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男の名残 12

 香り高いブランデーが、沈黙を上手に繋いでくれる。  エフレムが渋るのを無視して、ニールも紅茶にブランデーをたらし、紅茶から広がる大人の味を嗜んだ。  いたるどころから人が集まってくる帝都と違い、日が沈めば寝入るような集落の夜はとても静かだ。  ニールはゆっくりと紅茶を啜りながら、薪ストーブの火をぼんやり眺めるエフレムをちらりと見やった。  軽口すら噤んで、手元で紅茶のカップを遊ぶ仕草は心ここにあらずといった様子だ。ぼんやりとしている姿は、少し若く見える様な気もする。  話題という、話題はない。世間話をするほど深い仲ではないし、そもそもニールは世間を知らない。  苦し紛れに天気の話題をだしても、かえって虚しくなりそうだ。夜空を見に外に出ても良いが、折角暖まった体を冷やすのには抵抗がある。。  ニールは残りの焼き林檎をかじって、深く息をついた。  ブランデーのせいか、体がほかほかと暖かく、心地いい。このまま、寝入ってしまいそうだ。 「……なんか、久しぶりだ」  湯気をくゆらせるカップに、ふうっと息を吐きかける。  どうした? と視線を向けてくるエフレムに、ニールはユーリと暮らした家をぐるりと見回した。  埃っぽく、あちこち朽ちてはいるが、いちばん楽しかった日々の面影はしっかりと残っている。  近いうちに取り壊されるのだと思うと、自然と目頭が熱くなった。もっと頻繁に孵ってきていたら良かっただろうか。してもしかたない後悔に、苦笑が漏れる。 「ここに、ちゃんといるんだって感じる。帰ってきたんだなって、感じる」 「わが帝国の英雄様は、あっちこっちに引っ張りだこだもんな」  物見遊山ならば楽しいが、残念ながらニールの仕事は人殺しだ。  行って、帰ってくるだけでも必死だった日々の中で、喜びなどろくになかった。  生死を共にする生活でたくさんの仲間はできたが、いなくなった者も数多い。いちいち気にしていたら、気が狂いそうなほどに。 「歓迎されてんなら、まんざらでもないがな……ようは厄介払いだ。戦場で死ねば、陛下も皇子たちも、素直に俺を悼むこともできるだろう」  エフレムは、なにも言わない。驚きもしない。  知っているからだ。 「今更、跡継ぎになろうなんざ少しも思っちゃいないのにな」  英雄という華々しい経歴の裏に隠された真意を知るからこそ、ニールは見ないようにしていた思いを吐露できたのかもしれない。  帝国の繁栄の礎を担う戦鬼が、どうして疎まれよう。  心を重ねたシャオでさえ、わからないと首を傾げるだろう。  英雄の誉を受けているのは、強かったからではない。実力と運と意志を持って、生き抜いたからにすぎなかった。  生きて、生き抜いて帰ってきて、勲章を授かることを復讐だと思った時期もある。すぐに虚しくなって、止めてしまったが。 「俺が死んで、喜ぶ奴はいっぱいいる。ユーリおじさんの息子になって、ただの軍人になったってのにな。……きっと、母さんだって」 「ニール」  かすれた声が、うわずる心中をぐっと掴んだ。  「人の心は、移り変わるんだ」  身につけている香水と、ブランデーの香り。そこに混じる煙草の苦み。エフレムの匂いを感じたニールはそっと肩に手を回され、体を強ばらせた。  温かい、人の体温。  あやすように肩を撫でられ、ニールは深く息を吐いて強張りを解いた。すぐ隣に座るエフレムに引き寄せられるまま、寄りかかる。 「変わるから、なんだってんだ?」  ニールは咽せるほどの激しい感情に流されまいと、強く唇を噛んだ。  顔をあげられずうつむくと、荒事には無縁そうな手が銀の髪を撫でた。胸に引き寄せられると、とくとくと確かな心臓の鼓動が聞こえてくる。  時を刻む時計のようにゆっくりと、一定のリズムは絡まった胸中を解きほぐしてゆく。ニールは膝に置いた手を、ぎゅっと握りしめた。 「殺したいほど憎くても、愛おしさに気づけば、心は簡単に変わるもんだ」  愛撫をするよう、撫でてくるエフレムの手を振り払えず、ニールは唇を噛む。吐き出したい言葉は幾つもあるが、口を開けば、みっともない嗚咽が漏れるだろう。  いままで、誰にも見せたことのない姿をよりにも寄ってエフレム相手に見せるなんて、不本意にも程があった。  否定の言葉の代わりに小さく首を振るしかないニールに、エフレムは溜息をついた。アルコールの色が付いた吐息が、ふわりと銀の柔らかい髪を揺らした。 「時は残酷だ。いつまでも、いつまでも、憎ませちゃくれない」 「……嘘だ、そんなの」  首を振ると、頭を撫でていた手が再び肩に回され、さらにぐっと引き寄せられる。 「……っ、なに!」  しっかりと、両腕で抱きすくめられ、ニールは再び硬直し、すぐに頬を熱くした。  雰囲気とブランデーに飲まれて不安を吐露したのも恥ずかしいが、数日前に体を重ねた羞恥心が、一気にぶり返してくる。 「は、離せよっ」  目の前が、焦りにくらくらと揺らいでいた。  とっさに腕を差し込んで離れようとエフレムの胸を押すが、聞こえてくる嗚咽にニールは動きを止めた。  覆いかぶさるようにして抱きしめてくるエフレムが、わずかに震えている。春先の寒さのせいではない。用意した毛布が必要ないほど、部屋は暖かさに満たされていた。 (泣いて、いるのか?)  突っぱねることもできず、ニールは徐々に抱きしめる力が強くなる腕のなかで、じっと息をひそめた。  得体の知れない男は、いまもまだ得体の知れない男のままだ。  情報をやるかわりに、体を売れと馬鹿みたいな条件を出した男。  気にくわない、不良軍人。  それが、ニールの知るエフレム・エヴァンジェンスだった。  用が終われば、すぐに切れる関係のはずだった。  ただの他人同士、友人になどなり得ない。いままでそうだったように、風のように横を過ぎ去ってゆくものと思っていた。  次第に快感を覚えてくる体に焦りはしたものの、心までは渡すまい、踏み入ってはこないとたかをくくっていた。  エフレムもまた、踏み入るまいと思っていたかもしれない。  なにもなかったと、しらを切ってやり過ごしたほうが、ずっと楽で傷つかずにいれただろうに。 「ずっと、憎んでいられたら良かったんだ」 「エフレム?」  抱きしめてきた腕の力が、ふと緩んだ。  逃げろと、拒絶しろと懇願されているようにも感じたが、ニールは席を立たず、顔をゆっくりと持ち上げた。  深く沈んだ青灰色の瞳と視線が交わり、薪の爆ぜる音がどこか遠くに聞こえ、代わりとばかりに早鐘を打つ心臓の音がうるさく聞こえる。 「……あっ」  ゆっくりと、伸ばされる手を振り払わなければ。  理性は不思議なほど冷静に、エフレムの肌から感じる気配を把握していた。  ずくんと、痺れる下肢に快感を覚えて果てた夜を思い出す。  あの時は酒が入っていたせいで抵抗できなかったが、今は違う。酒には弱いが、さすがに舐めた程度では酔わない。  力尽くで、それこそ殴って逃げればよかった。簡単だ。  なのに、動けない。  吐き出す吐息は、エフレムを誘うように熱く焦れていた。  脅え竦んだように、指先一つも動かせなかった。帝国の英雄が、生娘のように男の前で立ちすくんでいる。  抵抗できないでいるニールを同意していると受け取ったか、エフレムは伸ばした左手でで白い頬を撫でさすり、ぐっと身を寄せて剥きだしの首筋に顔を埋めた。 「ん、あっ?」  思い切り皮膚を吸われ、体がびくびくと跳ねる。  初めて男を知った体は本人が思っているよりも、無防備だった。抉られた幹部を覆う新しい皮膚のように、どこもかしこも鋭敏になっていた。 「あ、だめ……えふれむ」  引きはがそうと腕を回すが、頬から離れた左手にするりと体の線を撫でられ、生み出される快感をやり過ごせず、明るい茶色の髪にしがみついた。 「逃げなかった、お前が……悪いんだよ」  顔を上げたエフレムの口の端から、粘ついた唾液の糸が垂れる様にぞくぞくと悪寒に似た痺れが背筋にはしった。 「そ、んな……むちゃくちゃな」  いまさら慌てて逃げようと腰を浮かしたニールだが、ズボンの上から股間をまさぐられ、すぐに沈み込む。 「う、うそだろ」  エフレムの手の中で、すでに形をもっている部分にぞっとしたのもつかの間、当然とばかりにベルトを引き抜かれ、下着ごとズボンをずり下げられる。 「だめだ、えふれっ……ふあっ」  形の良い指で軽く愛撫され、あきらかに快感を示すニールにエフレムはふっと笑い、舌なめずりをするよう唇を厚い舌で舐めた。 「真面目を気取っていると、ろくでもないことばっかり考えちまっていけない」 「だからって、こんな」 「仲良しごっこをするより、ずっと楽しいさ」  楽しいのはお前だけだ、悪態をつこうとした口は、勃起し始めた切っ先を迷う素振りもなく舐めるエフレムの痴態に、唖然と固まった。 「やだ、ぃやだ」  初めての夜を思い出し、震えるのは恐怖からか快感からか。  為す術もなく、ニールは口腔に飲まれてゆく己から目をそらし、引き摺られるようにして嬌声を放っていた。

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