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Santa Baby②
ビルの外に看板は1つも出ていなくて、オフィスが入っていそうな地味な建物だ。
小さなエレベーターで三階まで上がると、すぐ目の前に木製の観音開きのドアがあった。その上には金色のネオンで店名が慎ましく光っている。開店前だったし、正面から入ってきていいって聞いていたからドアを開けた。
中は黒塗りの壁が落ち着いた雰囲気を醸し出している。でも木目の入ったカウンターや椅子や机、暖色の照明がホッと心を和らげる。
店の奥にはグランドピアノが鎮座していた。ツヤを消した壁を背に、星の粒を乗っけたみたいにキラキラと輝いている。
こういうところなら1人でふらっと来れそうだなと思った。
「あれ?2人だったっけ」
カウンターの奥から白髪混じりの髪をオールバックにしたオッさんがでてきた。
黒いソムリエエプロンを腰に巻いて、ウイングカラーシャツのボタンを2つくらい開けている。
でもそれが気安く話しかけられそうな演出になっていた。
「店長の後藤です。君が韮崎さん?」
アリサを見て言った。
「いや、俺です」
「あ、ごめんね。でも貴女もピアノ弾けるんですか?」
「いえ、あの、」
「あ、もしかして彼女さん?」
「いいいえ、違います違います」
そんな顔真っ赤にして怒るなよ。俺だってちょっとは凹むぞ。
「私、その、歌手を目指してて、人前で歌う機会があればと思いまして、だから、ボランティアでもいいので、歌わせていただけませんか」
後藤はニコニコしながら「いいですよー」とあっさり言った。
アリサはありがとうございます!と勢いよく頭を下げた。
「じゃついでだから、2人いっぺんに面接しちゃいましょう」
後藤はピアノを指差した。
「曲は?」
俺はモッズコートを脱いでピアノの前に座った。
「何でもいいですよ」
「ちょっと触っていいですか。曲とは関係なしに」
「どうぞ」
ニスに木目が透けた鍵盤を触って、指が沈み込む時の硬さを確認する。女が弾くことが多いからか、少し柔らかめの感触だ。ペダルも軽い。
少しの力で音が店内の隅々にまで行き渡るよう調律してある。あんまりジャカジャカ弾くとうるさくなっちまうな。静かな曲がいいかな。
「アリサ、Amaging Grace。いける?」
「え、ちょっと勝手に」
鍵盤に羽根を広げるように指を置く。
アリサが観念したように息を吸い込んだのを見計らって、深く、静かに和音を鳴らした。
白い喉から声が伸びていく。
アリサの武器は、Superflyとか中島美嘉みてえな力強く澄んだ声だ。
でもこの曲は賛美歌だ。パワフルさを抑えつつ、持ち味を活かしソウル風に歌いあげる。
最後の音が余韻を残す中、後藤はパチパチと拍手をした。
「2人とも上手いね!バッチリ!」
アリサはホッと息を吐いた。俺も一安心といったところだ。
「音大生の子たちがよくこのバイトに来るんですけど上手い方ですよ。君たちもそうなんですか?」
「いや、特には」
「アンタバンドやってたじゃない。私は現役でバンドやってます」
後藤はニコニコしながら頷いていた。
たまに音楽業界のライターやプロダクションの人間が来るとか、毎年音大にバイトの募集を掛けてるけど今年は来なかったとか世間話を暫くした後、やっと詳しい仕事内容を聞いた。
時間は楽器店のバイトが終わってから、オーダーストップの時間まで。
30分演奏して15分の休憩。
アリサは別に雇われているわけじゃないから、好きな時に来て歌っていいと言われていた。クッソ緩いな。
後は、客の雰囲気を見ながらBGM的な感じで演奏して欲しいと頼まれた。
手が足りない時はウエイターをやって欲しいとも。
中々忙しくなりそうだ。
楽器店のバイトが終わってからも、アリサと演るなら打ち合わせや練習しなきゃいけないし。
もしかしたら割りに合わないかもしれない。
でもピアノを弾く仕事は初めてで、ちょっと楽しみだったりする。
帰ってからユウジに話すと、思いっきりしかめっ面をされた。
「で、カホは?だれが見るんだ?」
あ、そうだった。忘れてた。
でもユウジは
「しょうがねえなあ、なるべく早く帰るようにするよ」
と意外な事を言いながらスマホを開いた。
勤務表をチェックしている。
「お前が本気出してピアノ弾くの久しぶりだしな。俺も見に行けたら行くよ」
ユウジはニヤリとした。
これは一層気合いが入るというものだ。
が、しかし
『ハジメさんピアノ弾けたんですか?!』
と祐次から興奮気味の電話が掛かってきた時には頭がくらくらした。
「お前・・・どっから」
『アリサさんですよ。歌うから見に来てって』
あの女・・・!ってか連絡取ってたのかこいつら。うかつに物を言えないな。
『行けたら行きますね、というか絶対行きます!』
「来なくていい」
ガチャ切りしてやった。
せっかくやる気になってたのに大幅に削がれてしまった。
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