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第10話

 いつもの日常に戻ったとある日。  見舞いの花を摘ませてくれたお礼を、城の庭師に言いに行こうかと誘うと、テアは喜んでついてきた。ゼクスも久しぶりの登城だ。迎えに来たルアフから「そのままで」と言われたため、変装はしていない。ルアフや庭師たちにテアを預けて、久しぶりにイグナハートと会うことになった。 「良かった、元気そうで。報告には聞いていたけれど、やっぱりこの目で見るまではね。こういう時、直接見舞いにも行けないのは結構辛いな」  部屋に入り、目深に被っていたフードを取り払うと、すぐにイグナハートが近づいてきてゼクスの肩を叩いた。 「見舞いなら沢山頂きました。新鮮な果物なんて、テアがとても喜んでいましたよ」 「喜んでくれたのなら良かった。泣いていたテアを、無理やり客人たちの前に引っ張り出してしまったし……そのお詫びも兼ねてね」  イグナハートからその話題を持ち出してきたので、ゼクスは一呼吸置いてから「そのことですが」と返した。 「テアは、人に慣れていないことを話したはずです。陛下は、最初からテアを来賓の前に連れ出すおつもりだったのでしょう? あのアストレア族の正装も、そのために用意した。……何故ですか?」  何故って……とイグナハートは呟き、肩を竦めて見せた。 「そんなこと、当然分かっていると思っていたのだが。テアの居場所をつくるには、社交の場には出さなければならないだろう? 身元のしっかりとしているそれなりの家の養子として身分を与え、ファベルの一員として扱うとなると、当然社交の場にも顔を出す必要が出てくる。幾ら今はゼクスの預かりとは言っても、俺の『影』であるお前の養子にするなんて、できないし。その点で言えば、先日は大成功だった。誰しもがテアの美しさと歌声に魅了されていたからな。テアを引き取っても良いという貴族たちが、そのうちわらわらと出てくるだろう。アストレアと人との間でも子が生まれると聞いたことがあるし、テアにも家族が必要じゃないか?」  少し前の己を見ているようだった。それこそがテアの幸せだと、思い込んでいた……そのことで、テアを傷つけるとも知らずに。  テア自身はもう、子どもを成すことができないそうですと返すと、ここに来てイグナハートが意味深な表情で、笑んで見せた。その表情も、いくら練習してもゼクスには難しいままだ。 「へえー、成る程ね。テアは、ゼクスにならそういう話をしたりもするのか。ところで、あの子には好いた相手がいるそうだね」 「――好いた相手?」  まさかイグナハートからそういう話をされるとは想像もしていなかったゼクスは、自分と同じ顔をした兄を見やった。イグナハートは、いつもの定位置である一人掛けの椅子に、足を組んで座りこむ。  兄がわざわざゼクスにその話をしてくるということは、テアが好きな相手とは自分ではないのだろう。だが、誰なのだろうかと考えると、心が冷えていくのを感じて、戸惑う。テアの、ゼクスに対する『好き』は、雛鳥の親に対するそれと同じではないかとゼクスは考えている。この間は、ゼクスの話し方も良くなかったせいで思わずテアの気持ちを聞く機会はあったものの、かといってあれ以来テアがゼクスに甘えてくるといった態度の変化もない。そもそも、テアはほとんどゼクスや他人に甘えたりはしない。 「……まさかとは思うが、気づいていないわけじゃないよな?」 「いや……傍にいて恥ずかしいのですが、知りませんでした。その相手とは誰でしょうか。私の知る者でしょうか?」  鈍いねえ、とイグナハートが呆れたように嘆息した。 「ゼクスから正解を聞くまでは、テアの社交界参加は止められないからな、頑張って答えを探しておいで。今日は、もういいよ。俺は部屋にいるから、そのままの姿でテアと庭の中でも散歩してから帰ると良い。それと、今度の舞踏会用の衣装も、テアに贈るからちゃんとそれを着せて、連れてくるように」 「舞踏会に、ですか? テアは、片方の足をまだ引きずっていて……」  もちろん知っているよ、とイグナハートが被せてきた。 「みな、テアの足のことくらい、この間のことで分かっているさ」 「……はあ」  イグナハートの考えていることがさっぱり分からず、曖昧な表情で返事をしたゼクスに、イグナハートは表情を改めた。 「そうそう、この間の毒入りショコラの犯人だが。ゼクスが怪しんだ給仕から辿っていったら、先月家を取り潰された貴族の使用人だってことが分かった。主人の享楽で潰れたのに、俺はどうやら逆恨みされていたらしい。まあ、もしかしたら金で誰かに雇われただけかもしれないが。栄える一方では、こういうこともあるのだと、お互い気を付けよう」 「……御意」  頭を下げ、ゼクスが踵を返すと、イグナハートの深いため息が追いかけてくるのだった。

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