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第14話

(いつ渡そうかな)    イグナハートから贈られてきた、またもひらひらとした服に戸惑いながらも、テアは自分の首にかけた首飾りをずっと気にしていた。予想外なことに、アストレアの正装にはポケットといったものはない。今日だけ突然袋かなにかを持参しても、ゼクスからおかしく思われてしまいそうだ。結局、テアは悩んだ末に、自分の首にかけて持ち込むことにした。  侍女たちから聞いていた通り、今日のファベル王役はイグナハートではなくゼクスだ。同一の顔だというが、テアはゼクスの方が恰好良いと思っている。王としての正装を着こなしているゼクスから中々目が離せず、次から次へと挨拶を卒なくこなす様子を眺めていた。今日はルアフもゼクスとテアの傍に控えており、テアに近づこうとする者たちをさりげなく追い返してくれていた。しかし、そんなルアフでも対応しきれない男が現れた――モンフォワ家の長子、パルミロだ。 「テア殿。僕と、一曲踊って頂けないでしょうか」 「パルミロと? 俺――わたしは、あまり動けないよ。パルミロ……殿まで、笑われてしまう」  テアを見てくる者は多いけれど、ルアフと足のことがあってか、声までかけてきたのはパルミロが今日は初めてだ。パルミロの真摯な態度は好ましく思うけれど、先日からどうもパルミロはテアが返せる以上の感情を持っているようにも感じる。憎悪や危害を加えようという感情は分かりやすいのだが、好意だとか友情だとか、そういった類のものは縁遠かったせいで、自分に向けられるものが何なのかは良く分からない。  舞踏会では、一番目に踊る相手のことは貴族たちの世間話にも必ず上るくらい、大切だ。リュエットからそういった話を昨日聞かされていたテアは困り果てた。パルミロは眉尻を下げると、「そうだよね」と同意してきた。 「でも、どうしても諦めきれないんだよ。ワンステップだけでもいい。モンフォワの領地に帰る前に、思い出をつくらせてくれないだろうか」  てっきり諦めてくれるとばかり思ったパルミロがテアの腕を掴み、無理やり立ち上がらせた。それから逃れようとして前のめりにバランスを崩しそうになり、それをゼクスが見ている――そう思った次の瞬間には、パルミロに抱え上げられていた。 「すごい。アストレア族というだけあって、本当に体が軽いんだね。……何だか、このまま奪い去れそうだ」  そのセリフに、何故か寒気を覚えてテアが身体を震わせる。「パルミロ?」と声をかけると、穏やかな笑顔が返ってきた。そのまま広間の真ん中に連れて行かれる。既にペアになった人々が広間に繰り出していたが、テアを抱えたパルミロが足を踏み入れると一斉に道を譲った。  床へと降ろされると、そのタイミングで音楽が鳴り始めた。踊ったこともないテアは周囲を見回して慌てたが、パルミロがぐっと腰を抑えてきて、ゆっくりとしたステップを踏み出す。まるで操り人形だ。ほとんどパルミロの動きでごまかしながら一曲を踊り終えたところで、テアは蹲りそうになった。時折足を無理に動かしたせいか、痛めている方の足がうまく動かなくなっている。パルミロはそれに気づき、先ほどと同じように眉尻を下げた。 「すまない、無理をさせてしまったよね。あちらで休もう」  また強引に抱き上げられ、大広間から控えの間へとパルミロが動き始めた。パルミロの肩越しに、広間を振り返るとゼクスの姿を探してしまう。離れたくないと叫びたいけれど、ゼクスはいま『ファベル王』だ。テアが今、ゼクスの名を呼んでしまったら、困らせてしまうことくらいは分かる。視界に映ったゼクスは、優雅な衣装を着た貴族たちに囲まれていた。  大広間の隣に、休憩のために用意された控えの間には、まだ休息やワインを求める人の姿はなく、広々としていた。テアを大きな長椅子に下ろすと、パルミロは給仕たちを断って、自らワインを取りに行った。 「喉が渇いたよね。付き合ってくれてありがとう」  隣に座り込んだパルミロからワイングラスを受け取り、テアは小さく頷き返した。 「テア……と呼んでもいいかな。テアは、陛下のことが好きなのかな」  パルミロ自身はグラスを持っておらず、両手を組んでいた。テアはパルミロから問われて、首を傾げる。陛下とは、イグナハートのことだが、パルミロにとってはイグナハートとゼクスは同一だ。それにしても、どうしてパルミロがそういうことを聞いてくるのだろうか。質問の意図が分かりかねて、テアは首を傾げた。答えを考えている間も、パルミロに勧められてワインを口にする。ゼクスの私邸で出されるものは大体果実酒なので、それよりも渋く、苦い感じがする。 「好きとか嫌いとか、パルミロはどうして知りたいんだ……ですか?」  こくこくとワインを飲みながら、ちらっとパルミロを見やると、モンフォワ家の長子はいつもと同じ穏やかな笑顔を浮かべていた。飲み進めていくごとに身体が火照り、不思議な感覚に陥っていく。ただ座っていただけなのに、一気に酔いが回ったような、ひどい酩酊感に襲われて姿勢を保っていることが難しくなってきた。「テア。大丈夫かい?」と声をかけられても、答えることが出来ない。パルミロが支えようとしてか、テアの背にすっと触れてきた途端に「あ……っ」と喘ぐ声が出た。それを契機にして、全身が更に快楽に似た熱で支配されていく。 「苦しいのかな……熱そうだね」  パルミロの手が、頬に伸びてくる。テアは助けを求めようとしたが、パルミロが何かを言った気がして口を噤む。その間にも顔をぐっと近づけたパルミロの髪が、自分の肌に触れる感触にぞくっとしてしまい、硬直した。身体の熱に比例して、頭も段々と朦朧としてきていたが、何とか口を開く。 「な、なんでこんなこと……」 「何故? なぜって、僕は陛下のことが――」  パルミロはテアの問いに、だいきらいだからだよ、と囁き、テアの額に口づけようとした――その時。 「パルミロ!」  いつになく大きな声が、控えの間に響いた。――ゼクスの声だ。パルミロから逃げようと、もがいていたテアは、熱と恐ろしさで潤んだ青の眼差しをゼクスへと向ける。ルアフたちを置いて一気に歩み寄ったゼクスの手で抱き抱えられ、テアは自分にできる限りの力でゼクスにしがみついた。 「すみません、どうやら酒に酔われていたようなので――介抱のつもりが、あまりの美しさに、つい。自分も酒に酔ってしまったようです」 「テアは、俺の気に入りだ――控えろ」  いつになく低い声に、パルミロは急いで床に片方の膝をつき、『ファベル王』に向かって頭を下げた。 「ルアフ。テアが酔っているそうだ。一旦、寝宮に連れて戻っていてくれ」  御意、とルアフが返し、『ファベル王』からテアを引き継ぐと急いで寝宮へと去っていった。  見送ったゼクスは大広間に戻ろうとして、アベラートが近くまで来ていることに気づいた。 「パルミロのやつ。大人しそうな顔しておいて、結構やることが大胆なんだよね」  ちらりとゼクスの顔を見やってから、いつぞやのようにニヤリと笑んで見せる。顔立ちは整っているせいか、アベラートがそういう表情をしてもあまり下卑たようには見えないが、それでも今のゼクスにとっては不快だった。無言で見やると、アベラートが肩を竦めて見せる。 「俺はあいつと違って、可愛いものは正しく可愛がりたい方なんですよね。ところで、陛下の忠実な部下が道を踏み外す前に、美しいアストレア族のところに戻られた方が良いかと」 「……陛下。お衣装に汚れが――一旦、中座致しましょう」  王付きの侍従が、床にまで届く王の、どこも汚れていない衣装に触れて、頭を下げる。それにゼクスが頷くと、アベラートはまたニヤリと笑んで、己の異母兄のところへと向かうのが見えた。

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