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代償の痛み 5
兵舎にある個室に戻り、早々に脱いだ軍服を簡素なベッドに放り投げる。本当なら帝都にある自宅のベッドでゆっくり体を休めたいが、書類仕事が溜まっているせいで帰る暇がなかったのだ。
「本当に、休暇中なのかわかんねぇ忙しさだ」
手つかずの書類が山になっている机に肩をすくめ、スプリングの硬いベッドに腰を下ろす。
仕事が停滞している理由は、よく分かっている。情報の取引と、毎夜エフレムに呼び出され体を弄られているせいだ。
「戦場で野営していたほうがずっと、良く眠れてた気がする」
視界に零れてくる髪をかき上げて、ニールは黒のインナーも脱ぎ捨て置きっ放しだった私服に着替える。
どうせなら体も洗ってさっぱりしたいところだが、蛇口をひねったところで出てくるのは水だけだ。
古い作りの兵舎で、湯は炊事場か風呂場でしか使えない。夏なら構わないが、まだ肌寒い季節ではさすがに躊躇いがあった。
乱れた髪を軽く整えつつ、壁掛け時計を見やる。
まだ、夕食をとるには早い時刻。エフレムからの呼び出しの手紙は届いていない。今日は珍しく、何の予定もない夜になりそうだ。
脱ぎ捨てた軍服をひきよせ、内ポケットから写真を取り出す。
戦場の様子が治められた写真の隅に、アルファルドを思わせる人影が映り込んでいるもので、エフレムに〝対価〟を支払って手に入れた代物だ。高いか安いかは、正直分からないが。
(復讐なのか、アル兄)
アルファルドは帝国の皇子であると同時に、亡国の族長の息子だった。
本来ならば殺されて当然なのだが、現第三王妃アマリエを跪かせるするための人質として生存を許され、肩書きでしかないが皇子の地位を与えられた。
国を滅ぼし、母を犯した相手を形式上とはいえ父とする屈辱。ニールでは想像するしかなかったが、望まれぬ存在への扱いはよく分かる。
兄は軍人となり、激戦地へ送られて消息を絶った。生存率の低い最前線へと意図的に送り込まれる。死んでこいと、暗に言っているようなものだ。
戦死の一報を聞いたとき、ニールは悲しみよりも怒りに憤っていた。殺されたのだと、そう解釈せざるをえなかった。
「アル兄は、オレも憎いか?」
写真に映るアルファルドは、男とは思えないほど美しく年齢を重ねてはいたが、視線はただただ冷たく凍るようだった。年月は人を変えるというが、あまりにも別人だ。もう、ニールが知る兄の面影はどこにもない。
「なあ、アル兄。いま、何処にいるんだ? 誰かと一緒にいるのか……それとも」
幼い頃の記憶はおぼろげで、思い出そうとすると左目が今更のように疼いた。後宮にいた頃、暴漢に襲われて負った傷だ。看病のために、アルファルドはずっと枕元に立っていた。
兄弟として、一番長く共に居た瞬間だった。
「いらっしゃいますか、少佐」
ノックされるドアに向かって「今日は居る」と返事をすれば、長く伸ばした黒髪を一つにまとめた青年が仏頂面で入ってきた。
「今日は、居るみたいですね。安心しましたよ」
黒髪、黒目。どこか異国情緒を感じさせる面構えの青年はイリダル。
異国情緒な見た目のとおり、生まれは海を越えた先にある島国らしい。
ニールの直属の部下であり、奴隷市場で商人に鞭打たれているところを、見かねたユーリが拾ってきて以来の幼馴染みでもある。
「ずいぶんとお疲れの様子ですが、ここ最近の夜遊びが祟っているのではありませんか?」
「酷い顔になってるか?」
久しぶりに仏頂面を見た気分になって、ニールは頬を軽く叩いた。イリダルとは、嫌でも毎日顔を合わせているはずだ。
「たしかに、夜遊びがだいぶ祟っているらしいな」
「自覚があるのに、止められないんですか? 珍しく、熱心ですね」
あきれた、と言いたげな顔に何も言えなかった。
「止めたければ、止めれば良い」僅かでも抵抗を見せるたび、エフレムは余裕めいた嘲笑でニールに選択を迫ってくる。
割に合わない取引だとは分かっているが、他に当てが無いのも分かっている。自由に使える時間が限られている以上、四の五のいってもいられない。
「……バカだってのは、分かってるさ」
「分かっているのなら、控えたらどうです?」
ニールは「そうもいかなくてな」と自嘲して、立ち上がった。
アルファルドの行方が分かるのなら、体くらいどうということはない。そう、決めたはずだ。
夜を重ねるたび体が快感を強く知覚しているように思えても、気のせいだとごまかしていればいい。
(こうなったら、根比べだ)
悩んでいたってしかたがない、やると決めているのだから。
「なんですか、懲りずにまた夜遊びですか。死人みたいな顔でも、相手をしてくれる女性がいるので?」
「死人みたいな顔は、お前だって一緒だろ。いや、辛気くさいっていったほうがいいか」
イリダルの胸を押してやれば、「もとからです」と表情の乏しい顔が僅かに強ばった。
「遊びほうけているのか、火種に突っ込もうとしているのかはわかりませんが、仕事をほったらかしたままふらふらしている上官殿の尻ぬぐいをしているんです。ねぎらいの言葉ぐらいは欲しいものですね」
「怒るなよ。詫びといっちゃなんだが、美味い飯をご馳走してやるよ。野暮ったい制服を脱いで、それなりの服に着替えてこい」
薄手の外套を羽織るニールに、イリダルは不審げに眉をひそめている。
「私を、何処へ連れて行くつもりで?」
「何処って、シャオの店にきまっているだろう? そこいらの店に入るよりも、ずっと美味い飯が食える。女もいるしな」
「遊びたい盛りの少佐の勝手ではありますが、そろそろ特定のお相手を見つけて欲しいですね。お話しが来ていないわけでも、ないでしょうに」
ニールはベッドから立ち上がって、イリダルの口を視線で塞いだ。
「面倒くさい付き合いは、御免でね。まだしばらくは、自由でいるつもりだ」
脱ぎっぱなしで放置していたせいか、少しくたびれたジャケットを羽織る。皺を手で軽く撫でつけ、襟元をきつく閉める。
「どうする? ついてくるのか、こないのか?」
問えば、渋々といった顔でイリダルは頷いた。
「目を離していると、のたれ死んでいそうですからね」
「酷い言われようだな」
冗談なのか本気で言っているのか、表情の変化が乏しいイリダルを笑った。
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