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代償の痛み 3
窓から差し込む光が、石造りの室内をじんわりと暖めていく。
ニールは露店で買ったパンを胃に押し込み、兵舎の中庭で午後をゆるりと過ごす兵士たちの横を通り過ぎ、軍基地の奥にある豪奢な作りの建物へと入る。
衛兵の敬礼に立ち止まって敬礼を反し、地下へ続く階段を下りた。向かう先は、軍の資料庫だ。
エフレムが取引として差し出してくる写真は、帝国が行ってきた殲滅作戦に撮られたものだ。
偶然映り込んだのか、意図して姿を現したのかは定かではないが、保管されている資料を漁れば、何かしら兄の姿を見つけられるかもしれない。
問題は、少佐の身分でどれほどの資料を閲覧できるかどうか。ではあるが。
(黙って、大人しく犯られているだけじゃ……らしくねぇ)
ニールは薄い唇を噛んで、今も体の奥に残る感触をやり過ごすよう拳を握った。
エフレムと取引をすると決めてから、対価として体を差し出して日数こそ浅いが、快楽にひたすら追い上げられ、果てた回数は数えると目眩を覚える。
中に指を差し込まれて拒絶に嘔吐いていた体も、覚えた快楽と一緒に何度も深みを抉られていくうち、嫌悪感が薄れていっているように思えて、ぞっとした。
まだ、明かな快感を中で追えていないのが唯一の救いだったが、いずれ胸のように淫らに育てられるのかと思うと、気分は悪くなる一方だ。
「くそ、あんなぱっとしないエロおやじにびびるなんて……らしくねぇだろ」
意識すれば、半身にエフレムの男らしい指の感触が甦ってくるようだ。背中を舐め上げてくる感触は……悪寒なのか、快感なのか。
ニールは握った拳で壁を叩き、頭を振って資料庫の先へ視線を向けた。
今は、兄の行方を知るのが先決だ。
「これは、珍しいお顔を見ましたな。ニール・ティアニー少佐。怖いお顔で、なにかご用でありますかな?」
資料庫へと続く扉を潜ると、受付台に座っていた初老の男が立ち上がった。
「資料庫に来たんだから、目的は言わなくたって分かるだろ?」
「たしかに、一利ございますな。私は資料庫の管理を任されておりますリヒト・ティンバー中佐です。形ばかりの階級ですから、お気を使われなくて結構です。少佐のお父上殿には、とてもお世話になった身でありまして、できる限りの範囲ではありますが、お力添えできらばよいのですが」
「丁寧に、どうも。中佐は、義父さんの知り合いなのか」
差し出される右手をとって、握手を交わした。老人らしい皺が目立つ手は、二年前に他界した養父ユーリ・ティアニーを思い出す。
「ユーリ殿の葬儀にも、出席させていただきました。二年前、少佐は遠征中でしたな。軍人とはまこと酷な仕事。帝都と遠く離れた戦地では、知らせが届いたところで何もかもが手遅れとなる。気が気でなかったでしょう」
ぎゅっと両手を握ってくるリヒトの手をそっと外し、ニールはできる限り和やかになるよう唇を緩めた。
「死に目には会えなかったが、耄碌する前に挨拶はしてるから充分さ。義父さんは仁徳のある人だったからな、面倒なオレがいないほうが人も多く集められただろう。仲間に見送られて死ねたんなら、悲しむようなことは何一つないよ」
リヒトを椅子に座らせ、ニールは図書館を思わせる棚へ視線を向けた。
「今日はまた、どういったご用件で?」
職務を思い出したか、リヒトは皺の目立つ手でペンを握り、来館者表を捲った。
ずらっと並んだ名前をなんとなく目で追ったニールは、悲鳴に近い声を上げそうになって慌てて息を飲み込んだ。来館者の中に、エフレムの名前を見つける。
「エヴァンジェンス大佐が、なにか?」
ただならぬ視線に気付いたか、顔を上げたリヒトが首を傾げてニールを仰いでいる。
「やつ――エヴァンジェンス大佐は、まだ中にいるのか?」
「ええ、まだ中にいますが?」
ニールは来館者表をもぎ取るようにリヒトの手から取り上げ、エフレムの名前の下にサインをしたためる。
驚くリヒトに来館者表を押しつけ、「利用させて貰う」と一言のこして資料庫へ入った。
利用者は他にいないようで、内部はしんと静まりかえっていて人の気配がまるでない。
膨大な資料が収められている書棚郡。エフレムは、何処で資料を見つけ出しているのだろうか。
「ティンバー中佐は、御年六十七歳の立派なご老人だ。驚いてうっかり心臓でも止まれば、テメェなんて即牢屋行き。態度によっちゃ処刑もなくはない。そういった立場だろう、忘れたか?」
聞き知った声に、ニールは足を止めた。
広い空間で響く靴音。漂ってくる、かすかな煙草のにおい。
顔を向ければいつものにやついた顔で、エフレムが書棚の間に立ってニールを眺めていた。
「オレに見せていた写真、やっぱりここからくすねてきたものか」
「拗ねるなよ? べつに、手を抜いているわけじゃない。手がかりを探してきたんだろうが、テメェの階級じゃあどのみち覗くのだって無理なんだよ」
銀色の鍵をちらつかせるエフレムに、ニールは渋面になって舌打ちを返した。
探しているのは、広報活動に使われるような戦場写真ではない。
八年前、戦死したとされていた皇太子が映っている写真だ。
少佐という位、まして継承権を放棄しているとはいえ、元皇太子である身分で閲覧を許される資料ではないと予想はしていたが、面と向かって言われると腹が立つ。
「その鍵、オレにくれないのか?」
「こっそり資料を抜いてるってだけでも重罪ものだってのに、資格のない奴に鍵を又貸ししたなんて知られたら、それこそ俺の首が飛んじまうだろ?」
くるくると指で鍵を遊び、ゆっくりと近づいてくるエフレムに、ニールは一歩体を引いた。
「――っ、貸したってばれなけりゃいいんじゃねぇのか?」
背中が書棚にあたり、一杯に押し込められている資料が数冊床に落ちた。
「なんで、俺がわざわざ危ない橋をわたらなきゃならないんだよ。最初に言ったろう、俺は道楽でテメェにつきあってやってんだ。本気にさせたいなら……本気にさせてみろよ」
鍵を軍服の胸ポケットに押し込んだエフレムが、書棚に背をつけているニールを追い込むよう体を寄せてきた。
近づいてくるエフレムを睨むしかないニールは、伸びてきた手に体を震わせた。
「本気にさせるって、どういう意味だよ」
肌触りの良いシルクの手袋に、そっと唇をなぞられる。手はそのまま胸をなぞって、軍服の裾を捲り上げた。
「――っ! なにしやがるッ」
「静かにしていろよ。いやらしい喘ぎ声をリヒト老に聞かせたいってんなら、かまわないが、嫌ならしっかり口を塞いでおけ」
服の上から中心をぐっと掴まれ、ニールは書棚に背中を打ち付ける。
「ふっ……う、やめ……んな、ところでっ」
濡れた声に、慌てて両手で口元を覆った。いつ、誰が来るか分からない状況であるのに、下肢を襲う刺激を、馴らされた体は快感へと切り替えてゆく。
指で形を探るようにまさぐられ、ニールはびくり、びくりと腰を震わせた。悪戯な手をとめようにも、声がもれるのが恐ろしくて口元から手を離せない。
「ずいぶんと、体は素直になったな。もう、勃起している。いや、最近は上ばっかりいじってたからな、久しぶりに下を弄られて余計に良いんだろ?」
「馬鹿、いってんじゃね……え。ふぅあっ、んんっ……んなわけ……ねぇ」
気持ちとは裏腹に、強制的に絶頂の高みへと持って行かれる体に、ニールは己の指に噛みついて、流されまいと必死になって留まる。
「オレだって、最初に言った。本気で、アル兄を探している……て。たった、一人の……家族なん、だ」
「アルファルドを見つけるためなら、犯されたっていいってか? 馬鹿だろ」
笑いながら、エフレムは下肢から手を離し、かわりに膝を差し込んで頽れそうなニールの体を支える。
空いた両手で軍服の胸元を開かれ、現れた黒のインナーを僅かに持ち上げる二つの粒に指が絡まる。
「――っんん!」
「まあ、そんな安い体で情報を持ってきてやってんだ。写真だけで満足していろよ」
口を強く押さえながら、ニールは頭を振った。
「生きてる……ならっ、あいたい。助け……た、ひっ」
布ごと尖った先端をつまみ上げられ、ニールは背後の書棚にすがりつくようのけぞった。
途切れ途切れの呼吸が資料庫の肌寒い空気を揺らし、赤い隻眼はぼんやりと焦点を散らし始める。
「もっと、欲しいって言うならそれ相応の対価を用意するんだな。笑えるほど無様な姿で、俺を楽しませてみせろよ」
苦い煙草のにおいが、鼻をかすめる。
ざらっとした舌で頬を舐められ「できやしないだろうがな」と耳元で笑うエフレムが離れた途端、ニールは書棚を滑るようにして頽れた。
「……んっ、は。くそ、馬鹿に……しやがって」
「休暇中といっても、仕事がまったくねぇわけじゃないんだろ。無駄足だ。さっさと帰るんだな」
高ぶったまま震えるニールの痴態に見向きもせず、エフレムはまだ用事があるのか資料庫の奥、帝国が侵略した部族の記録が保管されている区画へと去って行った。
「くそったれ、が」
ニールは蹲ったまま、頭を抱えた。
遠ざかるエフレムの靴音を追う気力は残っておらず、体の熱が冷めるまで立ち上がれそうにもなかった。
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