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男の名残 7

 口を開けば当たり障りのない会話ばかりが続いた道中が終わり、馬車は郊外の村入口に辿り着いた。  乗合馬車の待機所に馬車と御者を預け、ニールはエフレムと並んででこぼこした野良道を黙々と歩いて行く。  広い土地に点在する家々に人の気配はあまりないが、閑散としているわけではなく、どこか穏やかな雰囲気が広がっていた。気持ちの良い、場所だった。  農業を中心に、村は養蜂も生業としている。一足早く咲き始めた花の甘い蜜の匂いが、緩やかな風の中にほんのりと混じっているようなきがした。 「どうして、花束なんて持ってきてるんだ?」  天気や風景の話題も馬車の中で出し尽くし、妙に気疲れしているのを感じつつニールはエフレムの手元を見やった。  あらかじめ、帝都で用意してきたのだろう。  まだ寒い季節によく集めたと感心するほどの、たっぷりとした花束は鮮やかなリボンで束ねられている。 「墓参りには、花が必要だろう? めったに来ない場所だしな」  当然、というよりはむしろどうした? と首を傾げるエフレムにニールは「あっ」と小さく声を上げた。  失念していた。  ユーリ・ティアニーの墓標は、帝都のティアニー家が所有している墓地にある。  亡骸も当然墓地に埋葬されてはいるが、晩年を過ごした村をとても愛していたユーリは遺髪をこの地に埋めるよう遺言を残していた。  忘れていた、とは言いたくない。だが、できるだけ早く行かなければと逸る思いが強すぎてすっかり抜けていた。 (そういや、帝都に戻ってきてから墓参りに行ってやれてない)  帝都に戻ってきては、数日して戦地に逆戻りが常だった。休暇と称して長く帝都で過ごす日々は、軍属になってから初めてと言って良いほど滅多になかった。  つまりは、習慣になっていなかったのだ。死者を悼む行為を、ニールは当たり前のようにしてこれなかった。  墓参りを忘れる不肖の息子のほうが、まだ増しだったかもしれない。  追われるような日々のなかで、大事なものの存在忘れていたのではなく失っていた。不意打ちのように気付かされ、ニールの足が止まる。 「なんだ、どうした?」  振り返るエフレムの顔を、まともに見れない。 「オレ、オレは……なにもない」  思えば、ユーリの葬送にもニールは参加できていなかった。義父の訃報は埋葬の一ヶ月後、戦地で知らされた。帝都に戻った頃には、さらに一ヶ月が過ぎていた。 「なにも、もってこれなかった」  村に吹く風は、帝都よりもすこしばかり温かい。  目尻に滲んだ涙が乾くのを待ってから、ニールは怪訝そうな顔をしたエフレムを見やった。  ユーリの死の間際を、エフレムは看取ったのだろうか。  村に来た理由は、ニールと同じだ。遺品の形見分けに声を掛けられるくらいには親しい関係であるのなら、葬儀には参加したはずだ。 「らしくない顔をしてんじゃねえよ、まったく。大将からすれば、お前が生きて飯食ってるだけで嬉しいだろうよ。形ばかりの、花よりずっと手向けになるさ」  歩み寄ってきたエフレムは、少しばかり手荒に花束をニールに押しつけた。 「煙草を吸いたい、花はお前が持っていろ」  いくぞ、と踵を返したエフレムは早速とばかりに煙草を咥えて火をつけた。  嗅ぎ慣れたいつもの匂いから逃げるよう、ニールは花束に顔を突っ込んで、清々しい匂いを肺にいっぱい吸い込んだ。 「結構、重いな」 「笑ってんじゃねえよ、気持ちの表れってやつだ。大将にはいろいろと借りがあってな、あれこれ考えていたらこうなったんだ」  ユーリは、とても仁徳のある人だった。  面倒ごとしか絡んでいないようなニールを快く引き取ってくれ、育ててくれた。多くの反対を押し切っての行動だったと知ったのは、だいぶ経ってからだった。  軍に入ってからは様々なひとからユーリの話を聞かされたし、助けられたりもした。全てユーリが残してくれた遺産だ。  ユーリとエフレムがどんな関係であったかは知らないが、想像くらいはできなくもない。 「なんで、あんたは……」  ドブ浚いと、揶揄されているのか。  つぶやきを聞きつけて肩越しに振り返るエフレムに、何でもないと首を振って、ニールはユーリが愛した景色をぼんやりと見つめた。  たぶん、エフレムは話すだろう。  最初に出会った頃にあった険のある表情は演技だったかと思うくらい、今見せる表情は別人のように柔らかだった。  晩餐の日、訳も分からないうちに抱かれたあの夜も強引な行為とは裏腹に手付きはとても優しかった。 「……っ、馬鹿やろう!」 「あ? なんだよ、突然」  驚くエフレムを無視して、ニールはぺしぺしと自分の頬を叩いた。  忘れろ、忘れてしまえと肩をふるわせ「何でも無い! 見てんじゃない」と、顔を覗き込もうとしてくるエフレムに怒鳴りかえした。  理不尽な扱いにエフレムは顔をしかめたが、放っておいたほうが面倒臭くないだろうと判断したのだろう、「やれやれ」と肩をすくめ、何も言わずに煙草をふかしはじめた。  ユーリの墓地は、村の共同墓地にあった。  墓地は穏やかな雰囲気の村をゆるりと見渡せる小高い丘にあり、ニールが幼少期を過ごした邸宅はさらに奥、森が鬱蒼としげる山の中にひっそりと今も佇んでいる。

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