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第9話

「テア。まだ怒っているのか?」 「……怒ってる」  青い瞳が、じっとゼクスを睨んでから部屋の片隅に蹲る。かろうじて返事はするのだが、言葉遣いは荒々しい。ゼクスが快復した後、今度はテアが熱を出してしまい、ようやくテアの体調も戻ってきたところだ。しかし、食事をほとんどしないと侍女たちに泣きつかれ、テアの部屋をゼクスが訪れたところだった。  使用人たちが買いつけてきた新鮮な果物を、いつかのように床に直接置く。 「テア。怒るにも、空腹では持たないよ。こちらにおいで」  できるだけ、自分に考えられる限り優しい声を出したつもりだが、テアはちらっとゼクスを見て、また視線を戻してしまう。ゼクスは良い方法がもう浮かばず、立ち上がるとテアの身体を抱え上げた。 「なっ、……!」 「話を聞いてほしい、テア」  壁の隅から無理やり引っ張り出されたテアは驚きで目を丸くし、ゼクスから逃れようともがいたが、ゼクスが離さないつもりだと気づくと大人しくなった。それでも、視線を合わせないようにふいっとそっぽを向いている。こうやって無理やりなことをされると、抵抗を諦めてしまうテアに気づいて心苦しくなったが、今はそれを利用させてもらうことにした。 「私が、陛下の『影』であることは前にも話したね。『影』とは、必要であればいつでも陛下の身代わりとなることが仕事だ。陛下の代わりに、大勢の前で食事をすることもあるし、遠方に巡行する際には私が行くこともある」 「……なんで、ゼクスじゃなきゃダメなんだよ……。どうして、ゼクスだけがっ!? 生まれる順番だけで、イグナは王様だから死んじゃダメ、ゼクスは死んでもいいって……そんなの、おかしいだろっ!!」  また、テアの眦に涙が溜まり始めている。なるべくイグナハートに近づけるために自分自身の感情はなるべく持たないようにと、自らも気を付けてきた。そのせいで、怒ったことも、泣いた記憶もほとんどない。そんな己の代わりのように、テアが怒り、泣いている。 「そうしなければ、私は生きられなかった。『ファベル王』として生き――『ファベル王』のために死ぬ。陛下より早く死ぬということがあっても、遅いということはない……それが定めなんだ」 「……じゃあ、ゼクスが死ぬ時が、俺の死ぬ時だね。あんたのいない世界で生きるくらいなら、飛び降りた方がましだ!」  ふん、とテアがそっぽを向く。感情を抑えきれなくなったのか、頑張って気を付けていた言葉は荒いままだ。 「テアは、私に付き合わなくて良いんだ。アストレア族がいなくても、誰かテアに似合いの可愛い女性を妻に娶り、子どもを作って幸せに……テア?」  視線を逸らしていたはずのテアが、驚愕で青い瞳を丸くして、ゼクスを見てきた。それから今までになく暴れ、ゼクスは思わずテアの身体を取り落としてしまった。床に這ったテアは、腕の力で上体を起こすと、ずるずると窓際へと逃げていく。壁に手を触れながらぺたりと座り込んだテアは、「知らないくせに!」と吐き捨てるように言った。 「テア、すまない。気に障ることを、言ってしまっただろうか」 「俺のことなんか、何も知らないくせに! 俺が、どんな風にあんたのこと想っているかなんて、分かろうともしないくせに! ……俺は、あんたに嫌われているのか?! どうして好きなヤツの、死ぬ時の話しなんて聞かされきゃいけないんだよ!!」  座り込んでいたテアは、壁を支えにして何とか立ち上がると、開いたままの窓枠に寄りかかった。慌てて腕をさし伸ばしたゼクスだったが、あっさりと払われてしまう。 「それに、俺はもう、女の人とそういうことができる身体じゃない。翼のないアストレアは、子どもをつくれない」  そう言って自嘲したテアにゼクスが近づくと、また距離を取ろうとしたが、バランスを崩して転倒しかける。今度は迷いなくゼクスはテアの細い腕を掴み、そのまま自分の胸に抱き留めた、テアの脈が速くなっていて、怒りのためか、肩が震えている。離せ、とテアが暴れても、もう放してやることが出来なかった。少しの間じたばたとしていたテアだったが、くう、とお腹が鳴る。ここしばらくまともに食事を取ってなかったというのだから、空腹なのだ。  テアを抱えたまま、床に置いた皿の近くに座り込むと、テアはもう大人しかった。 「……驚いたな」  ぽつりとゼクスが呟くと、テアがまた、身体を震わせる。それに苦笑を浮かべると、ゼクスはテアの唇に口づけていた。本当は、毒で死にかけたあの時にもテアの顔を見て、思わず口づけたくなったのを思い出す。さすがに、毒に侵された身体で、そんなことはできなかったが。顔を真っ赤にしたまま、こちらを見上げてきたテアの額にも口づける。額に口づけるのは、ファベル国では親子か恋人にしかしない。額は人の幾つかある急所の一つであり、露出している部分でもあるからだ。 「自分が恐ろしい。テアを、私のものにしても良いんじゃないかと、思ってしまった」 「……あんたのものにすればいいだろ……です」  きゅうー、とまたテアのお腹が鳴った。テアは恥ずかしかったのか、手のひらで顔を覆っていた。それがとても可愛らしく思えて、手の甲にも口づける。ついこの間生まれた、テアを『愛しい』と思う感情が、自分でも抑えられなくらいのスピードで成長していく。 「私も腹が空いてきたな。一緒に食べよう、テア」  テアの口の大きさに合わせてカットされている果実を摘むと、手のひらの合間からちらっとテアが見ているのに気づく。わざとらしくゆっくりと、美味しいという表情で果物を食べる。テアの顔から手のひらが取れて口が開いた。そこにすかさず、フォークで刺したテアの好物を押し付けると、ようやくテアが食べだす。 (こんな、全力で慕ってくれるテアを――手放せるわけがない)  空腹なのだろうに、ゼクスが自分も空腹だと言ったせいで、床に座ったテアは皿の上の果実をせっせと取り分け始めた  子を持つことも許されない者同士なら――そんな風にまた考えた自分が醜く思えて、ゼクスは自嘲した。

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