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第7話

(……嬉しそうだったな)  既に日は暮れている。ゼクスがファベル王として来賓に挨拶をし、乾杯を終えると、ファベル王が主催する晩餐会が始まった。広間の上座、一段高くなっているところにつくられた席から見下ろすと、和やかに食事が進んでいるのが見て取れる。久しぶりに会う辺境伯たちやその家族とも無難な会話を交わしながら、思い返すのは日中のテアのことだ。  今日は庭師が自分の幼い子どもたちを連れてきていて、親子で綺麗に着飾ったテアに目を丸くしていた。しかし、見た目を裏切るテアの口の悪さに子どもたちが笑い出し、それからは打ち解けていった。服を汚せないテアに代わって子どもたちがあれこれと花を貢ぎ、しまいには競争に発展したが、たくさん集まった花でテアが花冠を作り、子どもたちは大喜びだった。 (庭師の子どもらも、まるで女神から勝利の花冠を授けてもらったと言わんばかりに、張り切った目をしていたな)  子どもたちに笑いかけるテアからは、衣装のせいか、いつもの彼らしい快活さが成りを潜めていたのも新しい発見だった。ゼクスの私邸に引き取ってからは、決まった人間とだけ接していたので、子どもたちと触れ合うこともなかった。今日のやり取りを見ていると、存外子どもは好きなのかもしれない。 (テアも、男だ。今後は女性と触れ合う機会を作った方が良いのだろうか……)  そこまで考えたのに、それ以上を考えようとしても、何故か思考がまとまらない。ぴたりと食事をしていた手を止めたところで、ファベル一の辺境伯であるモンフォワ家の当主が挨拶に来た。当主の後ろには、男が二人、並んで立っている。モンフォワ家の領地は南の隣国と接する要所だが、外交が巧みで、隣国を介して海を渡り、様々な物を貿易できているのはモンフォワ家のお蔭と言って良い。モンフォワ家とはゼクスたちの曾祖父の代が兄弟であり、かつては王族だった。順位の関係で、今の当主が生まれた際に王族からは除籍となっている。見事な手腕で領地を治めるモンフォワ家を王族に戻すべき、という声は度々起こってはいたが、当のモンフォワ家が乗り気ではないという噂だ。 「陛下。何やら、お悩みですかな? 宜しければ、うちの息子たちを話し相手にしてみませんか」 「モンフォワ公、気を遣わせてしまい申し訳ない。……今日はパルミロも来ているのか」  左様です、とモンフォワ公が笑い返す。モンフォワ家に入り込んでいる内偵からも、モンフォワ家の現当主は温厚な人格者だと報告が上がっている。自分の子と同じくらいの王を、親の目線で見ているのかもしれない――イグナハートと、かつてそう話したことがあった。イグナハートも、モンフォワ公に対しては己の親に接していたよりも親しくしている。王家との関係は良好と言えるだろう。  モンフォワ公の長子であるパルミロも、モンフォワ公に似て穏やかな性格をしている。イグナハートとたまに入れ替わって子どもの頃に遊んだ経験があるので、それはゼクス自身が良く知っている。顔を覗かせたパルミロにゼクスは微笑を返したが、パルミロの隣に立つ見知らぬ男の顔を見て、ゼクスは目を瞬かせた。 「ああ、陛下。この者は再婚した妻の連れ子で、このような場には初めて連れてきました。アベラート、と申します。アベラート、陛下にご挨拶を」  パルミロや己よりも若く、顔の整った青年が、一歩前へと出た。 「お目にかかれて光栄です、陛下。私はずっと王都にいたので、そのうち私だけでも王都に戻してもらえませんかねえ」 「アベラート、陛下の御前だぞ!」  ニヤリと不遜に笑んできたアベラートに、いつもは穏やかなパルミロが制止に入る。アベラートは肩を竦めるとわざとらしく深々と頭を下げて見せた。 「大変な無礼をしてしまい申し訳ありません。この者はずっと市井にいたようで、今日は人が多い場で勉強になればと思い連れてきたのですが……」 「気になさらず、モンフォワ公。アベラートは、こちらで何か仕事をしていたのか?」  頭を下げるモンフォワ公を手で制して、ゼクスがファベル王として問いかける。アベラートは「ええ、まあ」と意味深げに笑うと、己の袖口を捲って見せた。零れ見えたのは、動物の皮か何かで作られたブレスレットだった。牙なのか骨なのか分からないが、繊細に削られた細工ものがついている。 「珍品の類などを、異国相手に売買しています。これはとてもめずらしい『鳥』でつくられた腕輪なんですよ」 「モンフォワ家はみな貿易の手腕が巧みだ。その類の仕事をしているのなら、すぐにモンフォワ家にも馴染めるだろう。今後に期待している」  ありがたいお言葉、とアベラートは先ほどと同じような笑みを浮かべ、頭を下げたが、パルミロが眉根を寄せたのが印象的だった。 (そうか、パルミロの御母上は亡くなられたのだった……)  ファベルの民が亡くなると、その魂は神殿にある泉より地の底をくぐり、冥府の神によって次の肉体へと運ばれていくと信じられている。ファベル国のどこで亡くなろうと、葬儀は城より少し離れた山間にある大神殿で執り行われる。パルミロの母親が亡くなった時はイグナハートが参列したので、ゼクスはただイグナハートから訃報を聞いただけだった。  親しくしてきた人の死を、イグナハートの代わりにファベル王として見送ることもある。イグナハートはゼクスよりもずっと感情が豊かな男だ。訃報を聞いて泣ぐむ時もあり、そんな時はゼクスが代わりに見送ることもあった。たとえば、母の時など。  ゼクスがイグナハートより先でも後でも、死ぬことがあれば、ファベルの民として葬儀を上げることは許されないため、誰も知らぬ地で葬られることになっている。 (今日は、やけに考え事をしている気がする)  そう自嘲し、運ばれてきた最後のデザートに口をつけた時だった。 「……随分と甘いな」 「水をお注ぎしましょうか」  水差しを持った給仕が近づいてきたが、口腔に残る嫌な感触に気づいたゼクスは自然な仕草で給仕の足を止めると、王付きの侍従を呼び、一旦退室することを告げた。 「私は一旦部屋に下がり、今日のために用意した特別なものを、皆に披露したいと思う。それまで、ゆっくりと歓談を」  来賓たちにそう呼び掛け、侍従たちを連れて大広間を出たところで、足の力が抜けそうになった。さりげなくイグナハートの侍従たちが「飲み過ぎですか」と近づいてきた。「恐らく給仕だ。騒ぎにならぬよう、押さえろ」と短く告げると、侍従の一人が緊迫した面持ちで頷き、大広間へと戻っていく。自分の足で何とかぐらつきかけたのを持ち堪えると、イグナハートらしく姿勢を正して控え室へと向かう。途中すれ違う給仕や使用人たちのお辞儀に軽く頷き返しながら、控え室の扉を開き、中に入ったところでとうとう限界を迎えた。 「ゼクス?」     身体が一気に重くなり、床へと倒れこむ。それを数人が支えてくれるのは分かったが、立ち上がることはもうできず、意識がどんどん朦朧としていく。よくここまで持ち堪えられたなと、自分を褒めてやりたいくらいだ。薄っすらとまぶたを開くと、テアがゼクスの顔を覗き込んでいるのが見える。こういう姿を見せる可能性もあったから、本当は連れてくるべきではなかったのだろう。しかし――最期に、テアが看取ってくれるのであれば幸せかもしれない、という考えが過る。少しずつ、テアの居場所は作ってきたつもりだ。イグナハートもアストレア族であるテアのことを、悪いようには扱わないだろう。ルアフや、屋敷の人間たちも信用できる。思い残すことはないな、と思った。 「テア。ゼクスは眠いんだよ。俺と一緒に、大広間へ行こう。テアが喜ぶ果物が、たくさんあるはずだ」 「うそだ! ゼクスの様子がおかしいもの! こんな……なんで、こんなに顔の色が、白いの……?」  ぽたぽたとテアの涙らしい液体が唇に落ちてきた。声を上げて泣くことはないけれど、幼い子のようにとても大きな粒の涙をテアは流す。その涙は、唇をとじることができないゼクスの口の中に落ちてきて、やがて喉を通っていった。 「医師殿が参られました。陛下はおはやく、広間へお戻りください。テア殿も、診察の邪魔になります!」  ルアフの声。いやだ、とまだ言い続けるテアの身体を、誰かが抱き上げたのだろう。段々と声が、遠ざかっていく。その声がやけに耳に残って、どうにかしてやりたいと思った。思うのに――身体が、動かない。思い残すことはなかったはずなのに、心残りが生まれてしまった。 (……アストレアは、涙さえ甘いのか)  先ほど、毒が仕込まれていただろうショコラのせいで、喉が渇いていたのもあるのかもしれない。消えゆく意識の中で命の水、という言葉が頭の中を過っていった。

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