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代償の痛み 1

 地下牢の黴びた空気には、あちこちにこびりついて消えない濃厚な血臭が混じっている。 「お久しぶりね、オジサマ」  退廃的な空間に不釣り合いな、凛と張りのある女の声。エフレムは煙草のフィルターを噛んで、ずらっとならぶ牢の一番端に立つ女に片手をあげた。 「待たせたな、ニコル。こんなしけた場所で待ってなくたってよかったろう?」 「酷い場所だから、オジサマの側にいてあげたかったのよ」  牢番の持つランプの明かりに照らされ、ニコル・アーベルの魅力的な肢体が現れる。  寒さなど感じてないような露出の高いニコルの出で立ちに興奮したか、荒々しく息を飲む牢番を押しやって、エフレムは鈍色に輝く鉄格子を覗き込んだ。 「二年前、殲滅されたアクゥティカ族の生き残り、か。皆殺しといえど、一人二人は生き残るもんだな」  石壁から染み出てきた地下水で濡れた床の上、満身創痍の男が鎖に繋がれたまま蹲っていた。  つい先日、ニールが休暇をもぎ取った戦場で捕らえられた男だった。  酷く反抗的で暴れたため、移送に手間と時間がかかった。全身に残る生々しい傷跡も、抵抗したときに負ったものだろう。全て致命傷ではないが、軽傷ではない。  動くのもままならない痛みに襲われているはずだが、男は吐息意外の声を発していなかった。たいした精神力だ。 (いや、くだらねぇ意地だな)  エフレムは上着の内ポケットから取り出した携帯灰皿を取り出し、吸いかけの煙草を放り込んだ。ぱちん、と蓋を閉めてポケットへ戻す。 「名前は、ヤルヴァ・フゥオン。よく、喋らせたなニコル」  額に細く捻った布を巻いている姿は、アクゥティカ族の特徴でもある。 「がんばったから、たっぷり褒めて。……って言いたいところだけど、さほど難しくなかったわ。彼は、暴力では復讐は叶わないと知っている」  帝国軍人の教育を受けながら、情報屋に身をやつしたニコルはふっくらとした唇を緩め、ヒールを鳴らしてエフレムの隣に並んで立った。 「ヤルヴァ、来たわよ。彼が、エフレム・エヴァンジェンス大佐」 ニコルの声に、ヤルヴァがゆっくりと顔を上げた。 「感謝、する。貴女がいなければ、私は生きて帝国の地を踏めなかっただろう」  血と泥にまみれた顔は、予想よりもずっと若かった。嗄れた声で話す大陸共有語も発音は滑らかで、少数部族ながらも教養の良さを感じさせる。 「我が誇り高き一族の血で、憎き帝国を汚せたのだ。満足して……いる」 「とんだ、自己満足野郎だな」  起き上がる力までは残っていないのか、血にまみれた両手で床を摩った男は、エフレムの笑みに笑みで返した。 「自己満足で、かまわんさ。私にはもう、何も残ってはいない。両親も、妻も子供も、偉大なる主も、国も全て無くした。残っているのは……誇り、だけ……この命すら、すぐにきえるのだろう?」  ヤルヴァは血痰を吐き、骨の浮いた背中を震わせた。 「……で、望みを果たしたテメェが、今だ苦痛に耐えて生きている理由はなんだ? 何故、俺を呼びつけた」 「私は、使者だ。穢された迷える者を束ねて導いてくださるアルファルド様より、私は伝言を賜って、ここにいる」  口元を拭った手を床に押しつけ、ヤルヴァは執拗なまでに血を擦りつける。狂気に満ちた行動は、呪術めいてさえいた。 「アルファルド様の言葉を、伝えよう」  全身から滲み出す血よりも濃く血走った目で、ヤルヴァはエフレムを睨み仰いだ。 「穢された魂を浄化する。忘れるな、お前の罪を」 「俺の罪、か」  エフレムは肩をすくめ、腰に下げた支給品の剣へ手を伸ばし、牢を開けるよう牢番に目配せする。 「いいの? 朝日がのぼれば、ヤルヴァは処刑される。オジサマがやらなくたって、すぐに天に召されるわ」  顔を覗き込んでくるニコルの額にキスをして、エフレムは牢番は開けた入り口から牢へと踏み込んだ。  薄暗い牢の中、ヤルヴァが死を感じてか息をのむ音が聞こえてきた。覚悟を決めていたところで、恐怖をやり過ごすのは難しいだろう。ガチャガチャと、鎖が震えている。 「俺の、罪。――くだらねぇな。今更、釘を刺されるまでもねぇ」  柄を握って、新品同様の剣を鞘から放った。

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