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番外 失うことへの恐怖※

 痛みは消えなかった。傷が癒えても、心は癒えなかった。私はその時初めて「トラウマ」というものを知った。それがどれだけ苦しいものか理解できた。それを背負いながら生きるにはあまりにも長い人生にため息が出る。  ――私は「」が嫌いだ。  それは気の迷いだったのかもしれない。彼を側室にしようと持ったのは。  どこの者とも知れぬインキュバスを王宮に招き入れて数年が経ったが彼は相変わらず遊び惚けている。仕事の出来は上々だが性事情は散々だ。毎晩違う男女と場所問わず事に及んでいるらしいと城内では噂されている。私は彼を気に入っているのだが彼はどうだかわからない。服もまともに着ないで布一枚で徘徊する彼はセバスティアーノ。私の世話係だ。出会いは中々に雑で強引ではあったが両者共に利害の一致から離れることもなかった。だがそれが何かに進展するかと言えば難しい話だ。セバスティアーノ自身は食事という観点でも快楽という観点でも性交渉が必要であることから手あたり次第事に及ぶため愛があるかもわからない。そして私自身側室や正室を含め恋人が一人でなければならないという常識の範囲内に居ない。気に入れば際限なく愛し、傍に置きたい。そんな二人が愛し合うには条件が足りないのだろう。寝台で貪るのは情欲のみで、それ以上は無かった。 「全く………君は本当に遅漏だよね。気持ち良くないならやめるけド?」 「…言ったはずだ。私は昔の一件で不感症気味だと」  寝台で抱き合いながらも互いに目を合わせない。半ば呆れ気味なセバスティアーノがオイルを手に馴染ませている。潤滑油に使っているらしいそのオイルはとてもいい香りで中々気に入ってはいるのだがどこから買っているのかは不明だ。 「まぁ…それは聞いているけどインキュバスにここまでされてイけないっていうのもねぇ…」  インキュバスの体液は強い催淫効果がある。それは人間であれ魔族であれかなりの確率で引き起こされるものなのだそうだが私があまりにも絶頂を迎えられないので今日のセバスティアーノはご立腹のようだ。潤滑油のおかげで滑りのいい指で体を撫でられる。そういった行為に何も感じないわけではなく気持ちがいいとは思っているのだ。それでも達せないことが多いせいでそのうち愛想をつかされそうな気がしてきた。 「気持ちはいいんだがな…あと一押しがな………」  何が足りないのか、本人にもよくわからない。快楽は十分に足りているはずなのに何が足りないというのか。このままでは彼にも失礼だとは分かっているし、何より両者が不満を抱えてしまうだろう。 「一回や二回イケないっていうならこっちもね、テクニック不足だったかなぁとか相性悪いのかなぁって位だけどここまでくると嫌われているんじゃないかって思うよね」  長期戦になり始めたせいかセバスティアーノがそっぽを向き始めた。このままではまずい、と思考を回すがいい案が浮かんでこない。昔はこんなではなかった。そもそも不感症ではなかったし愛し合って抱き合えば快楽に濡れて極みも見えていたはずなのに。 「………愛?」  もしかしてと口にした。確かに以前抱き合っていた相手とは愛があった。初恋の彼女(オリビア)親友の彼(アーサー)正室の彼女(セリシア)もどんな形であったとはいえ愛があった。まさかとは思うがそういうことなのだろうか? 「ん?虚像(あい)?それがどうしたのサ」  彼には愚問だろうか。どちらかと言えば夜遊びの天才だ。人の体を弄ぶことに長けている淫魔からすれば愛など笑い話かもしれない。  くだらない、溜息を漏らした。嗚呼、元より私は考えが甘いのだ。部外者なら誰でもよかった訳じゃないと、分かってはいるのに。 「………いや、なんでもない。このままでは埒が明かないし、君もこんな私に苛立っているだろう?今日はやめにしないか」  朝日が昇りかけた頃から寝ていたのに、もう太陽の日が高く昇っている。こんなことを言うのはどうかと思うが相性が悪いのだろう。 「ふーん?キミ、ほんとにそう思ってる?」  ほんの少し罪悪感を覚えながら彼を軽く押し返したがセバスティアーノは全く動いてくれなかった。それどころか私の肌を引っ掻くように爪を立てて目を細めた。いつもとは違う対応に驚き、何も返せないでいるとセバスティアーノが笑いだす。 「な、なんだ?」 「ああ………そういうことね。んふふ、今鏡見せてあげたいくらいだよ。その物欲しそうな顔…欲しいのは快楽じゃないんだ」  悟ったように笑い始めたセバスティアーノに疑問を抱き顔を顰めた。さっきまでの苛立ったような顔から想像できない柔らかい笑みは逆に不安をあおるものではあるが、機嫌がよくなったのなら………。 「エストラム…なら愛称(ニックネーム)は何になるのかナ。あまり聞かない名前だからなんにしたらいいか迷っちゃうね」 「きゅ、急になんだ…?親友は私をアーロと呼んでいたが………」 「じゃあそうしよう。俺の呼び方は君が決めていいよ」  セバスティアーノの意図が分からず困惑する。しかしセバスティアーノのままでいいと言えば何か決めてと言い出すので、仕方なく考えることにする。情事の途中に何をしているのだと思ってしまうのは仕方がない。セバスティアーノ………、愛称………か。 「………バスティ?」 「いいねぇ、なんだか君らしいよ。絶対俺以外の前でそう呼んだら駄目だヨ?」 「駄目……なのか?」 「二人きりの時だけ、二人で愛称(ニックネーム)で呼び合おう。約束だからね」  ぽかんとしていると急に愛撫が再開された。突然のことに体をびくりと震わせたがそれだけで、高みに駆け上がる予感もない。もう意味が無いからやめようともう一度彼に言おうとしたときだった。 「アーロ♡」 「っ!?」  耳元で甘くセバスティアーノが囁いた。首筋から背筋にかけてゾクゾクとした震えが走る。何が起こったか理解することはかなわず絶え間ない彼の囁きに震え、体を硬直させてしまう。 「ねぇ…俺のことどう思ってる?」 「き、気に入っている……が…?」  稀に兵が耳打ちをしてくることがあるが息がかかる程近い距離で話されたことなどない。もはや唇が耳に当たりそうなほど近く、熱い吐息がこそばゆい。こんな些細なことで体が熱くなるとは思わなかった。 「好きか嫌いかで答えてよね」 「…?す、好き…?」  否定的な感情はないのだから好きになるだろうと思いそう答えたがそれは間違いだった。彼を一層意識してしまいかッと熱くなる。夜の相手としての彼ではなく一個人だと思うと意識が変わる。蕩けていく思考の中でこいつにならゆだねてもいいのではないかと思い始める。それは弱さか…。 「好きでいてくれて嬉しいよアーロ」  色男が何度もいってきたであろうありきたりなセリフにときめいたりはしないが言葉の合間に優しく攻められるのは中々に効く。濡れた音が響く中、耐えられなくなった私は上擦った声で強請った。 「バスティ…バスティ…?」 「何だい?」  私を王としないで見てほしい。貴族として接さないで欲しい。甘えさせてほしい。 「なんだ、そんなことくらいお安い御用だよ。君は一人で頑張っているんだから息抜きも必要でしょ?」  涙があふれてきた。そうだ、私は役職に縛られて対等になったことなんてない。だらしなく下品に喘ぎ散らすほどよくなりたいと思ったことだってある。明日の予定も考えずに夜まで抱き合いたい…!私だって…! 「っあ!!バスティ!!」 「きたきた、そういう顔が見たかったんだよ!」  グイっと奥まで貫かれて自分のものとは思えない声をあげた。泣きながら彼に抱きしめられて安心していく。私はたった一人の魔族だ。他の何でもない。そんな私を愛してくれ。 「ぅあ…!んぅぅ…今日はな…始末書がっ…酷くて…んぁ!」 「よしよし、頑張った頑張った」  私はこいつを選んだ目的を思い出した。私の出生も、生きてきた功績も知らない人。その上私が情けをかけてしまわないように人間以外が良いと。そう思って彼にしたんだ。全て忘れて、甘えて、愚痴を言って……愛して欲しかった。 「全く………っ、みんなは、私をっ…なんだと思っているんだ……………っ!」 「うんうん、きょうもがんばったネェ」  愛してくれるくれる人が欲しくて飢えていた。慰めてくれる人が欲しくてもがいていた。それを許容してくれる彼なら、私を満たしてくれるだろう。 「んっ、んあぁ!そ、そこは………!」 「ん〜?アーロ、ココぐりぐりされるの好きでショ?」  セバスティアーノは深い抽挿を止め前立腺を擦るように小刻みに動く。私はそれに弱いがとても好きで、なによりも気持ちがいい。それをされると自分から腰を揺らしてしまうほどに、それで与えられる快楽がいい。 「ん、す、好きだ………それ…」  元よりそこは弱かったがセバスティアーノにされるのは格別に気持ちがいい。こんなのを覚えてしまっては癖になってしまう……。 「じゃ〜…………イッてみよう♪」 「っっっ〜〜っ!?!?!?」  内壁を擦る動きが激しくなったかと思えば無防備だった男根を握られ、先端を指の腹で弄られる。ここまでの共寝で私の弱点を理解しているセバスティアーノは的確に私を高めていく。前も後ろも弱い所を攻め立てられている上、耳元ではアーロ、アーロ、と名を呼び続けている。終いには愛しているとまで言われてしまって、私はもう、限界だった。 「ぅあ!!あっ!!バスティ………!バスティ!!!」 「ふふ、アーロのイきそうな顔〜可愛いネ〜♡」 「んんんんっん"〜!!」  声を上げたくなくて口を閉じたが、激しい快楽に抗えず唸り声のような雑音を発してしまった。私がチカチカする視界に悩んでいるうちにセバスティアーノが自らのそれを私から引き抜いて、手で扱くことで極めたらしかった。 「はっ…………はぁ…………んは………」 「いつもより多いネ、味もいいし」 「……………そんなものは覚えていなくていい」  互いに息が荒い中私はセバスティアーノの胸あたりに頬を寄せてすりすりと甘えてみた。それはまるで猫のようだがこれ以上の表現方法を知らない。 「俺、魔王様の側室になるからさ、疲れたら癒されにおいでよ」 「なにを勝手に決めている。決定するのは私だぞ」  元よりその気ではあるが。私はそれ以上話さず、猫のように擦り寄りながら好きなだけ甘えて、その後眠りについた。これほど幸せであったのは久しぶりだ。まるでそれは父上に撫でられている時のような、母上に抱きしめられている時のような安心感。そして愛に包まれる幸福感。飢えた体に染み渡る彼の温もりが幸せだった。いい夢を見せてくれて、ありがとうバスティ。

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