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男の名残 6

 馬車に乗り込んで、どれほど経った頃だろうか。  向かい合って座る気まずさに喉が渇き、軽く咳をしたニールにエフレムが御者に向かって水はないかと声を掛けた。 「だ、だいじょうぶ、だから」 「もう、声を掛けちまったんだ。らしくない遠慮してないで、素直に礼を言ってやるんだな」  のぞき窓から顔を出し、御者が「自分の水筒でよければ」と差し出してきた水筒を受け取ったエフレムは、そのままニールに放り投げてきた。 「ありがとう、ございます」  にかっ、と素朴に笑う御者に礼を言い、温い水を喉に流し込む。美味いと感じるのだから、それなりに乾いていたのだろう。  一息ついて、ニールは水筒をエフレムに返した。 「素直にしていりゃあ、英雄さまも可愛いもんだな」 「どういう意味だ? そりゃあ、あんたから見りゃあガキみたいな年齢だろうが、オレは歴とした軍人だ。戦場に出て、突っ立っているだけのお飾り貴族軍人とは違う。数え切れないくらい人だって、殺してる」  エフレムは手の内で水筒を転がし、やれやれと肩をすくめた。 「うわさ話が大好きな隠居軍人だと思っているかもしれないが、俺だってな、この手は真っ新じゃあない。必要なら、相手をとことん苦しめてから殺してもいる。仕事だからな」  溜息を隠すように水筒に口をつけ喉を鳴らして水を飲むエフレムに、ニールは気恥ずかしさを感じて目をそらした。  意識しまいと唇を噛んでから、逆に意識していると思われそうで口元を手で隠す。外には御者がいるとはいえ、個室になっている箱馬車は空間が限られていた。  膝をつき合わせる距離に不覚にも夜を共にしてしまった男がいるとあって、落ち着かないし、向けられる言葉はまともに頭に入ってこない。  動揺を悟られまいとするのに必死すぎて、ニールは「ひどい男だな」とつぶやかれた言葉を聞き逃していた。  ただ、御者に礼を言って水筒を返すエフレムの横顔が浮かない様子であるのには気付いた。いつもみたいに食ってかかってくるような覇気を、今日は感じられなかった。  だからこそ、調子が狂うのかもしれない。 「あんたは、どうしてユーリおじさんの家に行くんだ?」  問いかけて、ニールは窓の外へ視線をやった。  ゆっくりと流れてゆく長閑な景色は、遠い昔に置いてきた幼少の記憶をぼんやりと思い起こさせる。  経路こそちがうが、エフレムが座っている位置にユーリが座り、長い旅路を飽きもせず話していたような気がする。生まれ育った後宮を出ても不安が少なかったのは、ユーリの人柄のおかげに違いない。  ユーリ・ティアニーは軍人ではあるが、ニールのように最前線に赴いたりエフレムのような諜報活動ではなく、帝国と友好的な関係にある国や部族間の調停役を担う人材だった。  武力行使が目立つ帝国ではあったが、紛争を好まない勢力も存在しており、ユーリは穏健派勢力の代表格だった。  仕事柄、あちこちに赴くユーリの話はとても魅力的だった。 (そういえば、ユーリおじさんみたいに、遠くの見知らぬ土地に行ってみたいって思っていたよな)  思い出して、自虐的に笑う。  たしかにあちこちを渡り歩く生活をしているが、行く先々は戦場だ。敵意を向けられる中、暢気に観光なんてできるわけもない。 「おまえと、そう違わない理由だとおもうがな。フィルが尋ねてきたんだよ、ユーリ大将の遺品の形見分けをしないかってね」 「俺は知らない。あんたとユーリおじさんは、どんな繋がりがあるんだ?」  体ごとエフレムに向き直り、ニールはぐっと息を呑んだ。  ……俯いている。  いや、蹲っているようにさえ思えた。  見てはいけないものを目にしてしまったような気がして、ニールは視線を逸らした。追及したいが、手を出せば泣き出しそうな顔に言葉を紡げなかった。 「そのうち、話すよ」  絞り出すような声に、ニールは「……ああ」としか返せない。ただの、腹が立つばかりの男でしかなかったはずなのに。 「エヴァンジェンスさん、窓を開けてみてくだせえ! 風はすこしばかり寒いですけど、こっちのほうはもう花が咲き始めていますよ!」  暢気な御者の声に、ほっと息をつく。  場の空気を読めない明るい調子の声はエフレムにも助け船になったか、強ばっていた表情が少しばかりほぐれたように思えた。  窓の外には畑が広がり、種植えの準備に精を出す人々を見守るように大きく広がった木々の枝に付く蕾が、いくつか開いているのが見えた。  エフレムは御者に促されるまま、窓を開けた。 「すごく、綺麗だな」  青く広がる空の中で、白い花びらは星のようにも見えた。窓から流れ込んでくる風を吸い込むと、微かに甘い匂いを感じた。 「満開になると、木に雪が積もったようにも見えるぞ。夏頃に取れる果実は果汁たっぷりでな、熱さにやられているときに食べるとすぐに元気になる。……お前の母親が、アマリエが好んで口にしていたよ」 「母さんが?」  母親とは、片手の指で収まるほどしか顔を合わせた覚えがない。  皇帝の息子としてではなく、ユーリ・ティアニーの息子として後宮を出る時ですら見送りに来なかった母の好物などニールは知るはずもなく、ちらほらと儚く咲く白い花とエフレムを交互に見やって「そうか」と独りごちた。  知れてうれしいのか、知らなかったのが寂しいのか、今となっては良くわからない。あまりにも、離れすぎていた。 「なあ、どうして知ってるんだ?」 「そのうち話す……かどうかは、わからん」  おどけるように肩をすくめ、エフレムは座席に腰を沈めて目を閉じた。寝たふりを決め込むようだ。  目を閉じて、黙っていれば歳以上に若く見える顔に中指を立てて、ニールは窓に肘を乗せて外の景色をじっと見つめた。  きちんと整備された道が途切れ、馬車が止まればユーリの屋敷がある郊外の村に辿り着く。  逸る気持ちに突き動かされてここまで来たが、何しに行くのかと今更ながら胸中で問いかけ、答えを渋る自分に苦い溜息をつく。  生まれた場所は後宮だが、生きた場所はユーリの屋敷だった。  血の繫がらない、同情心でニールを引き取ったユーリだったが、誰よりも沢山の愛情を注いでくれた。父のような存在だった。 (無くなるなんて、なぁ……嘘だろう?) 全てが夢であってくれたらいのにと、叶うはずのない虚しい願いを抱きながら、ニールもまた瞼を閉じた。

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