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ー もう無視しよう。 俺はここにいない。ここにいない。 柊生は顔を伏せたまま押し黙った。 「痕が残るからやめてって言ってるのに 俺がヒートの時には衝動を抑えられないみたいで これでも、だいぶ薄くなってきてたんですよ」 「へぇ…そんな趣味があったの」 杏菜が頬杖をついて、目を細めて柊生を見つめた。 「縛られた事あります?」 「ないわね…そんなの趣味じゃない。 でも やるとしたら縛る方でいたいわ」 「似合いそ~」 2人が楽しそうに話している。 さっきまでの殺気だった空気がウソみたいに。 「結婚する前に知って良かったわ」 そう言って立ち上がる。 「会うのは最後かしら?」 コートを羽織りながら杏菜が柊生を見る。 柊生は驚いた顔で杏菜を見上げた。 「言っておくけど、どうなっても知らないわよ」 真面目な顔で言われて柊生も 頷きながら立ち上がった。 和真は何も言えずにテーブルの上のコーヒーを 見つめていた。 「あなたもね、覚悟して」 杏菜に声をかけられて和真はハッとして振り仰ぐ。 「大丈夫だよ、ちゃんと俺が壁になるから」 「逆らったこともないのに、本当に大丈夫かしら?」 「それは逆らう理由がなかったからで 怖くて言いなりだった訳じゃない」 「ふぅん…まぁ どうなるか見物ね」 杏菜はまた意地悪く笑った。 「戦うのに疲れたら 慰めてあげるわよ」 柊生の後ろの和真を覗きこむようにして言った。 和真は笑って頷く事しかできなかった。 「じゃぁ…」 杏菜の差し出した手を握り返して握手をして イギリスに留学していた杏菜にあわせ さらりとしたハグを交わす。 「元気で」 そう言うと あなたもね、と言って笑った。 それから和真にも手を差し出す。 「会えて良かったわ」 和真は戸惑いながら握手に応じた。 柔らかく華奢なその手の平は 握手の後、そのまま 和真の頬をなぞって、静かに離れた。 杏菜はふんわり笑うと 「サヨナラ」 そう言って颯爽とラウンジから出ていった。

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