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Trac03 Warm December/ジュリー・ロンドン①

『ーーーー私を暖かくして』    ジュリー・ロンドン/Warm December バーでの仕事は順調だった。 たまに客からのリクエストが入って組んでいた曲の順番を変えなきゃいけなくなったり、ウエイターの方ばっかでピアノがほとんど演奏できない日もあったけど。 クリスマスが近づくに連れ、客は増えていった。 でもこの店は後藤の人柄からか、寛容な客が多いのが救いだった。 ピアノを弾いた後、椅子から立ち上がると後ろを歩いてた客に背中でぶつかってしまった。 細身で紺のスーツを着た、三十代前半くらいの男だった。 「あ、すみません」 慌てて謝ると、相手のリーマンらしき男は 「こちらこそ」 と笑みを浮かべ会釈した。それから、じっと俺の目を見る。あれ、この感じは身に覚えがある。ハッテン場で相手を品定めする時のような、あの感じ。 大丈夫でした?と肩をさすってきた。 細い目にシャープな輪郭。顔のパーツの位置がバランスよく、表情は穏やか。一言で言えば塩顔。好みのタイプじゃないが、嫌いでもない。 これはひょっとしたら、と思うと顔がにやけそうになった。 「後で、時間ありますか?」 リーマンは色情を含んだ目で言う。よし、キタ。 「オーダーストップの時間になったら上がります」 「じゃあ待ってます」 ヤツはカウンター席に戻って行った。 やった。楽しみが増えた。ここの所ずっとセックスしてなかったからな。休憩しにロッカールームに入ると、アリサが睨みを利かせてきた。 「だれ?アレ。知り合い?」 「いや、初めて会った」 「あの人なんて?」 「この後一緒に店出ようって」 アリサは行くの?と腕組みする。 「行く」 「アンタこの前は断ってたじゃない」 「女に興味ねえし」 アリサは不愉快そうに唇をねじ曲げる。 「・・・ユウジさんの事、もういいの?」 「なんでユウジの話になるんだよ」 「だって、浮気じゃん。そんなの」 「セックスするだけだよ、別に付き合うわけじゃない」 アリサの顔は火がついたように真っ赤になって、髪が逆立った。 「ユウジはただの義理の兄貴だしな。浮気もクソもねえよ。大体アリサには関係ないだろうが」 アリサは拳を戦慄かせ、爆発するように叫んだ。 「そうよね!アンタは私のことなんてなんっにも気にしてないもんね!」 それからアリサは俺に背を向け楽譜にかじりついていた。休憩中、俺たちは一言も口をきかなかった。 でも歌う時にはさっきまでの態度なんて微塵も感じさせなかった。感情を歌に乗せてキッチリ仕事をこなす。 「上手くなったねえ」 と終わる時間に後藤に褒められていた。 それから、タダ働きじゃなんだから、といつもみたいに軽食やら缶詰めやらが入った袋を渡される。 いつもすみません、と恐縮していた。 俺は後藤に挨拶してから店を出た。ドアを閉めるまで、アリサの視線がチクチク背中を刺していた。 ビルの一階に着くと、外で例のリーマンが待っていた。黒いコートが建物の影に溶け込んで、白い息が俺の方にたなびく。 「中にいればよかったのに」 俺が言うと、ソイツは口元だけで微笑んで手招きしてきた。そっちに近づくと、吸い込まれるように腕の中に捕らえられた。 「うん、ちょっと寒かったかな」 ヤツは俺の体温を貪るように抱きすくめる。 「じゃホテル行く?」 どうせコイツもそのつもりだったんだろうし。 「いいの?」 摺り寄せられた頬は冷えていて、けれども囁きには熱が篭っていた。頷くと頬をなぞった後、触れるだけのキスをされた。 がしゃん、と後ろで音がした。 振り返るとアリサが慌てて落とした缶詰を袋に入れていた。 「ビックリさせちゃったね」 ソイツは苦笑して、行こうか、と俺の腰に手を回す。 振り返らずホテルに向かった。後ろから少しだけ靴音が追いかけてきたけど、ピタリとやんで、それから足早に遠ざかっていった。 次の日、アリサはバイト先にもバーにも現れなかった。

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