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男の名残 10

 気づけば、いつの間にか日は暮れていて、窓の外は紅く染まっていた。  遠くから聞こえてくる鳥の鳴き声は甲高く、長閑な田舎を感じさせる。 「もう、夕方か。エフレムのやつ、いつまで煙草を吸ってんだよ」  昼間の暖かさが嘘のように、一人っきりの室内は凍えるほど冷え切っていた。このまま、夜を越すのは危険かもしれない。  ニールは震える肩をさすって、冷えた頬を手のひらで包んだ。少しばかり、温かくなった気がするが所詮は気休めだ。 (エフレムは、どうするつもりだ)  小さな村なので、宿はない。  考えられる手段としては、近くの民家に泊めてくれと頼み込むか埃を被ったシーツにくるまって一晩をやり過ごすか。  暖かさをもとめるなら、前者だろう。幸い、まったくの他人ではない。幼少期のニールを覚えてくれていれば、話もすんなり通るはずだ。 (まさか、オレをおいて帰っちまったとかな)  笑えない冗談を、苦笑交じりに吹き飛ばす。  馬車で帝都まで夜道を戻るのは、自殺行為に等しい。置いて行かれたとは、考えられない。  野宿するようには思えないから、民家の屋根を借りる算段だろう。戻るのが遅いのは、話をつけにいったからなのかもしれない。  うだうだと考えていないで探しに行けば話は早いだろうが、どうにも体が動かない。  久しぶりに泣いたせいなのか、体をすっぽりと包み込むソファの優しさから離れがたく、行動を起こすための気力が湧いてこない。  ぼんやりとしていれば、紅かった空には帷が降りて深い藍色に変わりはじめていた。もうすぐ夜が来る。涙を流して乾いた頬が、するすると流れ込んでくる夜気の気配にひりひりと痛い。 「……なにやってんだ、ニール」  不意を突く乱暴なノックに、ニールは声もなく驚いてソファから転げ落ちた。 「え、エフレム。どこに行ってたんだよ!」  気恥ずかしさに怒鳴ると、不満げな顔で返された。 「近場の家に食い物を分けて貰ってきたんだが、余計なお世話だったかな?」  見れば、エフレムは両手で大きな鍋を抱えていた。生活感ただよう煤けた底の熱い鍋の中身はシチューだろうか? 美味そうな匂いに腹の虫が我慢しきれず「ぐう」と鳴いた。 「よ、余計じゃあない」  さらに声を荒げると、エフレムは「わかった、わかった」と口を上げて笑った。 「大将の家に一晩泊まるって言ったら、新しい毛布も持たせてくれた。明日、ちゃんと礼を言うんだぞ」 「わかってる」  エフレムは「寒い、寒い」とつぶやきながら、部屋に入ってきた。白い頬が、うっすら赤く火照っている。 「そこの、シーツを払ってくれ。薪ストーブを使わせて貰おう。寒いのは苦手だし、何より分けて貰ったシチューが絶品でな。温め直さなけりゃ、罰が当たるだろう」 「食い意地が張ったおっさんだな。……で、肝心の薪は?」  憎まれ口を叩いてはみるが、エフレムの提案には賛成だった。 「外に、薪が積んだままになっていた。鉈もあったから、良い感じに割ってこい。刃物の扱いは、得意なんだろう? なんたって、帝国の英雄さまだからなぁ」 「英雄じゃなくたって、薪割りはできるぞ」  黒い軍服に付いた埃を払ってドアに向かって歩いて行くニールを、エフレムが「待て待て」と止めた。  なにかまだ文句があるのかと振り返ると、真っ白のレースのハンカチが差し出された。 「ついでに、井戸で顔を洗ってこい」  ぽかんとエフレムを見返して、ニールは片手で顔を覆った。冷えていたはずの頬が、焼けるように熱い。  薄暗い室内でも、近ければ分かるだろう涙の跡を見られ、気恥ずかしさに叫びそうになる。 「う、うるせぇ! ちゃっちゃと薪割ってくるから、あんたは部屋の掃除でもしてろよ! 埃っぽい床で寝るのは、さすがに嫌だからなっ」  差し出されたハンカチを奪い取るように受け取って、外に出る。  勢いのままに飛び出したおかげか、外気の寒さに怯むことなく、ニールは薪割り場へと足早に歩いて行く。  幼いニールがユーリから任された、初めての仕事が薪割りだった。  伸び放題の下草を踏み分け、息を白く煙らせながら辿り着いた薪割り場は、ニールの記憶と同じままで残されていた。  心の底から、懐かしいと感慨に浸れる光景に、ニールはほっと息をついた。星がちらつきはじめ、空気はますます凍てつくが、体の芯はほっこりとした暖かさを感じていた。 「薪割り場、こんなにちいさかったっけかな」  丸太に刺さったまま放置されている鉈には、地面から伸びてきた蔓草が絡みついていた。  ニールは「よいしょ」とかけ声を掛けながら、鉈へと手を伸ばした。  蔓草を引きちぎり、積もった砂埃を払いのけて柄を握る。両手でようやっと握っていた鉈だったが、今は、片手で楽々と振れそうだ。  季節問わず必要な薪割りは、ニールの日課だった。軍に入るために村から出たあとは、ユーリが鉈を振るっていたのだろうか。  使い続けられた柄には、うっすらとだが手の形が残っていた。ユーリの手形だろう。  無骨そうだが肉厚の、振れれば温かい優しい手が思い起こされる。 「もう、いないんだよな」  ぎゅっと、鉈に残った手の跡を握る。  また、熱くなる目尻を冷やすよう首を振って、ニールは積んである丸太を手に取った。

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