかもがひさしぶりで、ついついがっつきすぎた。ヴァレリーの横顔には濃い疲労の色が見えるが、満足げな笑みが口元に見え隠れしている。 「遠目からなら、何度か。だが、だいぶ不抜けちまっててな。手を出すきにはなれない」  今のところは。胸中でつけたした言葉を読んだように、サムイールが「そうかい」と笑って喉を湿らせた 「レリー、君はだれにつくのかな?」   次期皇帝候補は、幾人かでている。 「最有力なのは、第二皇妃ミラの息子だそうだ。早々に取り入っている奴らもいるが、生憎とクセェ貴族連中の尻に乗る気はなくてな」  サムイールは黙って、グラスを傾ける。  自由気ままの吟遊詩人と自称してはいるが、サムイールは優秀な軍人であり皇帝候補だった。気にならないわけがない。  ふと向けられる視線の鋭さは、肩を並べて同じ夢を見ていた頃そのままで、嬉しさにヴァレリーはグラスを一気に仰いだ。 「ミラ皇妃の息子か、悪くはないが。第二皇子を差し置いて、か」 「第一皇子の弟殿は、気性が優しすぎて政は無理だ、と。詩を読んで、本をしたためる生活を送らせてやるべきだとな」 「……なるほど、それで幽閉していると」 「人聞きが悪いなァ、療養中ってやつだよ」  ヴァレリーは馬鹿馬鹿しいと肩を揺らして笑い、グラスを突き出す。 「レリー、あんたの弟だ。大人しく花を摘んでいるのが趣味だなんて、どうして思える? それに、おもしろい奴が一人いる」 「皇帝陛下が恐れる、アマリエ皇妃の息子か」  傾国の美女とうたわれた女の、人を惹きつける天性の気質と、最強の皇帝の血。   王として相応しい素質を持った青年は、幼い頃から今に至るまで、命を狙われつづけていた。 「あの皇帝が、すぐに崩御するとも思えない。暫くは、様子見だ」  欲しい駒は、手の中にある。焦る必要もないだろう。    

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