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代償の痛み 7

 ニールはイリダルと肩を並べ、夜の帝都をのらりくらりと歩く。  エフレムを尋ねて歩いたスラムとは違い、表通りを歩く人の数は多く、身なりもそれなりにちゃんとしているものが多い。  向かう先は、帝都でも一番の繁華街だ。  飲食店から娼館まで、ありとあらゆる店が建ち並ぶ区画。夜が深まるにつれ賑わいを増してゆく場所だ。 「だいぶ色づいてきましたね」 「イールファだっけか。ちょっと前までは、木の芽にしか見えなかったのにな。ちゃんと、花びらになるんだなぁ」  ごつごつとした樹皮は枯れているようにしか見えないが、するっと伸びた新芽についた花芽はいっぱいに膨らんで、いまにも弾けそうなほど膨らんでいた。  枝の上部、ぽつぽつと開いた花びらは少女の唇のようにも見えた。  客寄せのランプが煌々と揺らめく大通りにそって、一直線に植えられているイールファの木。宵闇でもはっきりと分かる濃い朱色は、とにかく色鮮やかで美しかった。  テラス席で酒や食事を楽しむ客の姿が普段よりも多く見受けられるのも、春の風物詩を楽しむためだろう。祭りの夜のように、彼方此方が賑やかだ。  客引きの店員に何度も足を止めさせられながら、ニールは目当ての店に辿り着く。洒落た外観の店だが、酒場ではなく女を買う店だ。  初めて娼館を訪れたのは、何年前だったろうか。強くない酒を飲んで気が大きくなっていたとあって、仲間に誘われるまま、戯れに女を買った。  それが、シャオ・ラディア。  娼婦として身を売るには、少々年齢を重ねすぎた女がニールのなじみだ。  上客が来たと群がる若い女達を遠巻きに、静かに眺めて茶を啜っていたシャオを指命したのは、女としての魅力よりも、大事そうに抱えていた異国の剣が目を惹いたからだった。 「どうしたんですか、ニールさん。感慨深げな顔をしていますが?」 「久しぶりだからかな、シャオと初めて会った頃を思い出してた。なんだかんだで、長い付き合いになるなってさ」 娼館と一目で分かる、赤く塗られた派手な壁を見上げた。 「シャオさん以外、指名するような女性はいないんですか? 私が知る限り、他の女性をお試しにはなっていないようですが」 「お前が知らないところでも、指命は全部シャオだ。面倒くさいのは苦手でな、気の知れている相手が一番なだけだ」 「一途ですね」  冗談なのか本気なのか。いまいち真意を読み切れないイリダルの真顔に、ニールは「余計な詮索だ」と中指を立てた。  シャオとの関係は、あくまで娼婦と客だ。一線を越えることは、絶対に無い相手だった。だからこそ、指命してるとも言える。 「元気にしてるかな、シャオのやつ」  遠征から帝都に帰還した際、必ず寄る場所の一つとなっていたのだが、昼はため込んでいた書類の処理、夜は夜で取引という名の密会が亜様で続いていたせいで機会がなかなか持てなかった。 (さすがに、エフレムと会った後に女を抱く余裕なんてねぇんだよな)  最後まで致していはいないものの、エフレムの愛撫は信じられないくらい巧みで、ニールは翌日まで影響を残すほどに、喘がされていた。  搾り取られるように精を吐き出されていては、娼館に行こうなんて思いには至らないだろう。  現に今も、娼館の前に立ってはいるが、女を抱くよりも共に楽しく夕食を取りたい心境のほうが強い。   ニールはイリダルを引き連れて、娼館に入った。 「あらぁ、ニールちゃんお久しぶりねぇ」  まず一番に飛び込んできた野太い声は、娼館の支配人だ。  よく響く裏声と、体格の良い体つきが特徴の……女性の格好をした男。ロビーで客を待つ女性にも負けず劣らずの、きらびやかな衣装を身につけている。 「なんていうのぉ、やっぱり世の中には運命ってもんがあるのかもね」  夢見がちな言葉のわりに、支配人の表情には憂いを感じる。  どうしたのかと問うよりも先に、ソファからゆっくりと立ち上がる影があった。 「もう、会えないかとおもったわよ、ニール」  黒い髪が白い肌に良く映えるすらりと背の高い女が、ニールに向き直って髪と同じ美しい漆黒の瞳を細めた。  辺りを行き来している娼婦よりも一回りほど年齢が上であるシャオは、落ち着いた佇まいからも、騒がしい支配人よりもよほど主らしい貫禄を持っている。 「なんだよ、シャオ。久しぶりだからって、冗談はよせ」 「ニールちゃん、冗談じゃあないのよ」  話に割って入ろうとする支配人を視線だけで制して、シャオは体を美しくいろどる装飾品を揺らし、ニールの目の前に立った。 「ニール、私ね。買われることになったの。驚いてくれるかしら? 私を奥さんにしたいって人ができたのよ」  身請け先ができたと言うシャオは、いつものように微笑んでいる。  長い間、本心を隠して演じきってきた賢すぎる女は少しも真意を悟らせてくれないようだ。 「お祝いしてくれないの? びっくりし過ぎちゃったかしらね」 「あ、あぁ……そうだな、驚いた」  動揺を上手く隠せず、浮ついてしまった声にニールは咳払いをして、「いつ?」と返す。  身辺を他人に委ねるしかない娼婦は、何もかもが突然で唐突だ。  明日はどうなっているか分からない相手と分かってはいたが、実際に、すぐ受けいれられるかどうかはまた違っていた。 「昼にはもう、旦那様の腕の中よ。お気に入りの部屋はもう別の子が入っていて、私物はいっさい処分した。今日、ここにいたのはお世話になった支配人への挨拶と……最後に、ほんとうに最後に、ニールと会えないかと思って。待っていたのよ」 「……そうか」  冗談ではなく、本当に最後なのだ。ニールは支配人に視線をやった。 「部屋、どこでもいいから用意してくれないか? ついでに、夕食になるようなものも頼むよ。あ、それとイリダルを任せた」 「必要ありませ――」 「わかってるわよぉ、ニールちゃん。お得意様の面子に賭けて、かわいい坊やをたっぷりおもてなししちゃうんだからぁ!」  面倒が飛び火しないようにと気配を消していたイリダルを捕まえ、満面の笑みを浮かべる支配人は、ポケットから一つの鍵をとりだした。 「場所は、シャオが知っているわ。美味しいご飯もすぐに持っていかせるから、たっぷりじっくり楽しんできなさいな」 「こっちよ、ニール」  手を取ってくるシャオの、暖かさと柔らかさ。女特有の感触にほっとしている己に苦笑を零しつつ、ニールは階段を登った。 ◆◇◆◇  シャオとニールを引き合わせた剣は、海を越えた先にある島国で生産された業物で、刀と呼ばれている。  黒髪黒目と、大陸では滅多に見かけない容姿を好まれ奴隷商に一族ごと囚われたシャオは、人買いの手を転々と渡って帝都の娼館へと流れ着いた。 「気付けば、〝これ〟しか側に残っていなかった」と、何ともないような素振りで刀を貰ってほしいと言ったシャオの顔は、今でもまだ鮮明に記憶に残っている。  家族の……それこそ形見とも言えるシャオの刀は、戦場でニールの命を何度も救ってくれていた。 「弟の刀も、最後にひと目くらいは見ておきたかったの」 「今生の別れみたいな言いぐさだな。死に別れるわけじゃないんだし、帝都にはいるんだろう?」 「……だからって、昔の男に会いにいくわけにもいかないでしょ」  稼ぎ頭の娼婦にあてがわれた部屋ではなく、行きずりの客用に設えた無駄に豪奢な部屋の扉をそっと閉めたシャオに、ニールは金具から外した刀を渡した。  抱きしめるように両手で刀を受け取ったシャオは、愛おしそうに鞘に頬を寄せる。まるで子供を愛撫するような仕草に、ニールも頬を緩ませた。 「今更どうしたんだ、身請けなんてさ」 「今更って、酷いわね。そりゃあ、娼婦にしては薹が立ってはいるけれど、ニールだって知っているでしょ、体はまだまだ負けてないって」  特徴のある容姿を強調するよう布が多く使われた独特の衣服を身につけていても、男の欲を引き出す肢体の美しさが分かる。  年齢を気にするほうが野暮だと思わせる気位の高いシャオの美しさは、出会った頃からまるで変わっていなかった。 「一人でも大丈夫だって、思えなくなったからかしらね」  溜息交じりに答えたシャオは「負けちゃった」と肩をすくめて刀をソファにそっと寝かせ、ニールに両手を差し出してきた。 「相手は、どんな奴なんだ? 当然、良い男なんだろうな」 「ニールったら、まるでお母さんみたいね。大丈夫、私が見初めた相手よ。刀を抱いた変わり者の娼婦に興味を持った誰かさんみたいに、不器用だけどとっても優しい人」  からかってくるシャオに「よかったな」とだけかえして背中を向ける。  いつものようにコートを脱がすシャオを肩越しに振り返って、急にこみ上げてくる寂しさを振り払うよう、ニールは首を振った。 「泣かないでよ、寂しくなるじゃない」 「娼婦相手に泣くかよ」  言い返せば、そっと背中を撫でられる。分かっているとでも言うように優しいシャオの愛撫は、別れを言葉以上に感じさせて……辛かった。  娼婦相手とうそぶいてみたが、シャオに対する感情は兄弟に求める物によく似ていた。積み重ねすぎた人生経験から作られた包容力は、求めてもなかなか見つからないだろう。 「だから言ったでしょ、私の他にも抱いてくれる子をつくっておきなさいって」  子供扱いするなと言いかけて、背中からまわされた腕に言葉を飲み込む。触れあう体温の暖かさに、ニールは何も考えられなくなる。 「他になんていらねぇよ。なくなったらなくなったで、困りはしない。今まで通り、ひとりでだってやっていけるさ」 「意地っ張りね、寂しがり屋のくせに」  首筋に息が掛かり、音を立てて皮膚を吸われる。くすぐったさに身じろぐと、からかうように腹筋をまさぐったシャオが体を離した。 「一人でも大丈夫っていったけど――私を放っておいて、誰と遊んでいたの?」  何を言っているのかと首を傾げたニールに、シャオはコートに顔を埋めた。 「この匂い、嗅ぎ覚えがあるわ」  くんくんとわざとらしく鼻を鳴らすシャオに、ニールはヴァレリーを思い出す。とてつもなく嫌な記憶に、自分でも分かるほど顔が歪んだ。 「……香水、か?」 「いいえ、煙草」  不意に頭に浮かんだのは、エフレムが取引の前に必ず吸っている甘い匂いの煙草だ。  事後はまったく別の、苦い煙草を吸っているからずいぶんと変わり者だと思っていたのだが。どうやら、はっきりとした目的があったようだ。 「媚薬、だって?」 「初めての子が良く使う軽めの媚薬ね。気分をちょっとだけその気にさせる程度の作用しかなくて、悪酔いもしないから好んで使われるの」  服の帯を解いて、髪留めを引き抜いたシャオはとたんに女の顔になった。  はだけた服からちらつく素肌は、抑えめの照明の中で光を纏って見えるほど白く滑らかで、思わず触りたくなるほどに魅力的だった。 「危ない遊びも良いけれど、調子に乗り過ぎちゃだめよ」 「……残念だが、遊びってわけじゃねぇんだよな」 「そう」  誘われるままベッドに寝転んだニールに覆い被さるよう、シャオの体が重なった。 「いいのか? 明日にはもう、人妻なんだろ」  問うてみたが、散々世話になった体は離しがたい。  シャツの釦を外す手を撫でて、ニールはシャオを見上げる。 「今日までは、ただの娼婦よ。いつものように抱いて、いつものように他愛の無い言葉を交わすの。最後だからって、特別な夜にすることもないわ」  肌を重ねると、室内の寒さに今更ながらに気付く。  訪れるまでは長く、立ち去るのは早い春はまだまだ冬の名残をのこしていた。

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