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3.愛するパッパにおはようを
物心ついた時、憧れたのは「一般家庭」だった。ありふれた家でどこにでもあるようなものに囲まれて特色のない町で普通の両親と生きていきたい。そう思っていた。
酒におぼれて暴力を振るう父と、ヒステリックで薬に溺れた母との間でイグナーツは育った。ただ普通に生きたいと願って彼は毎日生きていた。
彼に出会ったのは5歳…くらいの時だったと思う。泥酔した父が魔王を倒しに行くと言ってきかなくて、止めるために裸足で着いて言った時だった。暗闇に恐ろしいほど輝く赤目の男が父を殺そうとしたとき止めに入ったイグナーツは左目をサーベルで貫かれた。痛かったか、よく覚えていない。熱くて怖くて、死ぬんだと思ってよくわからなかった。目が覚めた時傍に居たのは、突き刺した彼だった。恐ろしい魔王が目の前に居ると思って泣き喚いたが彼は父よりも母よりも、スラムのごろつきよりも優しくて誰よりもあったかい人だった。
「まぉおーしゃんは一人なの?」
「…まぁ、部下はいるし召使もいる。メイドも…」
「家族は?」
「…みんなもう居ない」
その時の顔はあまりにも悲しそうで今にも泣きそうだったのを覚えている。イグナーツには実感がわかなかった。今の家族なんて死んでしまえばいいとさえ思ったことがある。家族がいないことに悲しいという感情が、沸かない。
「じゃあボクが子供になるって言うのはどう?」
「子供…か」
正直に言うとあれは冗談じゃなかった。強い憧れちょっとの恋愛感情だったと思う。ただそれは子供の「大人になったら結婚して」というくらいのもので今の様な具体的なものではなかったけれど。その時から大好きで人間じゃなかったら一緒に居られたのかなと答えの出ない悩みを抱えていたものだ。それは超えられない壁だから悩んでも仕方がないのだが、思春期になっても悩みは尽きず時が過ぎて憧れの人が初恋の人になって恋焦がれた。魔王討伐戦の勇者に名乗り出たのは彼に会いたかったからだ。盗賊のジョブにしたのも素早さに振ったのも戦うより「会いたかったから」だ。逃げ回って這いずり回ってでも彼に会えればそれでいい。それしか考えていなかった。
幼少期のほんの少しの期間…。多分夏休みより短かった気がするあの夢のような彼との日々を思い返すたびに思いが募ってたまらない。彼が本当のパパだったらどれだけよかっただろうか。いや、今からでも彼に思いを伝えることが出来るはずだ。
「エミル、あの鍵開けれる~?」
「うん。これはレバータンブラー錠だね。でもお菓子多めに」
今日は下水道に入り込んで、忍び込み作戦。天才鍵開け少年を引き連れて隠密行動中。とりあえず会いに行って、莫大な借金返済のためにお駄賃貰ってゴロゴロして帰ろうという算段だ!
「お菓子なんて魔王ちゃんのことに行ったらたらふく食べられるじゃ~ん?」
「僕は君に鍵を開けてあげてるんだから君がくれなきゃ」
はいはいと適当に流してナイフを研いだ。王都は正直防御面はあんまり高くない。穴だらけと言ってもいい。なんと言っても復興途中すぎて工事中の場所や荒れ放題の場所があったりで入り込むのには困らない。ただ、一度使った通路は警備が厳しくなるため毎回考えて侵入している。
「この通路、案外進めそうでよかった~」
下調べの段階でここは王宮に通じてるのは分かっていたけれど、警備までは分からないものだ。鍵だって壊れていたら一筋縄ではいかないのだから。
「そうだね。開けられない鍵もないし」
地図ではもうそろそろ王宮の地下のはずだ。
「マジそれな。魔王ちゃんに会えないの辛いし~」
初めて魔王城に侵入した頃から1年くらい経った。今まで7回侵入に成功している。一回目は大型ギルドの人を誘って大人数で攻めてみた。その時警備がそれほどでもないことに気づいてから単独や少人数で侵入するようになった。魔族は今かなり厳しい状態なのだという。どこに居ても人間に襲われるし、契約先の獣族に支払うものもないのだとか。そんな情勢の中一番まともなグランバドス王国でも警護に回す人は居ないらしい。魔王ちゃんが大好きな俺にはちょっと心が痛い状態だけれど会いに行けるなら無問題だ。
「…そろそろ討伐しないと国王に始末書書かされるんじゃないの?」
「………なんで魔王ちゃん倒さなきゃいけない訳?あんな優しい人他に居ないっしょ」
国王が勇者を任命し始めてから今まで魔王城まで侵入できてるのは俺のいるパーティーだけだ。だがそのパーティーが一向に魔王を倒せないことに、国王が疑問を抱き始めている。さらには次に成果をあげられなかったら、始末書だと言われている。勇者として価値がないと思われるのも時間の問題だな。
「勇者なんかやめちゃえばいいのに」
「キミみたいに天才じゃないからジョブが無いと侵入できないんです~」
いつかしがらみが無くなったら………堂々と入れるように…。
「あ、ここから外に出られるみたい」
「マジ!?ココ中庭じゃん!天才!!」
下水道の梯子を上ったら、そこは王宮の中庭だった。綺麗に咲いた花々が出迎えてくれる。ジメジメしている通路から出たのを考えると天国のようだ。
「誰だ!?」
背伸びをしていると突然声がする。見つかっちゃったか。仕方なく麻酔矢を構えたがそれは見知った顔だった。
「あ、天使ちゃんじゃんおはよ~」
「………。またか…」
烏の羽のような漆黒の翼を揺らして溜息をついているのはアモール=エグリゴリ。堕天使という種族らしくて昔は真っ白な天使だったんだとか。カミサマとかちょっと分からないんで、俺はいまいちピンとこないけど。
「休暇なの?北門に居るんじゃなかった?」
「しばらくは王宮に居ることになっている。だから王妃様の墓参りに来ていたところだ」
ふーんと軽く流して下から上がってきたエミルを引き上げた。真昼間の王宮は静まり返っている。
「またそのような少年を危険なことに巻き込んでいるのか。それは頂けない」
「契約なんだから、お菓子あげるね♪っていう」
「口約束というのだ、それは」
エグリゴリは人間にはめっぽう優しい。人間を愛しているとかなんとか言っていたけれどよくわからない。ただ攻撃をしてこないというのだけはっきりしていた。彼が第一目撃者だと騒ぎになる前に、と仮の手錠をかけてから客室に入れてくれる。客室まで行けば手錠も外してくれるし、お茶も入れてくれる。
「魔王様は休まれているはずですから、しばらくは"捕虜"ということでここに居てください」
「はいは~い」
今日、20万以上貰えたら…。いや、無理でも…。
「生きているうちに………できたらいいなぁ…」
イグナーツはため息をついて、ベッドに倒れ込んだ。せめて、恩返しだけでも出来ますように。
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