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第一章・38
ざわめく客席が、申し合わせたように静まり返った。
舞台に、ライトが灯ったのだ。
空は袖で、雅臣と握手をしていた。
「行ってくるね」
「ずっと、傍にいるよ」
眩しいライトの中へ、空は颯爽と出て行った。
静かになったはずの客席に、さざ波のようなざわめきが。
空が、楽譜を持っていないのだ。
譜めくりの人間がやってくる気配もない。
人々の困惑の中、空は鍵盤に軽く指を置いた。
デビューの記念すべき一曲目は、シューベルト『4つの即興曲 op. 90』だ。
薄暗く物悲しい旋律の多いこの曲は、雅臣と出会う前の僕を表している。
冷たく深い海底に横たわり、息苦しさに耐えていた頃の僕だ。
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