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イグナーツの過去‐幼少期編‐

「ねぇ!父さん!やめようよ!」  豪雨の中一心不乱に走って大声で叫ぶ少年が居る。美しい空色の髪が雨で張り付いてぺしゃんとしていた。 「うるせぇぞクソガキ!!この世は金と権力だ!!」  雨音に負けないほど大きな怒鳴り声で父親は言い放った。その声はとても恐ろしい『悪魔のような』こえだった。少年は怖がりながらも涙目で父親の服を引っ張る。しかしどれだけ嫌だと駄々を捏ねても父親はビクともせずに歩いていく。成人した男の力に勝てるはずもなく、ずり刷りと引きずられていった。  先に見えるのは二人の魔族。緑髪の男性と赤髪の女性。緑髪の魔族は腰にサーベルを下げている。女性は特に武装することもなく緑髪の魔族に抱かれていた。 「はっはっは!!ほら見た事か!盗賊の言う通り今日は護衛も付けずに女とデートだ!」  父親は腰に下げた短刀を構えて走り出す。バシャバシャと音を立てて。奇襲というにはおこがましい猪突猛進な父親の背中を見ていることしかできず、豪雨の中、立ち尽くした。 「シンディ、下がれ!!」  走っていく父親に気が付いた緑髪の男性魔族が女性をかばって前に出る。女性は軽く飛ばされるようになってはいたがその意図を察して自ら距離を置く。即座に引き抜いたサーベルが父のボロの短剣とかち合う。金属がぶつかる音と共に血が飛び散った。 「ああ!!この緑髪、この目の継ぎ接ぎ、あんたが魔王だな!!」 「だとしたら何だ!!」  あんなに力の強い父親を、びくともしないで片手で攻撃を受け流す魔族は「魔王」で間違いないだろう。大の大人が殺意を持ってぶつかり合う姿を見て少年は恐怖で立てなくなった。父親が狂ったような顔で『魔王』に向かってボロの短剣を振り回している。止められなかった、と酷く後悔した。 「あ"!?取引だよ、トリヒキ!俺があんたに勝ったらあんたが持ってる領地を半分くれって言うな!」  凶器に満ちた顔がとてもなく恐ろしい。 「断る!我が民は、我が国は私が守らねばならんのだ!」  なにが取引だ。ただの欲にまみれた獣じゃないか。お願い、父さん逃げて………。魔王には勝てないよ…。 「ならこれならどうかな!」 「きゃぁ!!」  父親が女性の後ろから首元に短剣を押し当てている。なんて卑怯な男だ。少年は絶望した。これじゃあ父が悪者だ。 「っ………!!どうするつもりだ!」  サーベルをおろした魔王ににやにやとした父はまた卑怯はことを言い放った。 「殺されたくなきゃ世界を半分くれよなあ!?」 「っ………!!」  魔王が後ずさりする。魔王が怒らないはずは無かった。女性を人質にされた上に国を売るかどうか問われているのだから。 「残念だが貴様の様な男に世界も何もくれてやる気はない!」 「じゃあお嬢ちゃんはさようなら~」  女性の甲高い絶叫と共に血しぶきが舞った。その後に首が鈍い音と共に地面に多たち付けられる。ぐしゃぁ、と血が広がり鉄の匂いが蔓延した。だらだらと血が流れ続ける体も、手を離されればすぐに崩れ落ちぐしゃりぐにゃりと肉片になった。 「貴様ぁぁ!!!!」  怒りに飲まれた魔王はもう一度サーベルを引く抜く。父の元へと走ってくるのを見て咄嗟に「父が死ぬ」と思った。こんなにクズでどうしようもなくて、稼いだ金も全て一日で塵にするクソな父親であってもその死を自覚して黙ってはいられなかった。  父親の前に飛び出して、両手を広げた。目の前にはサーベル、止まらない。ものすごくゆっくりなようで一瞬の出来事だった。美しいほどに輝く切っ先が顔に、目に突き刺さる。熱いと感じた。頭の中で形容しがたい音を聞いて気分が悪くなった。引き抜かれてやっと痛みに気が付いた。 「うああああ!」  倒れ込んだ地面にある水たまりに血がだばだばと流れ落ちる。痛い熱い痛い熱い痛い。  しばらくして横に衝撃が響く。ああ、父はやはり死んだようだ。ぐしゃりとした肉片しか見えないがきっと、きっとそう。  僕ももう死ぬんだろうな………。  虚しい。あまりにも虚しい。今日は何か呪われているのだろうか?正妻には裏切られ、不倫現場を目の前で見せられた挙句その男との子を孕んだという報告を受け、最悪な気分で雨の中を歩かされた。その上賊に襲われてその女まで殺され罪を明らかにできなくなった。  これから法廷にかけるはずの女を殺されては何にもならないというものだ。酷くため息をついた。血に濡れたサーベルをしまい帰ろうかと思った時足元にいる少年が動いているのを見た。まさか、息があるのか?彼を殺す気は無かったが本気で貫いてしまったから殺したかとも思ったが………。 「うう………」  せめてこの子だけでも連れて帰ろう。それしかできない。急げば助かるかもしれない。  全力で夜の野を駆け、王宮へと帰った。  なんだろう、あたまがいたい。それにとてもふかふか。いい匂いもする。もしかしてここが天国かな?目を怪我してきたから痛いのだろうか?だったらもう苦しまなくてもいいんだ。きっと怪我もよくなる………。 「………苦しいのか?…仕方ない………痛み止め………どこに置いたか………」  低い声が聞こえる。天使さん?そうだとしたらいいなぁ………。僕ね、お金に困らない生活がしたいよ………。 「こら、動くな………っと寝ているのか。傷が広がるから大人しく寝てくれるといいのだが」 「だ…あれ…?」  声がやっと出せた。声を出すだけでとてつもなく頭が痛いけれど、どうにか話せそうだ。 「私はエストラム。君たちには魔王と呼ばれているかな」  魔王?なんで?魔王は死んでないはず…。 「目が開かないか?右目なら開くと思うのだが…」 「目…?あっ…」  ぼやけた視界だがゆっくり見えるようになってきた。キラキラの内装、豪華な服の魔王、あとはお水とか薬とかがいっぱい置いてある机。僕は天国に来たんじゃないみたいだ。 「よかった、目が覚めたんだな。もう目を覚まさないかと思って心配していた」  意識もはっきりしてくる。痛いのは左目と頭。他はそこまで痛くない。右目は開くのに左目は開かない。左目、左目はどうなって………? 「左目………どうなってるの………」  ゆっくり触ってみたけど包帯か何かがあるようで目がどうなっているか分からない。 「………隣に鏡がある。見る勇気があるなら見たらいい」  恐る恐る包帯をほどいて鏡を見た。左目は完全に縫い合わされておりその周りも気分が悪くなるような怪我が広がっている。自分の顔だとは思えない。 「うっ、ぅぁ………。僕の………僕の目…」  辛くて悲しくて泣いてしまった。ぐずぐずと泣く自分を優しく撫でて包帯を巻いてくれる手は冷たくて、死んだ人間みたいだった。落ち着くまで撫でてくれた彼はゆっくり話し始める。 「その目がもし、治ったら包帯は外せるだろう。急に何かを失うのは怖い。それは私も経験したことだ。ほら、お揃いだろう?」  彼はツギハギの顔をなぞってそういった。彼は幼いころ大やけどをしたからこんなに広範囲を怪我しているのだと言ってくれた。優しい、優しい魔王様だと思った。

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